医学界新聞

一般外来で出会う精神症状にどう対応するか

新刊『一般外来の精神医学 精神科医と内科医のクロストーク』に見る医師の役割と現代医療の課題



 さきごろ,医学書院から『一般外来の精神医学 精神科医と内科医のクロストーク』が刊行された。この本の中心は,精神科開業医の浜田晋氏と,総合病院の内科医である高木誠氏との対談である。浜田・高木の両氏は,内科医をはじめとする医師が外来で遭遇する様々な精神症状への対応について,またそこから浮かび上がる現代医療の危機的状況について,縦横に語り合っている。
 冒頭には浜田氏執筆による序章「今日の外来精神医学」を収載し,一般外来での対応に必要な基本的考え方を提示。さらに全4章のうち1章には,ゲストとして野末聖香氏(横浜市民病院リエゾン精神専門看護婦)と重松敏子氏(浜田クリニックケースワーカー)が加わり,精神症状を持つ患者に対するチーム医療についても考察されている。
 本号では,浜田氏と高木氏へのインタビューを掲載するとともに,本書の内容の一部を抜粋し,紹介したい。



対談は,1995年1月に起きた阪神淡路大震災をめぐる会話からスタートする。

阪神大震災から考える

内科との連携の重要性を痛感
浜田 長田からタクシーに乗って,いちばん遠くて辺鄙な仮設住宅に行ったんですよ。みちみちそのタクシーの運転手さんの話を聞いていたら,運転手が被災して1か月後に心筋梗塞になっているんです。……心理的ダメージが心筋梗塞という形であらわれたのでしょうね。私は不覚にも全然考えてもいなかった。われわれは同僚の精神科診療所が破壊された,そこに通っている患者さんはどうなるかというレベルで考えていたけれども,医療人としてもっと内科の先生方と一緒に考えていかなければいけないテーマじゃないか。……内科の医者と精神科の医者とがもっと仲良くならなければいけないということを感じました。

他科との連携がない孤立した近代医療
高木 内科のほうからみると,精神科というのはどっちかというと,内科の中で手に負えなくなって,押しつけるみたいな形で「お願いします」みたいなことが今までは多かったと思うんです。そういう発想だと,いつまでたっても,そういう災害の現場でもそうですけれども,最初から精神科の「心のケア」が必要だという発想はまったく欠如すると思うんですね。震災だけじゃなくて,ターミナル・ケアの問題とか,いろんなところで「心のケア」の重要性がいわれていますけれども,そのへんは内科医の考え方は非常に遅れています。

精神科医の意識を変えられるのは内科医
浜田 ……医者同士のつながりというのはリエゾンの始まりだと思うんだけれども,liasion psychiatryなんていうんじゃなく,もっと日頃から内科の医者と付き合ってほしい。精神科医の意識を変えられるのは,やっぱり内科の先生方だと思う。だから,お互いの関係で変わらなければいけないのじゃなかろうか。地域医療の原則は,私は他者をいかに自分の中に取り込んでいくかというプロセスだと思う。
 テーマは震災からさらに広がり,医師・患者関係から医学教育にまで及んでいる。

一般外来でみる精神科症状

 次の章で話題は日常診療の場面へ。「面接」の技法や,家族との関係,そして身体的な訴えを持ちながらも器質的疾患のない患者への対応が話し合われる。

どのように患者と付き合うか
高木 そこで,「これは神経だ」と言ってすまされないという状況がでてくるんですけれど,そこから「患者とどう付き合うか」ということにもなってくる。検査も終わったけれども,結局,身体的な異常は見つからない。しかし患者さんの訴えは続くという状況になってきた場合ですね。
浜田 ……一応検査が終わって器質的な異常がない。そこからまた新たにどうするかという問題じゃなくて,ずっと初診時からつながった人間関係の連続性の中にあると思う。「これは神経だ。全然異常がないよ」と言って追い返してもいいケースもあると思いますよ。それを全部引き受けることはない。
 ただ,やっぱり相性というのか,「この先生になんとかしてもらいたい」と思ってその医者にくらいつく患者というのはいると思うんですね。そういう患者をどこまでその医者が受け入れていくか,そのへんの医者側の気持ちの上での余裕もあるんじゃないのかね。相性もあるだろうし。だから,「すべてそれを内科の医者が受け入れねばならない」という,あんまり硬い考えはとりたくない。この先生になんとかしてもらいたいという患者を,どう受け入れるかという個別な問題じゃないでしょうか。

精神疾患の病態とケア

 一方,一般外来で医師が遭遇しやすい個々の精神症状(老人性うつ病,老人性痴呆,老人の幻覚被害妄想,睡眠障害など)への対応については,章を改めて鑑別や薬物療法を含めて具体的に解説されている。

老人性うつ病
浜田 ……これ(老人性うつ病は)は,精神科には来なくて,最初は内科に行きます。身体症状を訴えて内科に行くわけだから,内科の先生が最初に出会う医者ですね。これは内科医にとっても大切な今日的な病気になってきました。
高木 内科医というのは,患者さんの気分についての問診をあまりしないとよく責められるんですけれども,まずどういうところから,この方は「うつ」があるんじゃないかということを疑うんでしょうか。
浜田 訴えとしては,食欲がない,口がかわく,だるい,眠れない。それで,内科の先生は胃カメラで調べたり,いろいろ検査をするわけだけれども,器質的なものではないということで,「どこも悪くありませんよ」といって帰しちゃうケースが相当多い。

軽い薬から始めて患者の反応をみる
浜田 医療は,まず疑ってみることから始まる。もしかしたら,うつ病かもしれない,もしかしたら薬の飲みすぎかもしれないという目で複眼的に見てほしい。あまり強い薬ははじめから使わないでね。
 もしかしたらうつ病かもしれないと思ったら,そこでずっとその先生がうつ病の治療をしていくのか,精神科に回すのかという問題もありますよね。
高木 そこが問題ですね。
浜田 ケースにもよるし,その医者との関係にもよるんだろうけれども,……ただ右から左に回せばいいというものでもない。「これは,いま流行りのうつ病かもしれないから,ちょっと神経科の先生に相談したほうがいいんじゃない?」といつどんなふうに言うかですね。……抵抗感を持っている場合にはまず軽く治療してみて時を待つことでしょう。
高木 そうですね。……ドグマチールとか,そういう軽い薬を出して,反応が非常によくなるというようなことが多いとするとやっぱり,僕は内科医でもやってみるべきだなあというか,やってみたいなという気はしますけどね。

精神科看護

 さらに第4章では,野末聖香氏と重松敏子氏をゲストに迎え,看護婦とケースワーカーの役割を中心に,チーム医療のあり方が語られている。

リエゾン精神看護とは
野末 私の仕事は「リエゾン精神看護」という仕事です。「リエゾン」(liaison)というのは,連携する,つなげるという意味です。私の専門領域は,「身体の病気を持つ人の心の看護」です。体の病気で入院,通院している患者さんやその家族の心の問題を,精神看護の知識や技術を適用して援助する仕事なんです。たとえば,入院してパニック状態に陥ってしまう,夜眠れない,抑うつ的になってしまう,というような患者さんがいらっしゃいます。そのような患者さんのケアにあたったり,患者ケアの方法について,看護婦にコンサルテーションしたりしています。

ケースワーカーは縁の下の力持ち
野末 (リエゾン精神看護は)今までなかった仕事ですので仕事が見えづらいと思うんです。仕事の中身を示したり,評価したりしていく必要があると思います。仕事の内容が幅広いですから。
浜田 それは,ケースワーカーの重松さんもそういうものを感じるよね。
重松 感じます。同じような立場ですね。診療所ですから,受け付けがあって患者さんが待合室で待ってますね。すると,待てなくて声を出したりうろうろしだしたり,そういうときに受け付けの人が声をかけてあげるだけでずいぶん違う。私が受け付けのそばに座って,お馴染みになったような古い重症の人たちにはちょっと声をかけて,それだけで表情がすごく違ってきます。
 ……それと,先生のところでは長い話ができませんので,その話し足りなかった分を聞いたりとか,そういうことはやります。だから,私はワーカーですけれど,たぶん役割としては野末さんと同じような役割をとっているでしょうね。でも浜田クリニックには看護婦さんがいませんので,看護婦さんの技術を持っていたらどんなにいいかしらといつも思いますけれども。
浜田 隙間を埋めていく仕事かな。縁の下の力持ちというような……ひと声かけるだけでずいぶん違いますよね。医者にちゃんとくっついて,医師患者関係の中だけである程度すんでいる人はいいんだけれども,医者に対して非常に不信感をもったりとか,まだ話し足りないときにそれをもうひとつ受ける人がいるといないでは,すごく違ってくる。

 本書には,ここで紹介した以外にも,日常診療のヒントとなる話題が多く提供されている。そして各章において,社会と医療の関係,現代医療の矛盾や問題点が指摘されていることも,大きな特徴である。
 「心と身体を分けるところから,近代医学は不幸な道をあゆむことになる。そのあやまちを認め,ではどうするかを,一般科の医師,ナースたちと精神科領域で働く人々が語り合うことが必須であろう」(「まえがき」より)との浜田氏の言葉に,本書に込められたメッセージが集約されている。