医学界新聞

連載 ― WHAT'S COOL IN TECH AND MEDICINE

最新テクノロジーのトピックス

永田 啓(滋賀医科大学眼科・医学情報センター)

[6]フェイルセーフの人間工学


道具の変化

 今回は,少し趣向を変えて,ヒューマンインターフェースの話です。ヒューマンインターフェースというと,何だかコンピュータの話のように感じますが,実際にはさまざまな機械や道具と人間のかかわりあいの部分はすべてヒューマンインターフェースの範疇に入ります。
 医療の世界では,医師が個人で診察から検査・薬の調剤などまで行なっていた時代から,いろいろな道具が使われてきました。聴診器,直像眼底鏡,体温計,乳鉢,ガラスの注射器,蒸気滅菌器,メス,鑷子,鉗子,酸素ボンベ,単純X線撮影装置などなど。私が子どもの頃には,普通の住宅を少しだけ改造して,こうした器具を使い,板の間の診察室で開業医の先生に診察や治療をしてもらったり,また大きなかばんを持って自転車で往診してもらったりすることがごく当たり前でした(年がわかってしまいますね)。どちらかというと,道具はあまり前面に出てこないで,むしろ使いにくい道具を医師やナースの技量でカバーして,診察や治療・看護を行なうという雰囲気が強かったように思います。
 その頃から比べると,現在の医療は,驚くほど多くの道具に囲まれています。これらの道具は,診療や検査,そして治療,看護にと,それこそあらゆる医療の分野で使われています。
 また医療はチーム医療となり,1つの診療科の中でもさまざまな分化が起こっています。開業していても,検査は外注に出したり,薬は処方箋薬局で調剤してもらったりと,医療全体の細分化が進みました。それぞれの分野での利用に特化した,あるいは1つの手術手技のみのための道具といったものも数多く生まれ,医療のレベルを上げるのに貢献しています。
 しかし,逆にあまりにもたくさんの道具が発生したための弊害も起こっています。例えば,聴診器の場合,その使い方は,誰かがそれを使っているのをしばらく観察していればわかります(ただし,それを使って正しい診断ができるかどうかはまったく別問題ですが……)。これに比べて白内障手術の超音波吸引器を例に取ると,マニュアルを見ないと,どのようにセットアップしていいかもわかりませんし,どの部分を滅菌して,どの部分にはディスポを使うかや,どのスイッチが何の役割をしていて,どの表示が何を意味しているかは,ぱっと見ただけではわかりません。こうした機器を使いこなすということは,眼科医で,しょっちゅう手術を行なっている人にとっては,何でもないことでしょうが,そうでない人にはかなりの時間と努力が必要でしょう。

道具を使うということ

 道具が複雑になるにつれ,注意しなければならない部分が増加します。複数の道具を連携して使ったり,1つの手術にさまざまな道具を場面場面によって使い分けるといったことが日常茶飯事になると,準備しなければならないことはどんどん増えますし,細心の注意を要することも飛躍的に増加します。しかし,スタッフ全員がすべての道具に熟練することは不可能で,ある特定の人にしかわからない道具も出てくるかもしれません。
 現在の医療では,道具と人が複雑に絡みあったシステムを準備し,使いこなしていかなければなりません。1人でセットアップできたものが,複数の人間が分担してセットアップしなければならなくなったり,1人で使えたものが,アシスタントなしでは使えなくなったり,患者の反応や手術の進行によってはシステム自体を組み替えるため,チーム全員が走り回る必要が出てくることもあります。極端な場合は手術の最初と最後でチームのスタッフがすべて入れ替わっていることすらあるわけです。
 こうしたチームには,さまざまなスキルのスタッフがいるのが普通ですし,現在の日本の医学界のように,すべての医療関係者が多忙をきわめる状況では,必ずしもすべてのことが高いスキルと知識を持った人によって完璧にチェックできるような状態ではありません。こうしたことをひっくるめて,さまざまなミスが起こってくる可能性があるわけです。

人間は正しいもの?間違うもの?

 では,ミスが起こったとき,それはすべて「人間」の問題なのでしょうか。道具やシステムを使いこなして,ミスが起こらないようにする。確かにプロフェッショナルというのは,そうしたスキルを要求されるものです。このために,チェックリストをはじめ,複数の人間によるチェックなどさまざまな対策がすでになされています。
 しかし,道具やシステム自体にも,ミスを予防する手だては必要です。これが今回の話題のフェイルセーフです。
 人間はミスをしないものでしょうか。常に自分の体調が万全であったり,精神状態が極めて落ち着いていて心配ごともなく,適度に仕事に対して緊張感がある,というのであれば,おのずとミスは減ります。しかし,たとえ疲れ果てていても診療を行なわなければならない場面は出てきます。このため,本来人間はミスを犯すものである,という考え方に基づいて医療に使うさまざまな道具やシステムは作られる必要があります。フェイルセーフの考えられた道具に関しては,旅客機がその典型でしょう。多くの人命を預かるわけですから,ミスを犯しやすいところには,さまざまな工夫がされており,ミスが起こりにくくしてあります。特に気をつけなければならない部分には2重3重に安全のための細工が施されています。これがフェイルセーフのヒューマンインターフェースです。
 医療も当然生命を預かりますから,いろいろな場面でフェイルセーフが効かなければなりません。例えば,臨床実習の時に,みなさんは手術場やベッドサイドで,酸素と吸引のプラグが壁に組みこまれている()のをよく見かけると思います。ここにチューブを接続して,酸素吸入を行なったり,喀痰を吸引したりします。このプラグには,酸素用のチューブしか接続できないような工夫がしてあります。こうした工夫は,何年もの間,さまざまな経験を積み上げることで,実際の医療の現場に採用されてきました。


 しかし,医療機械の進化のスピードはあまりにも早く,このため,さまざまな新しい医療の道具には,フェイルセーフが十分でないものも存在するのが現状です。特にコンピュータをふんだんに使った機材に関しては,そのプログラムを組む人が医療の現場に直接かかわっていないこともあり,注意が必要です。
 今後,さまざまな機器でフェイルセーフを効かせるためには,その機器を使った場合にどのような危険が考えられるのか,また,その機器を考え出したり,またその機器を設計したりした人々の考え得ないミスがどのようにして起こるのかを分析して,それを道具の側にも反映していくことが必要になります。このため,現場からのフィードバックはきわめて重要です。
 さて,ポリクリや病院実習の場で,実際の病院での道具たちにどのようなフェイルセーフが効いているのかを,確かめてみてください。素朴な疑問が,とても大切なフェイルセーフのヒューマンインターフェースを生み出すかもしれません。