医学界新聞

レポート 市場原理に揺れるアメリカ医療

狭まるレジデントへの門戸

李 啓充
マサチューセッツ総合病院内分泌部門,ハーバード大学講師


(1)「減反」政策

 1997年2月17日,米保健省医療保険財政管理局(HCFA)局長ブルース・ブラデックは,ニューヨーク市のマウント・サイナイ病院で記者会見を行ない,米国の卒後医学教育の根幹を揺るがしかねない劇的な政策の実施を発表した。レジデントを減らした病院には米政府が補助金を支払う,というのである。卒後医学教育における「減反」政策ともいえる政策であるが,6年間の試行制度としてニューヨーク州に限って実施され,マウント・サイナイ病院をはじめ41の教育病院がこの試行制度に参加することとなった。これら41の病院では現在1万286人のレジデントが働いているが,6年間でこのレジデント数を20-25%減らすことを目標とし,HCFAは総額4億ドルの補助金を投じる予定となっている。

メディケア財政を圧迫する卒後教育

 なぜこのような「減反」政策が実施されることになったのであろうか。その最大の理由はメディケアの財政悪化にある(米国における公的老人医療保険制度であるメディケアについては,本紙通常号連載2245号2247号を参照)。
 日本ではあまり知られていないが米国の卒後医学教育の最大の財源はメディケアであり,1995年度にメディケアが卒後医学教育のために支払った金額は70億ドルに上っている。メディケアは,レジデント・指導医の人件費,レジデント制度の運営コストなどを,卒後教育の「直接」コストとしてレジデントの人数に応じて教育病院に支出する一方,教育病院では他の病院よりもコストがかさむだろうと,ベッド数当たりのレジデント数に応じて入院患者1人当たりの支払いを増やすことで,卒後教育の「間接」コストを支出している。つまり,教育病院にとっては「レジデントの数を増やすほどメディケアからの収入が増える」という仕組みになっている。その結果,米国におけるレジデント総数は1990年の10万8千人から1994年には13万人と,4年間で20%増加した。レジデント数の増加に伴い,メディケアの卒後教育に対する支出も急増し,間接コストは29億ドル(1990年)から51億ドル(1995年),直接コストは13億ドル(1990年)から20億ドル(1995年)と,それぞれ75%,50%の上昇を示した。

レジデントを減らせば金を出す

 通常号連載でも触れたように,メディケア財政はただでさえ倒産の危機に瀕している。卒後教育に関するメディケア支出を減らすために,「レジデントの数を増やせばメディケア収入も増える」という構造を解消し,反対に「レジデントの数を減らせばメディケアが金を出しましょう」と,病院側にレジデントを減らす経済的動機づけを与えようというのが今回の減反政策実施の目的である。レジデントを減らすことに対し4億ドルの補助金を支出する計画になっているが,メディケア財政を管轄するHCFAは,4億ドルを払ってもなお,3億から6.5億ドルの卒後教育支出を節約することができると見積もっている。

卒後教育を市場原理に適合させる

 ニューヨーク州におけるレジデント削減の試行制度の導入に加え,クリントン政府は1998年度予算案で以下のような卒後教育支出削減策を提案している。(1)レジデント数の上昇に歯止めをかけるために,各教育病院に対するメディケアの卒後教育支出の算定基準は1996年度レジデント数を上限とし,レジデントの数を増やすことでメディケア収入を増やす,という構造を解消する。また,間接コストの算定基準はベッド数当たりのレジデント数であるが,ベッド数を減らすことでこの基準を上げようというトリックが使えないように,間接コストにも上限を設ける。(2)レジデントを減らすことを奨励するために,レジデント減がメディケア収入の減少に与える影響を和らげるべく,卒後教育コストの算定を単年度のレジデント数ではなく3年間の平均レジデント数で行なう。(3)現行の間接コストの算出基準では,ベッド数当たりのレジデント数が10%増えるとメディケア支出が7.7%増える仕組みになっているが,これは現実のコストと比べあまりにも病院側に有利な条件となっているので,2002年までにこの割合を5.5%まで漸減する。(4)現行の卒後教育体制は入院・急性期ケア・専門科医療に偏っており,マネージドケアのもとで外来・プライマリケアの需要が高いという医療市場の現実と乖離している。外来・プライマリケアの研修を奨励すべく,外来研修のレジデントも間接コストの算定基準に加えてよい,HMOのクリニックなど教育病院以外の医療機関にも卒後教育コストを支払うことを可能とする,などである。
 今年3月22日にHCFAのブラデック局長は,これらの政策を説明するために上院財政委員会で証言を行なった。その際,ブラデック局長は,これらの政策を実施する目的は「卒後医学教育を市場原理に適合させることにある」と言明した。

(2)外国人労働力排斥

 レジデントを減らしたらお金を出しましょうという「減反」政策が取られるにいたった第一の理由はメディケア財政の逼迫にあるが,第二の理由は米国の医師の間に「医師過剰時代が来た」という危機感が広まったことにある。

医師過剰時代

 メディケア財政を管轄するHCFAが「減反」政策を発表した直後の2月28日,米医師連盟,米医科大学連盟など,米国のおもだった医師団体が共同で記者会見を開き,医師数削減に関する政策提言を発表するとともに,この提言を議会およびホワイトハウスに送付した。提言の根幹は医師数を削減するために外国人レジデントの採用を大幅に減らす110%政策(後述)の早期実施を求めるものであった。
 米国の人口10万人当たりの臨床医師数は1970年には115人であったが,1990年には203人と,20年の間に倍近く増加した。マネージドケアのもとでの適正医師数は人口10万人当たり145-185人といわれており,米国はすでに医師過剰時代に入ったとされている。全医師のうちで,外国医科大学卒業者の割合は23%を占めている(ただし,外国医科大学卒業者のすべてが外国人であるわけではなく,メキシコなどの近隣国の医科大学を卒業した米国人が外国医科大学卒業者の13%を占めている)。また,外国人医師は増加傾向にあり,特に米国でレジデントとなる外国人医師が急増している。初年度レジデントとして米国で採用された外国人は1988年には2200人であったが,1994年には5900人と6年の間に3倍近く増えている。

110%政策

 医師過剰を解消するためには外国人医師を減らすしかない,そのためには外国人レジデントの採用を減らすのが手っ取り早い,という動きが強くなるのも不思議ではない。すでに1985年に,前回の大統領選に破れた共和党のドール前上院議員が,外国医科大学出身のレジデントにはメディケアの金を使わない,という法案を提出している。1992年には米保健省および米議会の諮問機関である卒後医学教育審議会が「110%政策」を答申し,以後この政策を実現することが外国人医師排斥派の目標となる。110%政策とは,初年度レジデントの総数を米国医科大学卒業者の110%に押さえるというものである。1994年の数字で見ると,初年度レジデントのうち米国医科大学出身者は1万7千人,外国医科大学卒業者が6700人(うち米国人800人)であり,110%政策の観点からすると,5000人も余計に外国医科大学卒業者を雇い入れた勘定となっている。

外国人レジデント急増の背景

 外国人レジデントは理由もなく急増したわけではない。教育病院にとってはレジデントを増やすほどメディケア収入が増えるという構造があることは前述の通りであるが,それだけではなく,米国人医師が行きたがらない病院での医療を外国人レジデントに頼っているという構造があり,特に大都市の低所得者地帯を受け持つ病院で外国人レジデントへの依存度が高いのである。大都市を抱えるニューヨーク,ニュージャージー,イリノイ,ミシガンの4州ではとりわけ外国人レジデントへの依存度が強く,1994年度の数字で見ると,これら4州の初年度レジデントの45%が外国医科大学卒業者であり,全外国医科大学出身者の56%がこれら4州でレジデントを始めている。米保健省の健康科学部門担当副長官であるフィリップ・リー博士もニューヨーク,ニュージャージーなどの州では,外国人レジデントが「貧者のための低コスト医療」を担っていることを認めている。これまで外国人医師排斥派は強力に110%政策の実現を求めてきたが,米国の一部地域では外国人レジデントに頼らないと医療が成り立たないという構造があり,なかなか現実化してこなかったのである。しかし,全米レジデントの20%を擁するニューヨーク州で今回のレジデント減らしの「減反」政策が試行されることになったことで,外国人医師排斥派は最大の牙城を落とした形となり,110%政策の実現に向け大きく前進した。

50%政策,そして専門医の失業

 卒後医学教育審議会は110%政策と同時に50%政策をも答申している。これは専門医養成に偏重した現行の卒後医学教育体制を改めるために,初年度レジデントの枠のうち50%を一般医養成コースに当てるというものである。1994年度の数字で見ると,全初年度レジデント2万4千人のうち,一般医養成コースにエントリーしたレジデント6700人(28%),残りの1万7300人が何らかの専門医養成コースにエントリーしている。1994年の数字に110%政策と50%政策を同時に当てはめると,初年度レジデント総数1万9000人,うち一般医・専門医養成コースとも9500人となり,前者は2800人増,後者は8800人減となる。110%政策の実現が困難な問題を内在させているのに比べ,50%政策の目標は着実に達成されつつある。医学部学生の間に一般医指向が強まってきているからである。ある保険会社は,2000年までに45―60%のアメリカ人がマネージドケアに加入すると想定し,その場合専門医は必要数より60%過剰になると試算している(アメリカン・ジャーナル・オブ・メディスン100巻1頁,1996年)。21世紀には必ず専門医の失業時代が来る(ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディスン334巻892頁,1996年)といわれており,一般医志望者が増えるのも無理はない。

[李啓充氏プロフィール]
1980年京都大学医学部卒業。87年同大大学院医学研究科修了。90年よりアメリカのマサチューセッツ総合病院にて研究に従事(93年よりハーバード大学医学部講師)
連絡先:Kaechoong Lee, Endcrine Unit,MGH,Fruit Street, Boston MA 02114,USA.
E-mail: kaelee@erols.com
「週刊医学界新聞」通常号では,昨年の8月より李啓充氏の「市場原理に揺れるアメリカ医療」を好評連載中です。ぜひお読みください。また,今回のレポートに対する感想をお待ちしています。