医学界新聞

医学生・研修医版[5]1997. JUN.

座談会 今日の医学教育における病理学の現状と将来

櫻井 勇
日本大学医学部長
町並陸生
東京大学教授・病理学
秦 順一
慶応義塾大学教授・病理学


現代医学における病理学

町並(司会) 本日は「今日の医学教育における病理学の現状と将来」というテーマについて先生方のご意見を伺いたいと思います。まず,現代医学における病理学の位置づけという面ですが,最近は臨床医学の進歩や,基礎医学,特に分子生物学の進歩に伴い病理学に大きな変化が起こっています。この点について.最初に櫻井先生からお話しいただけますでしょうか。
櫻井 病理学は,かつては医学の花形であり医学の基本であったと考えていらした方がおそらく多いと思います。しかし,最近では分子生物学などの導入により,より細分化されてくると,形態のみを見ているだけで真実に迫ることができるのかという疑問が生じてきました。そのため,学問としての病理学は危機的状況におかれていると感じている人も多いと思います。
 しかし,病理学は全身解剖から始め,病気を個体全体のものとして捉える訓練を必要とします。したがって,病理学の訓練を積んだ人は,分子生物学などによって細かい分析を行なった上で,再び個体全体へと統合する能力は高いでしょう。ですから,分析から統合へと進む将来には病理学がまた花形になるのではないかと思います。
町並 秦先生は実際に分子生物学的な手法も取り入れて研究しておられますが,ご意見はいかがでしょうか。
 基本的には櫻井先生がおっしゃるとおりで,かつては疾病の研究や分析は,すべて病理学の範疇でした。そこから免疫学や細菌学などが分かれていった結果,病理学は形態学を中心とした学問分野になったわけです。
 そういう歴史的な事情を踏まえてみますと,やはり病理学の本質はhuman disease,つまり「人の病気」から出発していることがわかります。形に現れてくる「人の病気」は非常に重要で,その形を分析することが,一方では病気の基礎を研究することになり,他方では診断に結びつくことになります。そう考えると,新しい病理学のめざすべきものは,もう1度「人の病気」というもの,つまり個体を全体として捉えることではないかと思います。
 最近は分子生物学的な手法を使った病理診断が大きな部分を占めています。このように基礎的研究が臨床応用に直結できるようになりました。したがって,病理学は危機どころか,いまこそ再び花形になるチャンスだと思います。
町並 私は骨軟部腫瘍の診断病理を中心に研究していますが,例えば特定の染色体異常があることがわかっている特定の腫瘍に関しては,分子生物学的診断が最後の決め手として役に立っているという印象を持っています。

画像診断と病理学

町並 ところで,画像診断の解析が進歩し,私の専門領域でも,レントゲンにはまったく写らなかった軟部組織の病変が,CTやMRIによってわかるようになりました。臨床の先生方の中には,画像の進歩によって病理解剖の意義が薄れてきていると考えている方もいますが,いかがでしょうか。
櫻井 私の専門領域では,血管造影などで血管の動きが見えるというのは,病理医にとっても非常に新しい考え方を呼び起こしますね。血管の収縮や拡張などは,今までは一時点の形態でしか見ることができませんでしたので,病理学者にとっては苦手とする部分でしたが,そういうものを動脈攣縮の機序の解明のための実験に導入していけば非常にいいと思います。これは,臨床で発達した技法を活用すればやりやすいのではないでしょうか。
 それから,画像診断でわかるから病理解剖が減ったと臨床の方が言われることもありますが,読影が正しいのか,見逃しがないのか,解釈は正しいのかなどは,本当は解剖しないとわからないと思います。またそうすることによって,画像を見る臨床医の目が養えるのではないでしょうか。アトラスや教科書では典型的な症例を学ぶことはできますが,実際には典型例はそれほどありません。自分の患者さんから学ぶという態度をもって解剖をさせていただくというのは本当に大事だと思いますが,どうも臨床の方にそういう意識が薄れつつあるようで,その点は残念に思います。

「病理医」と「病理学」

病理診断と病理解剖

 医学は個体を問題にします。例えばクローン化されたネズミであれば,すべて同じような病態が出ますが,申し上げるまでもなく,人間は1人ひとりが異なっています。異なっている人間に対して医療が行なわれた場合に,どういう病態が現れ,その帰結として最終的にどのようになったかをもう1度分析し積み上げていくために,剖検は非常に重要です。そういう訓練が軽視されているのではないかと思います。もちろん,病理解析する上で,免疫組織化学的解析は欠かせないものになっていますが,免疫組織化学が生まれてから,病理学的所見を観察する際にも,ポジティブなものだけを見るようになり,背景となる所見が軽視される傾向にあります。それは画像でも同様で,有意なものを拾い上げていくというのが現在の風潮ですね。
 近年の医療は多科にわたって疾患を診ますが,実際に病理解剖に立ち会ってみると,主治医が自分の専門科の疾病にしか関心を持たないケースがあります。個体の,患者さん全体の病態には関心を持たず,泌尿器科の医師なら泌尿器だけに関心があって,「そこだけ診てくれ」という依頼があったりします。疾病に対する根本的な考え方が大変軽視されているように思います。
町並 病理解剖には,多面的でさまざまな重要な課題や問題が含まれています。そういったものに直面し,自分で思考を構築していく作業は,病理医だけでなく医師個人の足腰を鍛えるという意味でも非常に重要だという気がします。
櫻井 私は,病理解剖をきちっとすることによって,同じ病名で呼ばれていても形態は個体によってそれぞれ違うということなどを体験的に理解できると思います。しかし,おそらくこれは日本の教育のせいだと思うのですが,最近はすべてマニュアル通りという感覚でやっていますから,免疫染色をして陽性ならこれという診断のつけかたをして,形態のパターン認識というのは,あまりはっきり把んでいないような気がしますね。
 病理医と病理学は本来,表裏一体であるべきものですが,時代とともに少しずつ役割が変わってきたという印象を受けます。数年前に「病理診断は医行為である」という厚生省の正式な見解が出て,病理診断は医師がやらなければならない行為であることが明確になったことも,おそらくその契機の1つになっていると思います。
 それまでは,「病理検査」と「病理診断」という言葉が混同して使われていましたが,「病理検査」とは病理の標本を作るのが目的で,診断とはまったく違う行為です。それが明確になり,病院業務の中で日常業務としての病理診断が大きな役割を占め,扱う件数や疾病の種類も年々多くなっています。そうなると,従来の病理医の知識の範囲では対応しきれなくなってくると思います。そこで例えば,病理医の中でも肝臓が得意な人,といったようなスペシャリストが必要になるのは当然のことです。その場合の診断ということを考えると,必ずしも形態だけではなく,さまざまな手法を使って最終的な診断をするという姿勢は重要です。それから,いわゆる鑑定的な診断ではなく,病態を考えた診断が求められているのではないかと考えています。

認定病理医と病理科の標榜

櫻井 先ほど秦先生から「病理診断と病理検査」という話があり,確かに厚生省が「病理診断は医行為である」という見解を出しています。しかし,一方では自由標榜制がありますから,医師免許を持っていれば何科をやってもいいことになっています。この法律上の矛盾をそのままにしているので,おそらく厚生省は病理診断と病理検査の問題になかなか手がつけられないのだと思うのです。
 ですから,病理組織学的検査とか,時には病理診断などという用語を使っても,診断に関して責任を持つのは,いまの法律では受け持ちの医師ですね。病理診断報告書を見ても,受け持ちの医師がそれを信用しなくてもいいことになってしまうわけですから,非常に問題だと思います。
 それから,病理医側も臓器別の専門は将来的には必要だと思いますが,ベースになる病理医が少ないですね。絶対数が不足している上に,最近の若い医師は,内視鏡などで生検をやると,それを全部病理に出すように教えられていますから,検体数が増加し,病理医の相対的欠乏に追い打ちをかけている状況です。国も厚生省も早急に対策を考えなくてはならないのですが,さまざまなことが絡んでいるので解決は難しいと思います。
町並 その点に関して問題なのは,大学病院ですね。普通の病院でしたら当然,生検したものをすぐ病理側に出すのに,ある旧帝国大学で調査したところ,病理側に回される生検例が非常に少ないのですね。普通600~700床程度の病院ですと,8000件ぐらいあるのですが,その半数くらいしかありません。その実態を追求したところ,ある科では生検をしてもほとんどは自分のところで診断をして病理側に出していなかったことが判明しました。特定機能病院でありながらそういうことをしているものですから,医学教育も根本から改めないと大変困ります。
 それから,先ほど櫻井先生から標榜科の話がありましたが,認定病理医は基本的診療領域13学会の認定医として学会認定医制協議会,日本医師会,日本医学会の3団体から認められていますが,国が認めたわけではありません。標榜科として認められないと,さまざまな制約があり,病理医としてうまく活動ができないと痛感しています。
 現実と法律が乖離しているのです。病理医以外は病理の診断はまずつけることができないのが現状であるにもかかわらず,それに対して法律が追いついてないことがネックですね。これは病理医だけの問題ではなく,医療全体の問題なので,もっと臨床の人たちもそのあたりを深く認識しないと医療の質は高まらないのではないかと思います。この点をなお一層アピールしなければならないと思います。

医学教育カリキュラムにおける病理学

カリキュラム:講座別から統合へ

町並 次に,カリキュラムと卒前・卒後教育の問題に移りますが,櫻井先生は医学部長でいらっしゃいますので,いろいろお考えがあるかと思います。
櫻井 28年前に慶大の牛場大蔵先生が中心になって「日本医学教育学会」ができ,教育改革が叫ばれました。その後,一部の大学ではカナダやアメリカの医学教育の成果を取り入れ,講座教室別の教育をやめて,疾患を中心とした統合講義を取り入れるといったように,大幅な改変を行なっています。日大でも,現在では内科学や外科学といった講義はなく,臓器系統別の統合講義を行なっていますから,そこに病理学が参加することになります。そういうものを取り入れれば,疾患との結びつきがはっきり学生にわかってくると思います。
 講座の枠を取り払うのは至難の技ともいえますが,せめて卒前教育だけでもそうできれば,学生の疾患に対するアプローチの基本的な考え方が変わってくるような気がします。
 また講義と実習についてですが,従来は病理学総論,病理学各論,病理学実習とそれぞれ別々に評価を出していたのですが,これはよく考えるとおかしいことです。実習は病理学自体を理解するためのもので,講義とは不可分なもののはずです。ですから,例えばある疾患を講義したら,すぐそれについての実習を行なう。そうやってその疾患を理解するというのが望ましい形だと思います。
 それと臨床実習ですが,日大でも病院病理部に学生が回ってきますが,その際は病院の中,もしくは医療の中で病理医がどのような働きをしているのかを理解してもらう方針で実習しています。時間が短いものですから,どれほど理解できるかわかりませんが,ただ,病理部へ来ている人が迅速診断を体験すれば,医療における病理医の役割が納得できるのではないかと思います。
町並 東大はまだだいぶ遅れておりまして,病理学総論,各論,顕微鏡実習があります。ただ,臨床実習に早くから病理学が入っていましたから,その点はよかったのですが。秦先生のところはいかがでしょうか。
 慶大でも,大学設置基準の大綱化を契機にカリキュラムを大幅に変更しまして,「医生物学」としての病理学を,「病理学総論」という名称で基礎科目に設置し,疾病というものを総論的に教えることにしました。各論に関しては日大と同様に,臓器別になっています。
 それから臨床実習に関しても,「病理診断部」という組織が中央臨床検査部から1年前に独立して以来,学生はいわゆるポリクリとして回るようになっています。そこでは迅速診断のような外科病理だけでなく,解剖もその1週間のうちに体験するカリキュラムになっています。

CPCについて

町並 剖検例のCPC(clinical pathological conference)は,相変わらず行なっているのですか。
 ええ。慶大は,剖検例のCPCをかなりはやくから始めたほうだと思います。年間20回近く行なっています。
櫻井 日大では,CPCの数は減りました。内科各科と病院全体のCPCを行ない,それから外科的CPC,手術例のCPCを外科系と行なっていましたが,臨床側が熱心でなくなっています。それから,日大の特徴なのか,答えがわかってしまっているので儀式みたいですね。
 CPCや生検例検討や外科的CPCでも,本当はありふれた病気の症例検討をきちんと行なうほうがいいと思います。ことに剖検例でないCPCですね。生検のCPCは定期的にきちんとすべきです。
 これは稀にですが,臨床のデータを詳しく聞くと,病理が顕微鏡で見て判断したことがおかしいことがありえます。ことに臨床からの依頼書の記載が非常に貧弱なものですから,知りたいことが何も書いてなくて,「お忙しいところ恐縮です」なんて書いてあります(笑)。
 ですから,臨床のデータを全部聞くと,その病理診断はおかしいということもありうるのです。それは病理医にとって非常に大切な勉強になるのです。ありふれた疾患のCPCは,日本ではあまり行なわないのではないですか。
町並 そうですね。学生には外科病理の検討会には,なかなか参加してもらうことができないような状況ですね。
 参加はしていても,学生主体のものはないですね。

医学・医療は患者さんのために:CPCは類型化しないように

櫻井 めずらしい疾患だと臨床がCPCをやってくれ,というのですね。しかし,本来これは患者さんのために行なうのであって,ありふれた病気だからといって,疑問のある例をみんなが集まって討議しないのはおかしいという気がします。
 昔は本当に謎解きみたいなもので,最後に裁判官みたいな顔をして病理の代表が判決を下していましたよね(笑)。そういうCPCだったのですが,いまはCPCは学生を目標にしていますので,司会者もなるべく若い講師に担当させています。そして最後に学生にレポートを書かせて,それを参考に次の症状などを選んでいます。
 その場合には,めずらしい病気だけではなく,いろいろな症例を選ぶようにしています。例えば,入院を待っている間に死亡した例を取り上げて,この患者さんが亡くなったのは,わが国の現在の医療制度を含めて,どこに問題があったのかというCPCもしたことがあります。やはり,CPCのあり方をあまり類型化しないほうがいいと思います。そうすると,わりあい面白いというか,学生が医療を考える上で非常に役立つようなCPCができるのではないでしょうか。
櫻井 うちでは,ペイシェント・マネージメント・プロブレムというコースを作っているのですが,これは実際の例も参考にしながら,模擬症例のシナリオを作ってしまうのです。
 最初に導入した例は,急性白血病でした。「患者さんは20歳のデパートの店員」という設定で,白血病と判明する局面までいって,それではその後どうするのかというのをディスカッションさせました。
町並 患者さんにどのように説明するのかというテーマですね。
櫻井 ええ。20歳の女の子,という設定ですから,それでは親はいるのか,教育の程度はと,患者さんや彼女を取り巻く環境にまで話がおよぶわけです。しかしその問題には結局,これが正解というものがないのです。「解答がないじゃないか」と,よく学生が言っています。
 ディスカッションさせるということに意義があるのですね。
櫻井 ええ,医療の現場にはそういう正解のないものがあって,自分で考えなければならないことを学生に納得させることが目的です。死亡例があれば病理報告といいますか,説明もしています。
町並 先ほど櫻井先生が「医学・医療は患者のためにあるのだ」とおっしゃいましたが,私は非常に感銘を受けました(笑)。
櫻井 当たり前だと思いますが(笑)。
町並 当たり前のことなのですけど。私もいつも病理臨床実習で学生に,「東大病院の医者は医学・医療は医者のためにあると思っていて,患者のためにあると思っていない」というような悪口を言うことにしてるのですが,やはり医学・医療,ひいては医師は患者のためにいるのだという意識を学生によく植えつけるのは大変に重要だと思います。
櫻井 ええ。そのためには,教師自身が心からそう思ってないといけません(笑)。
 そうですね。語弊があるかもしれませんが,特に古い大学は教育を何か片手間に考えているきらいがあります。やはり教育というのは,教える側が意識して問題をはっきりさせておかないと,学生は絶対ついてこないですね。
 慶大なども教育に対して何も意識していない。やはり教育に対して意識を持ち,教育の手法などをもっと変えていくことが必要です。

病理学実習:スケッチを描かせるか?

 例えば,顕微鏡実習などはどのようにされていますか。やはりスケッチをさせたりしているのでしょうか。
櫻井 いえ,あまりさせていません。ある標本を渡すときに,いくつかの質問事項を,英語がわかったほうがいいからすべて英語で書いて,一緒に配ってしまいます。
 自習帳みたいなものを作ってらっしゃるのですか。
櫻井 いいえ,例えば心臓疾患ならば心臓の何番の標本について,という質問を記載した紙をコピーして配るだけです。
 心筋梗塞の標本なら,心筋梗塞というものがわかって,それを前提にしていろいろ問題を出すということですね。
櫻井 ええ。
 町並先生のところはいかがですか?
町並 第一に,学生の出席が芳しくないので(笑)。半分ぐらいしか来てないのではないかと思います。講義も朝9時に行くと,だいたい10人ぐらいで,10時を過ぎると30人ぐらいになります。
櫻井 私どももそうです。標本は学年の初めに渡してしまいます。学年末に口頭試問を行ないますから,そのときに返してもらっています。
 慶大では,いまだにスケッチを描かせています。これはどうも再検討する必要がありそうですね。
町並 私どものところも同じです。昔風のやり方ですね。
 やはりそのあたりを少し考えないと。
櫻井 まさか美術学校ではないのですから(笑)。

座学を避けて自主学習を:学生のモチベーションを高める

町並 それから,私どものところはホルマリン漬けの解剖例を渡して,それでマクロを見させて,さらにミクロもやっています。標本は作ってありますが,自分で見て診断を書かせています。それが4年生のときですから,少し早すぎますね。
櫻井 うちは3年生で診断名を伏せて,剖検例のマクロの写真と顕微鏡標本と臨床経過を渡して,グループ学習させて発表させています。これをすると,普段さぼっていた学生が,急に乗ってくる場合もあります。
 発表会をさせると発表する者だけがやるものですから,グループに番号をつけておいて,1番のグループが発表をするときは,2番のグループの人が座長をして,3番が質問をするようにして,それを順番に受け持たせています。それによって全員参加が可能ですが,質問する側と答える側が,どうも談合しているらしくて(笑)。パッパッと答えて終わりということもあります。
 たしかに,座学というのはなるべく避けるべきですね。
 慶大は,半年ぐらいの間,週の半分をフリーにして,学生の自主性に任せて各教室に配属し,そこの教授と実験やセミナーをする自主学習というものを行なっています。そうすると自分で問題点を見つけて,たとえば病理などでわれわれのところに入ってきた連中も,自分で熱心にやりますね。やはり学生自身にモチベーションをもたせるように仕向けないとだめですね。
町並 東大ではフリークオーターを実施しておりますが,自由参加になっていますので,さぼって外国へ遊びにいっている学生もいるようです。
 外国へ行くのもいいですね。(笑)
櫻井 うちは6年生の2か月間はまったくのエレクティブです。学内については全部の教科の教員がガイドブックを作ります。それを前年の5年時の9月に配って,学生自身に選択させます。外国にも今年は10人ぐらい行ってるはずです。それも全部,自分で手紙を出させて交渉させています。

卒後教育における病理学

研修施設の認定の甘さと病理医の育成の遅れ

町並 さて,最後に卒後教育の問題点についても話したいと思います。これは,施設によってやり方もかなり違うかと思いますが,どのような問題があるのでしょうか。
櫻井 認定医制度ができ,試験制度が採用されて10年以上になりますが,病理医になる人が少ないということもあると同時に,研修施設の認定が甘いように思います。研修施設の受け入れ定員も決まっていませんからね。本当は指導者の数,剖検の数,生検や細胞診の数などで年間の定員を決めたほうがいいのではないかと思います。いま大学病院はすべて無条件で研修施設として認定されています。
町並 そうですね。
櫻井 大学側が自らきちんと襟を正さないといけないと思います。定員を設定しても,おそらく総数からいけば,病理医を希望する現在の卒業生はすべて収容できると思います。ある施設にはいるのに,ある施設には何年もいないというのも本当は具合が悪い。日本は学閥があるからこのようなことが起こるのだと思いますが(笑)。
 それから,卒後教育で病理医の研修面が強調されがちでが,病理医の育成の問題もあります。やはり病理学を基盤とした研究者の育成の仕組みを考える必要があると思います。
 日本病理学会への対応が教育面は少し遅れていると言いますか,あまり手を打ってないように思います。また,日本医学教育学会は「よい医師の育成」という観点から,臨床医学教育の改革を重点的に行なってきたために,基礎や社会医学系などへの対応は遅れている気がします。

研修医制度

町並 秦先生,卒後教育に関してはいかがでしょうか。
 日本の研修医制度には根本的に大きな問題があると思います。現在の研修医制度にはマッチングというシステムがなく,いわば自由競争です。そのため,多くの学生が内科に入ってしまうという事態が起きるわけです。このような状態では本当の研修はできないのではないかと思います。そのためにはまずマッチング制度を取り入れ,その中で臨床医学としての病理学を確立することが重要です。
 それから,基礎医学としての病理学というのは,また別な視点で考えるべきではないかと考えています。研修医制度そのものをもっと抜本的に改革しないと,どうしても各科のバランスが是正されないのではないでしょうか。日本の医療の大きな問題だと思います。
町並 例えば,この施設では内科なら何人,外科なら何人,病理なら何人が研修できるのか。そういう基準を作っていかないと難しいでしょう。
 ええ,そろそろそれができないと。
町並 そこで,いまおっしゃったマッチングプログラムで全国で空いているところへいく,というようにする。
櫻井 それが欠けていますね。ですから,将来の医療事情を見越して希望する人が多く,循環器内科とか消化器内科にたくさん入ってしまう。
 それに,うちにはまだ無給医局員制度などというものがありますから,生活ためにバイト先を探さなければならないというように,つまらないことが多く,本当に効率的な研修はやりにくいです。これはわが国に講座制があるからではないかという気がします。
 ところで,慶大は内科も外科も講座は1つずつですね。何年か前に日本医学教育振興財団で大学の視察の会があって,慶応大学に伺ったら,外科と内科1講座ずつだというので,どのようにしたのですかと聞いたら,創立以来だとおっしゃっていました。
町並 チェアマン制があるのでしょうか。
 ええ,チェアマン制になっています。一応,臓器別に5つ内科があって,5教授とチェアマンがいます。実際にはかなりオートノミーを発揮していますが(笑)。
町並 チェアマンというのは本当にマネージメントだけで,それほど権限があるわけではないのでしょうか。
 そうです。実際にはあまり大きな権限はありません。
櫻井 かつてのように第1,第2,第3と番号講座を採用した大学は,それらを統合するのは非常に難しいと思います。うちは内科だけが,研修医の時に3つの内科を全部回しています。
 各科によってそれが任されているというのが問題ですね。やはり研修医制度というのは,少なくともジェネラルなものがあって,それに加えてエレクティブであるべきです。それがまったくなくて,各科がてんでんバラバラに研修を行なっている。その整合性の欠如は大きな問題だと思いますね。
櫻井 国の将来の医療のあり方とか,そういうことが視野から外れていますよね。
町並 私がイギリスへ留学した時の話ですが,ロンドンにはまず病院があって大学はどこにもないという感じで,かなり自然に医学・医療が発祥したという印象があります。まず患者さんがいて,病院があって,学校ができる。これが自然の姿だと思うのですが,日本はそれとは逆の感じですね。

大学院について

町並 まだいろいろな問題があるかと思いますが,何かほかにありますか。どんなことでも結構ですが。
 町並先生のところは大学院大学ですが,そういうところでいままでの講座制を打破するような動きはあるのでしょうか。
町並 内科系の外来を臓器別にするなどの動きがあり,一応第1とか第2とかという名前は消えました。
 そうですか。それは大学院大学になってからですか。
町並 ええ。ですが,依然として各講座の同窓会などが根強く残っていて,そう簡単には消えないという印象です。どこの病院を持っているか,などという利権が絡んでいるので(笑),なかなか難しいですね。
 町並先生に大学院大学のことについてうかがいたいのですが,旧帝国大学を中心に大学院大学ができつつあります。東大はその中でもかなり早く機能していらっしゃると思うのですが。
町並 京都大学の次だと思います。
 結局,大学院大学というのは,全員が大学院に入るということを前提にしていらっしゃるのですか。
町並 いえ,そういうビジョンも何もよくわからないのですね。本当の大学院大学でしたら学部をなくせばいいと思うのですが,学部をなくしてしまうと人が来なくなるとかいう心配もあって(笑),相変わらず学部はありますし,これまでとなんら変わったところはないですね。
 ただ,今はそうであっても,やはり講座を再編成できるというエネルギーにはなるのではないですか。
町並 はい。それで,東大は病理が基礎医学講座でずっときていましたが,病院の中にどうしても足掛かりがなければいけないということで,臨床の内科系に診断病理学という部門が認められて,教授も選ぶことができるはずですが,周りがまだ動き出す状況ではありません。
 内科系に入ったのですか。
町並 はい。検査部と病理部と輸血部が一緒になり,病態診断医学大講座ということで内科系に入ってしまいましたが,それでよかったかどうかよくわかりません。
櫻井 いま認定医制に関して,大学院でのの年月を資格に必要な訓練期間に数えるのかどうかという問題があります。大学院では研究だけしてるのだから,認定医の資格の年限に入れるのはおかしいという考えもあるようですが……。
町並 私はそうは思っていませんでした。内科なら内科の大学院において,診療を学問として認めないということはありえないと思うので,なぜそういう発想になるのか疑問です。内科医の修行をしなければ内科学の勉強,研究はできないはずだと思いますが,櫻井先生のおっしゃるように,大学院の期間は医師としての研修に入れないと考えておられる方はずいぶんいるのは確かです。
 そのあたりは整理が必要ですね,大学院に対する思惑がそれぞれの大学でも違いますし,それぞれの大学の中でも,例えば内科系と外科系が違うというケースはよくありますから。全体的にそういうものを統一して考えるための,基本的な考え方やルールを作り,その上でそれぞれの特殊性を考慮したオプションを用意していかないと,なかなか解決しないのではないかと思いますね。
櫻井 それぞれが勝手に動いてしまう。
 ええ,勝手な動きになってしまう。そのあたりが,いちばん教育に欠けているということを痛感します。研究はそれぞれのモチベーションだと思います。しかし,制度に関係するようなことは,もう少しジェネラルルールを真剣に考えて作っていく努力をしないと前へ進まないのではないでしょうか。
町並 本日は長時間にわたりありがとうございました。

(おわり)