医学界新聞

内科・小児科統合プログラムで現在研修中

寄稿 金 一東(ブリッジポート病院・2年次研修医)



 私は現在,米国コネチカット州ブリッジポート市にある,エール大学の関連病院であるブリッジポート病院で,内科・小児科統合プログラムの2年次研修医をしています。この研修制度は,日本ではほとんど知られていないと思いますが,米国でも同様で,医学生でもその存在を知らない人もいます。この統合研修については後で述べることにして,医学生時代は講義室よりクラブの部室通いばかりしていた私が,どのようにして米国で臨床研修を行なうに至ったかについて紹介します。英語力も医学の知識もいまひとつでも,とにかく一度は米国に臨床研修してみたいという夢のある人にほんの少しでも希望を与えられたらと思い筆を取りました。

米国臨床研修願望症候群

 医学部を卒業し,5年近く一般医として働き,それなりの収入もあり,年齢も40歳を越し,妻と学齢期の子ども2人を抱え,「今さら何のために米国へ行くのだ,一種の自殺行為だ,いや社会的心中行為だ」といった友人諸氏の暖かい非難と,「長男のくせに親の面倒もみないのか」という弟たちの兄弟愛に満ちた罵詈雑言にも屈せず,長年の夢を果たすため,私は渡米し臨床研修しています。しかし,何故と聞かれても人を納得させるだけの論理的理由をみつけることはできません。もっともらしい理由をつけることもできますが,結局これは「米国臨床研修願望症候群」とでもいった一種の病気なだけなのかもしれません。
 最初に症状を表したのは,岡山大学医学部生のときです。英会話習得熱が高じて2年間大学を休学し,米国留学のための資金稼ぎと,サンフランシスコ遊学をし,果ては現地の医学部入学を目論むのですが,資金難で挫折し,結局岡山大に帰って卒業することになりました。しかし,米国臨床研修の夢は膨らむばかりで,大学卒業後,面接技術を駆使した結果,横須賀米海軍病院にインターンとして採用され,米国への一里塚を踏むことができました。インターン中は,米国で臨床研修するのに必要なFMGEMS(現在はUSMLE)の試験勉強をするのに最高の環境に恵まれていたのですが,怠け虫の虜となり,最後に1つ残った基礎医学試験にどうしても通ることはできませんでした。その後数年間は,真剣に試験勉強をするというわけでもなく,ただ夢だけは持ち続けているといった,アイドリング状態が続きました。
 研修を終え,米国式の研修が唄い文句の1つでもある宇治徳洲会病院で1年半働くことになり,ここでのハードな研修のおかげで,米国で実際に研修をしても肉体的にはまったく問題を感じなかったのです。忙しい徳洲会時代はとにかく寝ることだけにしか関心がなく,試験勉強どころではありませんでした。
 徳洲会での研修後は,東京の広尾にあるナショナル・クリニックという外国人(主に米国人)相手のクリニックで3年以上一般医として働きました。ここでも試験に対して真剣に取り組まなかったので,高い受験料だけを定期的に支払い続けただけの状態でした。ただ,このクリニックで多くの米国人患者に接したおかげで,患者さんとの英語でのコミュニケーションに多少自信を持てるようになり,米国で研修するには大きなプラスでした。

とにかく米国へ

 ナショナル・クリニックを辞め,単身渡米して,基礎医学試験のための勉強に専念することにしました。資格は旅行者ですが,サンフランシスコの安ホテルに滞在し,カルフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)という,全米1,2にランクされている医学部の図書館に,毎日通って勉強する予定をたてたのですが,またしても怠け虫に冒され,同ホテルに滞在の日本人学生らと遊び回る日々が続きました。それでも試験直前にはなんとか勉強する時間を持つことはできました。そして念願の基礎医学試験に合格することができ,米国臨床研修の実現に向けて大きな一歩を踏み出すことができました。時期的に7月からの研修に間に合わなかったので,1年間,米国の大学院で勉強して,MPH(master of public health)という公衆衛生学修士号を取ることにしました。そして,ニューヨーク市にあるコロンビア大学公衆衛生大学院修士課程に入学することになりました。

研修開始までのさらなる困難

 コロンビア大学での生活はとても厳しく,授業,試験,宿題やレポートをこなしていくのに徹夜を何度も重ね,臨床研修のための願書の取り寄せや,必要書類を集めたり願書を送ったりする時間を捻出するのにとても苦労しました。結局,米国人医学生の大半が提出するであろう時期である秋に送った願書は1つもなく,何とか5通は年内に送ることができましたが,後の5通は年明けになってしまいました。
 コロンビア大での忙しさは,通常1年半から2年かかる課程を9か月で取ろうとしていたことにあったのですが,それでもあと数か月後には修士号を取るんだと,決死の覚悟を決め後期授業にのぞもうとしていた矢先,テレビを何気なくつけて,信じられないほどの大きなショックを受けました。それは阪神・淡路大地震で,私の実家は被害の大きかった長田地区に接する所にあったのです。すぐに大学に休学届けを提出し,妻子を残し日本へと飛びました。実家は完全に灰と化し,私が日本に残していた荷物も消滅してしまいましたが,私の親兄弟は,あの大惨事の中,軽傷のみで奇蹟的に助かりました。

マッチング成功

 2月に入って,米国に残してきた妻から電話があり,至急ブリッジポート病院の内科・小児科統合研修部長に連絡を取ってくれとのことでした。それは,面接の知らせだったのです。この年の臨床研修をほとんどあきらめていた私には信じられない朗報でした。日本から面接の日時の指定をし,すぐ米国に戻りました。面接の日は,マッチングという研修医側と研修病院側の一種の「コンピュータお見合い制度」の,締切の2-3日前のことで,ブリッジポート病院が私の第1志望の病院でもあり,病院や研修内容に対する印象もよかったので,面接が終わるや否や,ニューヨークの某ホテルの会場に直接出向き,私のマッチング・リストを直接コンピュータに入力してもらいました。
 その結果は,3月中旬,USA TODAY紙上にマッチングされたすべての研修医の受け付け番号が載るのでわかります。妻からマッチングされたとの結果を受けて,財政上の問題を整理し,6月下旬の研修オリエンテーションに間に合うよう,米国に戻りました。いろいろとトラブル続きでしたが,とにかく研修の幕は開きました。

内科・小児科統合研修(Combined Program)

 米国で卒後研修(レジデンシー)というと,3年から5年程度の専門医研修のことですが,これは例えば,3年間の内科研修や,5年間の一般外科研修を指します。さて,小児科専門医の資格と,内科専門医の資格を別々に取ろうとすると,普通6年かかることになります。米国では,ある専門医の資格を取った後で,さらに他の専門医の資格をめざす人が少なからずいて,それなら,最初から比較的関連した分野の2つの専門医の資格を短期間で取れるようにすれば,時間的にも経済的にも効率的なはずです。それでこの統合研修(combined program)ができたのかどうかは,私の想像の範囲を出ないのですが,内科・小児科統合研修は,4年間の研修で両方の専門医の受験資格が取れる欲張りな研修で,4年間という短期間で2つの専門医の受験資格が取れるのは,10ある様々な組み合わせの統合研修の中でも内科と小児科の組み合わせだけで,あとの統合研修はすべて5年以上かかります。
 内科・小児科統合研修の歴史は比較的新しく,約25年前に4つの病院から始まったのですが,私が現在所属しているブリッジポート病院もその1つで,内科・小児科統合研修は,この領域のプライマリ・ケア医の養成を主眼に置いています。家庭医が全科型で,非都市圏型のプライマリ・ケアに適しているとすると,内科・小児科統合医は,特に専門医指向が強い産婦人科と一般外科を除く非外科系の都市圏型プライマリ・ケアに適しているとも言えます。また都市圏の大病院では,内科の患者の場合は内科専門医,小児科の患者の場合は小児科専門医にしか入院許可権を与えない傾向があり,この意味でも両専門医の資格を持つ内科・小児科統合医は都市圏型プライマリ・ケア向きと言えます。一方,研修では,内科または小児科ストレート研修とほとんど同じ内容なので,研修終了後それぞれの科の専門医の道を歩み,プライマリ・ケアから離れてしまう人もいます。これは研修終了後の選択肢が,他のストレート研修の者に比べ幅広い結果とも言えますが。
 内科・小児科間のローテーションの仕方は病院によって多少差があります。例えばブリッジポート病院の研修では,内科と小児科をそれぞれ8か月ごとにローテーションしますが,6か月ごとや4か月ごとにローテーションする研修もあります。各々一長一短があり,どのぐらいの期間でローテーションするのが理想的なのか,回答は残念ながらありません。また研修内容も病院によって多少の差があるようですが,各々の専門医資格を取るのに最低必要な研修内容は,米国内科学会あるいは米国小児科学会のような専門医試験を施行する団体が詳しく定めてあり,私たち内科・小児科統合研修医もそれぞれの科の必要研修内容を消化しなければならないので,時間的には大変です。

ブリッジポート病院での研修

 当病院の場合,初年度研修で,内科8か月の間に病棟研修を4か月,ICU研修,CCU研修,救急医療研修を1か月ずつ,それに外来研修が1か月あり,この間に,週3日決められた開業医の診療所でも研修することになっています。また,1週間に半日,継続外来診療(continuity clinic)といって,自分の外来を持って割り当てられた患者さんの継続診療を4年間通じて行ないます。小児科研修の場合,3週間ごとの小刻みなローテーションで,合計4か月近くの外来研修になっており,あとは新生児ICU研修を6週間,病棟研修を6週間,新生児室研修を6週間,エール大学小児病院病棟研修を3週間,そして学校などの施設での発達研修を3週間行ないます。
 2年次以降は,病棟やICUの義務研修以外の専門科選択研修が半分以上あり,内科は6週間のエール大学ローテーションを除いて,そのほとんどの選択研修をブリッジポート病院で行ないます。小児科の場合は,研修自体がエール大学ブリッジポート・プログラムになっており,ほとんどの専門科研修をエール大小児病院で行なうことになっています。またエール大からも研修医が当院にローテーションしてきますので,両病院の小児科間の交流はさかんです。

研修で何を学ぶか

 16か月の初年度研修を終えて,最もハードだった研修は,内科のICU研修(ICU研修担当医が超激情型の人間だった),エール大小児病院病棟研修(当直が忙しかった),それに内科のある2年次研修医と一緒に働いた6週間の病棟研修(この2年次研修医がなまけもので,ほとんどの仕事を自分1人でする羽目になった)でした。
 米国での研修は一般的に,カンファランス等の教育的時間が多くあり,またディスカッションもさかんで,臨床に役立つ知識を様々な機会を通して学ぶことができます。また,疾患に対しては病態生理を,治療に対しては適応を,絶えず考える習慣がつくようになります。それに基本的なことを繰り返し行ないつつ,論理的思考を養おうとするので,診察,診断および治療に対し必然的に合理的アプローチを学ぶことができます。
 一方,病院での拘束時間は,過去の研修と比べるとかなり短縮されてきており,午後5時までには大抵の研修医は帰宅しています。当直も密度で比較すると徳洲会での半分以下で,研修全般的での肉体的疲労度は半分ないし1/3以下です。ただ知的要求度は高く,1年次研修医はワシントンマニュアルをはじめとするマニュアルや教科書を,2・3年次研修医はNew England Journal of Medicine誌や他の重要な論文に絶えず目を通していなければならず,この意味では時間的に忙しいと言えるでしょう。
 エイズ,麻薬患者,アル中,あるいはそうした問題を抱えた親から生まれ様々な先天的疾患や障害を持った子ども,暴力的および性的被虐待児,低年齢出産等の頻度が日本に比べはるかに高く,医療とともに社会的アプローチが必要とされることも多く,いろいろ考えさせられた16か月でした。

 最後に,今回の米国臨床研修実現のために多大なご支援とご協力をいただいた岡山大学医学部,横須賀米海軍病院,宇治徳洲会病院,ナショナル・クリニックの諸関係者並びに,日米医学医療交流財団の皆様に心より感謝をしたいと思います。