医学界新聞

連載 市場原理に揺れるアメリカ医療(10)

医療サービス供給者

李 啓充 Kaechoong Lee
マサチューセッツ総合病院内分泌部門,ハーバード大学医学部講師


 「私は昔医者をしていた。……今,人々は私のことを医療サービス供給者と呼ぶ」。
 第8回(第2218号)に紹介した,ジェフリー・M・サーストン医師の著書『思いやりが消えるとき(Death of Compassion)』の書き出しである。この本の副題は「絶滅しつつある医師・患者関係」であるが,マネージド・ケアの隆盛に伴う医師・患者関係の変質ぶりについての著者の危機感が全編を貫いている。

「供給者」と「消費者」

 この連載でも「医療サービス供給者」という言い方が何度も出てきたが,保険会社にとっては,保険加入者(従業員)の保険料を支払う雇用主(企業)が「支払い者」であるのに対し,医療行為を行なう医師・病院は医療サービス「供給者」であり,患者はサービスの「消費者」でしかないのである。医療サービス供給サイドが患者を消費者としてしか見なくなれば,当然のことながら,患者サイドも医師をサービスを売る商品販売者としてしか見なくなる。医療における消費者運動がさかんになるのも無理はない。
 医師・患者関係は時代とともに変遷してきた。一昔前は医師が絶対的保護者として情報を独占し,その後,医療訴訟の急増,患者の権利意識の向上などで,インフォームド・コンセントのもとに医師と患者とが情報を共有するという流れになったが,この間,医師は患者の最善の利益を追求するものだという原則は,自明のこととして,今ほど疑われることはなかった。
 医療現場が市場原理の荒波に揺れる今,保険会社の立場は非常に強く,医師は保険会社に首根っこをおさえられていると言ってよい。保険会社から様々な経済的制約を受けるだけでなく,例えば医師と保険会社との間の契約に口止め条項が含まれているとしたら,医師が医療上必要なすべての情報を患者に与えているという保証はない(第4回2206号参照)。さらに,第8回(2218号)でも紹介したように,医師が患者の最善の利益を追求しようとすると,保険会社と衝突することもありうる。
 患者としては,医師が自らの経済的利益を捨て,さらに保険会社と事を構えてまで患者のために最善を尽くしてくれるのかどうか,無前提に医師を信頼するということが難しくなっている。

患者側の自衛手段

 過剰医療あるいは過少医療の危険から身を守るためには,患者は自分の主治医がどのような形で保険会社から支払いを受けているのかを知る権利がある,という主張が説得力を強めており,現在ニューヨーク州では,医師が患者に開示すべき情報に,医師が保険会社からどのような形で支払いを受けているかの情報を含めるという立法処置が検討されている。
 例えば,頭割り制の支払いを受けている医師が,ある処置が必要だと言えば,医師は自分のもうけにならないのにその処置を勧めているのだから,その処置の必要性が患者に納得できるはずだというわけである。
 医師の経済的動機だけでなく,医師の資質そのものも,情報開示の対象となってきている。消費者が商品を購入するにあたって,商品の善し悪しに関する情報を得たいと思うのはまったく自然なことだからである。
 マサチューセッツ州では,医師の学歴,トレーニング歴,医療過誤訴訟に巻き込まれた前歴,発表論文の詳細等,医師のプロフィルに関する情報について,患者は医務監察局に請求できるという法律を,昨年8月に全米に先駆けて成立させた。この法律は10年間にわたる消費者運動の努力により成立したものであるが,当初は反対に回ったマサチューセッツ医師連盟も,形勢不利と判断するや,開示事項に関する条件闘争に方針を変更し,最終的には法案に賛成するという立場をとった。

後戻りできない? 医師・患者関係

 カリフォルニア州の神経内科医ビンセント・リカルディは,さらに過激な方策に訴えようとしている。彼は,医師・患者関係は後戻りできないところまで変質したとの認識に立ち,「アメリカ医療消費者」という新たな企業を設立した。患者の利益を代弁し,医師を相手に患者のケアについて交渉する「個人医療アドバイザー」のサービスを提供するというのである。
 アメリカ人にとっては,自分の利益を代表するために専門家を雇うことは突飛な発想ではない。例えば,住宅の売買にあたっては,売り手買い手双方とも弁護士を間に立て,手続きに不備がないよう,そして相手に騙されないように,高い弁護士手数料を払うことを厭わない。医師が患者の最善の利益を追求するということが信じられなければ,自らの利益を代表するために医師と渡り合うプロを雇うという発想は,極めてアメリカ的なのである。
 リカルディ医師は次のように説明する。「これからの患者は医師に対する対決姿勢を強めていかなければなりません。もはや,医師に対する信頼感などというものは消滅してしまったのですから,医師と対決したところで失うものなどなにもないからです」。