医学界新聞

連載 市場原理に揺れるアメリカ医療(13)

メディケア(2)

李 啓充 Kaechoong Lee
マサチューセッツ総合病院内分泌部門,ハーバード大学医学部講師


(2245号よりつづく)

 前回は公的老人医療保険であるメディケアが設立された経緯,メディケアが抱える問題について紹介した。

HMOへの転換策の効果は

 メディケアは,市場原理から排除されざるをえない弱者のために米連邦政府が管轄する医療保険制度であると述べたが,巨額の財政支出を削減するにはメディケアにも市場原理を導入しなければならないとして,米政府はメディケアの被保険者に保険会社が管轄するHMO(健康維持機構)への加入を奨励した。保険会社には加入者1人ごとにメディケアの1人当たり平均支出の95%を政府から払うという取り決めで,米政府の目論見としては5%の節約になるはずであった。
 しかし皮肉なことに,加入者をHMOへ転換させることはメディケアの支出減にはつながらなかった。
 HMOに加入すると,保険会社の提供するリストの中から新たに自分の主治医を選任し,専門医・救急受診・入院に際しては主治医の承諾がいるなど,被保険者にとっては幾多の制約が生じる。例えば,糖尿病患者が自分の病気をずっと診てきてくれた糖尿病専門の主治医を代えてまでHMOの限定する医療ネットワークに移ることは難しいのである。
 結果として,旧来通りのメディケアにはコストがかさむ病気がちの人が残り,種々の制約を厭わない健康な人がHMOに加入することになったが,そういった健康な人々は平均の95%も医療費を使わないのである。高齢者に限らず,一般にHMOに加入する人には健康な人が多いのだが,保険会社が条件のよい加入者ばかり集めることは「サクランボ摘み(cherry picking)」と呼ばれている。

メディケアの果たす役割

 メディケアは米人口の14%をカバーし,最大のシェアを有する医療保険であるからその発言力は大きい。アメリカの病院収入総額の28%がメディケアによりもたらされているといわれている(1993年)。シェアにものを言わせ,病院側に大きな値引きを強いることもできる。同じ医療行為に対し,メディケアは保険会社が支払う額の68%しか払っていないと言われている。
 さらに,メディケアは営利を目的とする制度ではないから,市場原理のもとでは不利な条件にある医療施設に対して,手厚い保護を与えている。例えば,教育病院に対してはレジデントの人件費を払うなど,教育病院では一般病院よりも種々のコストがかさむ点を勘案し,多額の補助金を支払っている。ベッド数でいえば1/4を占めるにすぎない教育病院に対し,メディケアパートA総支出の1/2が支払われているのである。同様に,低所得者が多い地域あるいは過疎地の病院に対しても,優遇処置をとっている。
 「公的保険制度は,運営が効率的でなく,コスト削減の努力をしない」と,市場原理のもとでの医療コスト削減を推進する立場の人々は批判するが,メディケアの運営は決して非効率的なものではない。総支出に占める管理運営費は,一般の保険会社の平均が17%であるのに対し,メディケアはわずかに2%である。また,実務のほとんどは各州のブルークロス社に委託されており,実質的には民営化された制度であるといってよい。
 メディケアはただ弱者のための医療保険制度として機能するだけでなく,医療改革を先導する役割をも果たしてきた。例えば,医療コスト削減のために,革命的ともいえる支払い制度を導入した実績がある。1983年には,出来高払い制度によるとめどない医療インフレを防止するために,入院のコストについて疾患別定額支払い制度を導入した。また,1992年には,原価に基づく処置料支払い制度を導入し,専門医にしか施行できない処置に対して優遇的な支払いを行なってきた伝統を改めた。
 いきすぎた市場原理が医療界に引き起こす事件に対しても,被保険者の利益を守るために機敏に対応する。連載第4回(第2206号)で,デビッド・ヒンメルスタイン医師とUSヘルスケア社との口止め条項をめぐるトラブルを紹介した。口止め条項とは,保険会社がカバーしない医療行為について患者に教えてはいけない,患者に対して保険会社の批判をしてはいけないなど,医師に対して情報開示に制限を加える契約条項であるが,ヒンメルスタイン事件がマスコミの注目を集めるや否や,メディケアは提携HMOでの口止め条項を禁止する通達を出したのである。  また,契約医療機関のお目付役としての役割も果たす。