医学界新聞

 Nurse's Essay

 “がんばるぞ!”のモト

 宮子あずさ


 私のもとには「看護婦になりたい」という相談や,「看護婦になるぞ!」という決意表明のお便りが,少なからず寄せられます。
 基本的には無精ものの私も,こうしたお便りにだけは,がんばって返事を書いているのですが……。これは自分自身の責任をずっしり感じる作業でもあるんですよね。
 その責任というのは,まず何より臨床の看護婦を続けていこう,ということ。 見ず知らずの人の生き方を,僭越にもちょっと揺すぶってしまったのなら,当の本人がたとえそのことを忘れていくとしても,私はその重さを受けとめて生きる責任があると思っているんです。
 「看護の大切さ」をこんこんと病棟で話してくれた臨床指導者が,私の就職と入れ違いで退職した寂しさは,人それぞれの事情があるとはわかっていてもなかなかツライものでした。
 私自身は,なるべくそんなことはしたくないと思ってるし,基本的に仕事を続けるのは,自分のため……。
 特に私の場合はこの業界への勧誘に近いことをしているわけで,「こんないい仕事はないぞ!」と誘っておいて,自分はやめちゃうなんて,そんな不義理はしたくない。生きていく上で,責任と志は,なりゆきと同じくらいやっぱり大事です。
 毎年3~4月は,特に看護学校に入ったという報告をいくつかいただく時期なので,そんなことを考えては“ふんどしを締め直して”います。
 特に今年は,中学時代の同級生が,私の卒業した看護学校に入学したせいか,なおその気持ちを強く持ちました。2人の子どもを抱えての学生生活はきっとたいへんでしょう。私がちょうど勤続10年となるこの年に,同じ年齢で,看護学生としてのスタートを切ろうとするその勇気に,私はかなり感動しています。
 途中退職から人手の少ない年度末は,へろへろになって家に戻ります。日勤続きの日など「本当にこの勤務を乗り切れるんだろうか」なんて,たどり着いた家の玄関でボー然と立ちつくすこともしばしば。
 「彼女が卒業して就職するまで,絶対がんばるぞー」なんて,自分を励ましたり。でもこんなことを繰り返しながら,きっと私,ずっと働いていく予感が……。
 人間って,1人ひとりの力は小さいけれど,何らかの影響を人に与えつつ生きているのではないかと思います。皆さんのまわりにも,皆さんの姿を見て,看護婦になった人がきっといるのでは?
 それもまた働く励み。
 がんばるぞ!のモトをどう探すかも,働き続ける智恵の1つなのではないでしょうか。