医学界新聞

NURSING LIBRARY 看護関連 書籍・雑誌紹介


現象学を糸口に人間的看護のあり方を模索

看護することの哲学 看護臨床の身体関係論 鈴木正子 著

《書 評》平 典子(北海道医療大・看護学)

 「看護婦にもっとも必要とされることは患者理解であると言いつつ,身体に触れてそばにいつつ,その患者が何を感じて何を体験しているのか,また,自分と患者との間に何が起こっているのかをどのように自覚しているのであろうか」。この冒頭の章における問いかけが,本書をつらぬく著者の基本的モチーフであろう。

患者-看護婦関係の身体性をみつめる

 著者はこの問いに対して,現象学という方法論を糸口にして,看護の対象となる人間を理解する(患者を知る)とは,そして看護するとはどのようなことなのかを論じていく。その際の最も重要なキーワードが「身体」である。身体の意味を問い直し,患者-看護婦関係の身体性をみつめることによって臨床の場で生じている看護のリアリティにせまる。人間的な看護のあり方を模索しようとする著者のパッションがひしひしと伝わってくる本である。
 人間を対象にした実践領域における方法論を考える場合には,まず,その対象となる人間の捉え方や見方が問われる。著者は,人間を「個別的な,変化する,1回限りの人生を生きる,時間的・歴史的存在」として捉える。また,身体と精神はそれぞれ別のものを指すのではなく,人間は,精神としての身体を携えて,身体として存在するとみなしている。そのような身体としての人間はまた関係としての存在でもある。関係の中で痛みや苦悩が表現されたり癒されたりする。患者とかかわる看護婦もまた同じように身体としての存在なのである。人間存在のこのような捉え方に立って看護の事実が語られ,看護婦という存在が意義づけられている。
 著者は,患者「について知る」ことは患者「を知る」ことと同じではないとし,前者の立場すなわち自然科学的客観性を重視する医学知識や情報に支えられた従来の大方の方法を批判する。たしかに,いくら多角的に情報を収集し分析して重ね合わせても,それだけでは患者の全体像,生き生きとしたその人の姿を理解することにはならない。学生に患者の全体像に近づくとはどのようなことかを理解してもらうのに苦労する。身体的,心理社会的側面の“統合”を力説しても根本的な解決にはならないのが,私の教員としての現実問題である。
 では,全体的なその人の存在に迫るように患者「を知る」とはどのようなことなのか。著者によれば,現実の直接的なかかわりの中で看護婦が体験的につかんでいる「直接の知識」であるということになる。私なりにいいかえれば,“身体としての存在”を“丸ごと”受け取ることである。

癒しをもたらす5つのアプローチ

 看護アプローチを考えるとき,著者は,単に問題を解決したりニードを満たすという方法を機能主義的アプローチであると批判し,患者-看護婦関係にもとづく看護婦の役割や関係性そのものを吟味する方法論を持たなければならないと述べる。そして,このような「関係」が成立する5つのアプローチをあげている。つまり,看護行為を「行なう」,患者の身体を「見る」,患者の体験世界を「聞く」,患者とともに「いる」,身体に「触れる」である。この5つのアプローチが渾然一体となって看護婦に現出し,人格的接触により何かが生まれたとき,患者に癒しという体験がもたらされると言う。このことを述べた2章から3章にかけてが本書のハイライトだと思う。
 患者とのかかわりの中で,何かが変わったと直感した瞬間の体験を持つ看護婦は多いのではないだろうか。何が変わったのか,それはなぜなのか。自分の体験を著者の考え方に照合してみると,あのときの変化は患者の中に安心感や信頼感が生まれたために起こったものであり,それを患者の身体を通して自分の手が感じとったのだと思える。まさに患者の側にいて,身体に触れて,自己の身体を起点にして看護場面は展開されていると了解することができる。
 以上,私なりに本書から得た理解を述べさせていただいたが,現象学的用語に不案内ゆえに理解困難を感じた部分や著者の論旨をそのまま首肯できないと思われる部分もあった。認識のあり方としての主観・客観の問題では,看護婦の主観の不当な扱われ方を,従来の客観性への傾倒に対比して問うだけでは不十分であろう。純粋な客観は存在しないと主観-客観の図式を取り払い,主観が間主観性として成立する恣意的には動かしがたい確信であるとするならば,この確信は,間主観の構造からどのようにもたらされるのであろうか。看護婦の感情もまた,冷静で科学的な態度の対極として重要視されるというよりは,間主観性における自己投入と関連して考えられるべきではなかろうか。
 さらに,「訓練された目であるがままに観て取る」とは現象の本質を観取することだと思うが,訓練とはどのようなものなのか。それは,いわゆる現象学的還元という内省の仕方とどのように関連するのであろうか。しかしある意味では,このような疑問を抱かせてくれることが“本を読む”ことであり,それらの疑問を自分たちの実践において解きほぐそうと努力することを,著者は読者に求めているのかもしれない。
A5・頁168 定価(本体2,500円+税) 医学書院


基礎から具体的活用まで体系的に学べる

事例で学ぶ看護診断 ジュディス・H・カールソン他 編集/江川隆子,小野幸子 訳

《書 評》山勢博彰(西南女学院大)

 現在,世界的な広がりをみせる精力的な看護診断の開発は,1973年にセントルイスに集った看護者集団による,第1回全米看護診断分類会議に始まった。それ以来,NANDA(北米看護診断協会)の主催によるこの会議は,1996年に12回目を数えるに至った。NANDAの看護診断体系における今までの開発努力や,将来への意欲的な試みは,看護の専門職としてのアイデンティティを確立し,社会的有意義性を広く認識させる道標的存在になっている。
 もちろん看護診断は,医学診断とは比較にならないほど歴史が浅く,まだまだ黎明期にある未成熟なものである。したがって,現実に多くの批判も存在している。例えば,看護者が診断するということへの医師側の抵抗,アメリカから輸入された診断ラベルの訳語の奇異さ,安易な診断ラベルの当てはめなど多くの問題が指摘されている。しかし,こうした批判以上に看護診断に向けられた期待は高く,試行錯誤しながらもさらに発展していくものであることは間違いない。

13の事例で実際の看護過程を展開

 さて本書は,こうした看護診断の発展や抱えている問題を踏まえながら,看護診断の有効性を理解し,その意味と看護過程での具体的な用い方が学習できる,本格的な学習書である。
 本書の構成は,2部からなっている。第I部は,看護診断の歴史的背景および現在の概念と問題について述べている。その内容は,看護と看護診断の定義および看護過程における看護診断の位置について,その歴史的発展を中心に考察したものである。
 第II部は,ケーススタディを示し,具体的な看護診断例をあげている。ケースは13例あり,人間の一生におけるあらゆる年齢層の人,様々な臨床状況と複雑なクライエントに関する問題など,広範囲な領域から論じられている。そのアセスメントの枠組みには,ゴードンの「機能からみた健康パターン」が活用されており,実際の看護過程が紙上展開されている。

一連のプロセスをわかりやすく

 この第II部では,私の専門領域の関係で,クリティカルケア領域のケーススタディに最も関心を持った。一般にクリティカルケアの場では,生理的な看護診断の扱い方など重要な問題が存在すると言われている。本書では,こうした問題を踏まえながらも,他の領域と同様,系統的アセスメントから看護診断を導き,その問題に対する目標と介入計画,さらに評価に至るまでの一連のプロセスがわかりやすく述べられている。特に介入計画では,その根拠が文献の裏付けを基に提示されており,大変参考になる。また,章の最後には演習問題が設けられており,批判的思考(クリティカルシンキング)や臨床判断を養うこともできる。
 近年,看護診断に関する書籍や雑誌の特集など,その数はますます多くなり,書店の医学看護関係のコーナーにはこうしたテーマのものをよく見かける。それらは,マニュアル式のものであったり,NANDAの診断ラベルの解説であったり,ハウツー的なものが多いように思われる。その点で本書は,看護診断の基礎を本格的に学ぶことから,臨床の看護過程での具体的な活用方法に至るまで,体系的に理解できる有用な書となるはずである。
B5・頁336 定価(本体4,000円+税) 医学書院