医学界新聞

 連載 イギリスの医療はいま

 第16回 英国での出産を体験して

 岡 喜美子 イギリス在住(千葉大学看護学部看護学研究科修了)


 私がイギリスでの医療を直接体験していく中で,これまでのうちの一番大きなイベントは「お産」であった。
 イギリスの女性の99%はNHS(国民医療制度)を利用して出産をする。これは妊娠から出産,産後の家庭訪問までまったく無料で行なわれる。しかも以前にも紹介したように(第8回「女性による女性のための出産」,1996年11月25日付2217号)妊産婦と助産婦がよりよい出産を模索し,勝ち取ってきたものであるから,なにかと評判の悪いNHSの中では,安全性や女性の権利の保護などにおいて高い評価を得ている。そんな理由で,私も迷わずNHSでの出産を選択した。

妊婦主体の出産

 私の妊娠経過は,29週目で生牡蠣にあたってフランスの病院に入院するという事件を除けば,高齢初産のわりに大変順調であった。しかし34週で突然の破水。日本の産科に勤務していた時の経験から,これはすぐに入院になると思い,最低限の仕事を片づけてから大学病院に行った。いったん入院したものの強い陣痛は発来せず,医師には「ここにいても不眠とまずい食事に悩まされるだけだから帰ったほうがいいよ」と言われる始末。
 安静,陣痛誘発剤,点滴などいろいろな処置を覚悟していた私は,あまりのことに拍子抜けしてしまったが,何事も自然に任せるNHS医療では当然のことなのだろう。妊娠中に出血しても何もしないために,流産する妊婦が多いのも納得できる。
 それでも私は,患者の権利を振りかざし,医師の言葉を押し切ってそのまま入院していた。病室で仕事をし,まずい病院食を食べ,多量の羊水漏れと格闘しながら,自然に陣痛が来るのを待っていた。さすがに10日目になって待ちきれなくなった私は,またまた医師にかみつくと,あっさり明朝誘発分娩となった。妊婦の知る権利を守るためにベッドサイドにいつもおいてあるカルテを見ると,「妊婦が言い張るから明日誘発分娩」と書いてあった。
 明朝6時の予定が,結局は午後1時に実施。しかし,こちらは分娩室も陣痛室も同じで,もちろん個室なので気は楽である。誘発剤の座薬によって規則的な陣痛が始まったが,部屋にはラジカセもあり,主人とカラオケをしながら痛みをかわすことができた。  午後9時になり夜勤の助産婦と交替。この時点で,有効な陣痛が来ないために点滴に変更となった。イギリスは帝王切開の施行率(15.3%)が高く,万一を考えて朝食をとった後は水しか飲ませてくれない。これでは力がでないと思い,おにぎりを食べていると陣痛が急に強くなった。日本では実に簡単に陣痛促進剤を使用していたが,自分で経験してみてこの痛みは絶対に自然のものではないと痛感した。日本で産婦さんに対してがまんさせていたことを猛反省する。
 反省しても痛みは軽減しないため,まず笑気ガス,鎮痛剤(ペチジン)の使用を選択した。しかし頭がもうろうとするだけで効果がない。そこで硬膜外麻酔に挑戦。これが見事に効を奏し2時間ほどうとうとしている間に子宮口は全開大となった。下半身はマヒしているものの,助産婦の誘導でいきみもうまくいき,午前5時に無事出産することができた。2610g,会陰切開なし。母乳育児を選択していたので,助産婦は休む間もなく初乳を吸わせ,産後のケアをてきぱきやってくれた。

産婦と助産婦のパートナーシップ

 今回のお産で最も印象に残ったのは助産婦の働きぶりである。産科病棟のケアスタッフは全員助産婦であり,実際分娩介助の75%が助産婦のみで行なわれる。正常分娩の妊婦だと1度も医師に会わないで退院する人も多い。医師は縫合や麻酔注射,コンサルテーションが必要な場合にだけ,助産婦に呼ばれてやってくる。
 彼女たちには独自に築き上げた高いケアの基準があり,妊産婦が選択した出産や育児へのポリシーを強固に守ってくれる。私の場合も産後母子同室と希望したら,律義に光線療法のインキュベーターまでベッドサイドに持ってきてくれたのには参ったが(明るすぎて大部屋では大迷惑)。
 この体験談からもわかるように,イギリスでは妊娠中の検査や出産の方法,薬や麻酔の使い方,母子同室か別室か,母乳かミルクかといったさまざまな問題について妊婦自身が選択し,主張していかないとよりよい医療サービスは受けられない。そのため妊娠中から助産婦や産科医は妊産婦にできるだけ多くのかつ適切な情報を与え,妊産婦自身が納得して選択しうるまで徹底的に話しあう。この医療者側のオープンで援助的な態度が,性懲りもなくまたイギリスで子どもを産みたいという気持ちに私を駆り立ててくれるのである。