医学界新聞

対談  クリティカルパス
   -その導入に向けて

笹鹿美帆子
(東京都済生会中央病院看護部)
 金井-Pak雅子
(国際医療福祉大学助教授)

産業界から生まれたクリティカルパス

金井 「クリティカルパス」という言葉が医療の中でクローズアップされるようになりましたが,日本ではまだなじみの薄い言葉のようです。そこで,クリティカルパスとはどういうものなのか,また医療界に導入されてきた経緯や背景について,その問題点,また日本での導入が可能なのかを探ってみたいと思います。笹鹿さんはアメリカに留学され,このクリティカルパスに接し,現在東京都済生会中央病院(以下,済生会中央病院)で実際に開発,作成にかかわっておられますが,まず最初にクリティカルパスとはどういうものなのかについておうかがいしたいと思います。
笹鹿 クリティカルパスは,もともとは1950年代に産業界で生まれた言葉で,行程において最も時間を有する作業を序列してできた「臨界経路」という意味です。
 最初に使われたのが製油会社です。1年ごとのマニュアルメンテナンスの時にいろいろな契約者が入ってくるので,そのコーディネートをするために使われました。各契約者の行なうそれぞれの行程についてクリティカルパス法を実施することで流れを知り,効率的に作業を行ない,不必要な労力配分をしないようにしたそうです。現在でもコンピュータですとか建設の分野などの,多くの人がかかわる職種で,1つの作業をするためのツールに使われています。
金井 医療においてはいつごろ紹介されたのですか。
笹鹿 1980年代に,アメリカのニューイングランドメディカルセンターで,修士を取得している臨床経験14年の看護婦であるカレン・ザンダー氏によって開発,導入されたのが始まりです。
金井 そうしますと,最初に取り入れてからおよそ20年近く経つわけですが,アメリカではどのように発展し,どう使われているのでしょうか。
笹鹿 現在アメリカの病院の3分の1がクリティカルパスを使い,院内における毎日のケアを行なっていると言われています。アメリカでの医療費抑制策は厳しく,DRG(Diagnosis Related Groups;1983年にアメリカで導入されたメディケア患者に対する診断群別定額支払い制度)対策としてクリティカルパスをすぐに使い始めた病院はサバイバルしやすく,しなかった病院はわりとつぶれる傾向にあったとも聞いています。経営面でも,質を落とさずに経済的な効果を追求できるというところが大きいメリットだと思います。
金井 いわゆる経営の質と効率性,その両方をいかに同時に追求するかということに焦点があてられているわけですね。

済生会中央病院での開発,導入

金井 アメリカで1980年代に取り入れられたクリティカルパスが,日本での導入が考えられるようになり,済生会中央病院では日本で最初にクリティカルパスを作成したとうかがっています。どのようなきっかけからなのかをお話しいただけますか。
笹鹿 最初かどうかはよくわからないのですが,済生会中央病院包括看護担当副院長の山崎絆が,ある雑誌で「クリティカルパス」の記事を読みまして,「こういうものがあれば一定した医療が供給でき,質の保証も図れるのではないか」と考えたのがきっかけです。院長も「病院にとってメリットが大きいのではないか,将来DRGの定額制のようなものが日本でも導入されるのではないか」ということを見越した上での経済性,また済生会中央病院における医療の質の保証を考えて,推進のためのバックアップをしてくださいました。
 そこが出発点となっています。将来はおそらく定額制の導入がなされ,医療の効率性を考えなければ病院が生き残れないということも意識して,それに向けての投資という考えも1つあります。
金井 実際に作成するまでのプロセスですが,クリティカルパスというのはどういうものなのかについて,職員に対し教育するという場面もあったと思いますが。
笹鹿 エデュケーション・アンド・コミュニケーションというキーワードがありまして,そのエデュケーションの部分では,いかに院内に普及させるかについて,セミナーやミニセッションを開き理解を深めてもらいました。実際には2回ほど,看護職だけではなくコメディカルの人たちに呼びかけてセミナーを開きました。また,医師やコメディカルの方々を自由に招集してもよいという権限が与えられているクリティカルパスの研究班がありまして,そこでまずは協力してくれそうな医師とコメディカルを招集し,その人たちに「クリティカルパスとは」という教育をしました。
金井 反応はいかがでしたか。
笹鹿 さまざまでした。例えば,クリティカルパスを行なうには絶対に医師の協力が必要だとセミナーで何回も繰り返しましたので,どうしたら医師をプロジェクトに巻き込めるかに若い看護婦が頭を抱えたということがありました。
金井 セミナーに医師は参加されなかったのですか。
笹鹿 残念ながら参加していません。ただ,病院の中に正式な委員会として看護業務委員会がありまして,その年間計画の中にクリティカルパスの実施があげられています。その副委員長を内科のトップクラスのドクターが担当し,医師側の参加を促してくださっています。また,医師である院長による支持もあります。
 活動の最初として,まず病棟中心の班で脳梗塞の患者さんのクリティカルパス(図参照)を作りました。発症から自立,退院までのプロセスは6か月ぐらいと想定して始めたのですが,発症から病型診断までのたった3日間のクリティカルパスを作るのに,実は4か月もかかりました。もっと短期間にできると思っていたのですけれど,楽ではありませんでしたね。コメディカルの方に趣旨を説明し集まっていただいて,そもそもクリティカルパスとはというところから始め,初歩の段階で大体2-3週間かかりました。どのように作っていこうかという作戦会議に,また2-3週間を費やし,それから具体的な作業に入りました。目標を設定し,その達成に向けて,その後脳梗塞に必要なケアなどについてブレーンストーミング的にみんなで話し合い,何がなされるべきなのか,何が問題なのかを1つのテーブルで討議しました。
金井 そのメンバーというのは,看護業務委員会のメンバーですか。
笹鹿 これは看護業務委員会とはまた別の集まりで,実際にケアを行なっている病棟のスタッフ,コメディカル,医師に集まってもらいました。
金井 3日間のパスを作るのに4か月かかったとおっしゃいましたが,それはほぼ完成したわけですか。
笹鹿 はい。あとは,いかに各職能に浸透させていくかが課題です。その後は実際に使ってみて,その評価をどうしていくかといったところが重要になります。
 この他にも,幽門側の胃切除術,肺切除術,冠動脈バイパス手術のクリティカルパスを作成しました。脳梗塞は最初からきっちりステップを踏みましたが,幽門側の場合には,最初に素案表というゆるいパスができていて,それをたたき台に話し合いながら作り上げました。
金井 その素案は,アメリカで作られているものですか。
笹鹿 そうではなくて,医師のアドバイスもありましたが,看護婦が中心となり独自に作ったもので,クリティカルパスとして使うにはさらに改良が必要でした。
金井 コメディカルの方々は,具体的にはどのような職種の人ですか。
笹鹿 脳梗塞の患者さんが院内でケアを受ける際に出会うメンバーで,看護婦,理学療法士,言語療法士,ソーシャルワーカー,後から放射線技師も加わりました。看護婦は婦長クラスと教育担当者クラスが2人,医師が2人というメンバーでした。

気がついた横のつながりの重要性

金井 そのような集まりをすること自体,今まではなかったように思いますが,職員の中には抵抗感といいますか,初めてということで何か反応はありましたか。
笹鹿 医師中心に指示が出てからみんなが動くというのが普通の医療の現状ですので,「脳梗塞のケアを充実させるために専門家は何ができますか」と話題を向けても,最初のうちはあまり発言が出ない状態でした。でも,2回目の終わりくらいに,ソーシャルワーカーから「上の者から,看護婦は何を始めたのか,何をしてほしいのか聞いていらっしゃいと言われたのだけれども,そうではなく,患者さんのケアを充実させるためにソーシャルワーカーとして何ができるかが知りたかったんですね」という発言がありました。その時に,金井先生のおっしゃるとおりに,いままではこういう話し合いがいかにされていなかったのかを実感しました。
金井 患者さんを中心にそのケアについて関係者一同が話し合う場は少なかった。でもそういった視点,そこがクリティカルパスのコンセプトであり,大事なポイントのようですね。最初のクリティカルパスの着手からこの4つができ上がるまでにはどのくらいの月日がかかったのですか。
笹鹿 1年半ぐらいでしょうか。これまで日本の文献にはなかったものですから,クリティカルパスそのものに対する勉強期間が随分ありまして,試行錯誤を繰り返し,その後研究会の発足,業務委員会での検討という経過がありましたので,軌道に乗ってからは1年ぐらいでしたね。
金井 現在は,作成された4つのものを使う段階だと思いますが,実際にそれを使っている病棟はあるのですか。
笹鹿 はい。肺切除術と冠動脈バイパス術にはかなり盛んに使われています。カーデックスの中にそのパスを入れて,それぞれみんなでやっていくという状況です。
金井 使ってみての反響,反応は。
笹鹿 このパスどおりにいかなかった時の,パスから外れた値をバリアンスといいますが,医師はそのバリアンスの集積によって医療の質というものが評価できる,という点にかなり興味を持ったようです。また,細かいところに煩わされることなく,看護婦やコメディカルにその都度指示を与えなくてもいいといったところに興味を持っているようです。看護婦は,治療の全体像がよくわかり,ケアに生かせると言っています。また,話し合いを重ねるうちに,自分たちのケアと治療との相互関係がより明らかになり,ケアに対する理解が深まったと言っています。作り上げたパスに記録を盛り込んだり,ICU・病棟共用のものを作成したりと,さらに改良を加えていき使いやすいものにしているようです。
金井 今後は全部の疾患に波及していく予定と考えてよろしいのでしょうか。
笹鹿 全部の疾患にではなく,済生会中央病院が質の向上をねらう疾患などに,ターゲットを絞って作成する予定です。例えば経済的にも負担のかかる,あまりにも社会的に入院が長すぎるような疾患を割り出して作成していくことになると思います。
 済生会中央病院ではクリティカルパスを先駆的に開発してきましたが,課題もあります。その1つ目は,いかに実践を徹底していくかです。徹底というのは,先ほど言いましたように患者さんに何が何でもパスを使うとかいった意味ではなく,クリティカルパスの本質をしっかりと理解し,道具として使いこなし,みんながある程度同じ基準で患者さんにパスの適用をしていく,つまり足並みをそろえるという意味の徹底です。もう1つは,バリアンスの処理をどのようにして行ない,その後の医療に役立てていくか,というものです。
金井 日本では済生会中央病院が比較的早くこういう試みをされたのですけれど,将来的な展望として,これは日本に波及していくものと感じられますね。

日本の病院が導入するために

クリティカルパスは冷たい医療?

金井 アメリカでナースとして働いていた時に驚いたのは,勤務をしていると医師がさっと回診に来て,「はい,もうこの人はきょう退院」とかって言われるんですね。そうすると「あれっ」という間にもう退院手続きが整っている。日本で勤めていた時は,「状態がよくなりましたね。いつ帰りましょうか。じゃ週末ですね」というようなやりとりがあったのですが,そういう猶予はなしという感じでしたね。
笹鹿 わかります。懸念するところは,クリティカルパスは究極的に言えば,社会的入院の排除の意味も含まれており,冷たいと受け取る患者さんや医療者もおられるんじゃないでしょうか。事実,アメリカで経営学を学んだ私の友人は,クリティカルパスに取り組んでいると言いましたら,「そんなことしてどうする」という反応でした。彼には「クリティカルパス=臨界経路=ゆとりのない対策」,つまり「冷たい医療」という印象があったようです。
金井 あまりに効率性を追求すると,患者さん個人のレベルや個人のニーズが考慮されずに,「今日帰ってください」と冷たく追い出されてしまうという懸念ですね。
笹鹿 そうですね。その辺のフレキシビリティというか,柔軟性のもたせ方はそのマネージャーの裁量というか,力量にかかってくるのではないでしょうか。
金井 アメリカの場合は医療費そのものの削減ですとか,いかにして病院も損をしないか,逆に言えば儲けなければいけないかとの考えから,ある程度自由裁量になっています。しかし,日本の場合に,そのコンセプトだけ取り入れてしまうと,冷たい医療になる可能性はあるでしょうね。
笹鹿 そう思います。アメリカでは在宅医療が推進され,早期退院が推進された時に一番大変だったのは,患者さん側のパラダイムの転換だったと聞いています。次に医療者側のパラダイムの転換でしたが,日本でも十分懸念されることだと思います。
 アメリカでこの制度が成功しているのはなぜかと言いますと,患者,住民のニーズがあるから,それを充足させるための対策としてうまくいったという評価が高いわけで,日本とアメリカの文化の違いもありますし,日本でのニーズがアメリカとは必ずしも一致しないと思います。そこを理解しないままに方策だけを持ってきたら難しいでしょうね。
金井 余談ですが,私の夫は「アメリカで入院すると早く出なきゃと思うのは,とても入院費が高いからだ。日本の場合には,居心地がよくなっちゃだめなんだよ」と言います(笑)。日本の病院は,保険の範囲で自宅にいる時よりも環境をよくしたら,そこで早く帰りたいと思う人がいなくなる,ということなんですけれど。
笹鹿 今,病院におけるアメニティが盛んに言われていますが,快適な病院ほど入院期間が長くなるというデータもあります。
 アメリカで看護婦がどこで活躍したかと言いますと,病院においてはマネジドケアを実施し,効率よく急性期医療を行ない,地域では訪問看護に力を入れたことです。また,急性期を脱したばかりの患者を対象としたステップダウン病棟などのマネジメントにもあたりました。看護婦が力を入れてそれを可能にしたという背景もありますので,そういう部分も合わせて実施していく必要があるのかもしれません。

患者を尊重した医療であるために

金井 アメリカは日本の皆保険のよさを学ぼうとしていますよね。逆に日本は,現在の保険システムのしわ寄せから,保険制度そのものが経済的な危機に陥っていると言っても過言ではないのでは。
 そこで,その対策の一環としてクリティカルパスに注目している。将来的にはアメリカのクリティカルパスをそのまま取り入れるのではなく,日本的なものができるだろうと思っています。
笹鹿 クリティカルパスはノルマであってはいけない,あくまでもスタンダードだと認識しながらみんなが使っていく。そしてスタッフ,経営者などの全体像を見ながら,管理できる人がいて,そこのモラルとスタンダードとの境界をちゃんと見きわめて使っていかないといけないと思います。
 21世紀に向けてのアメリカ政府の推進策の中にヘルスプロモーションとディジーズプリベンション(健康増進と疾病予防策)があります。その分野におけるナースプラクティショナーの仕事は,国民への健康教育を図るというものです。
金井 そうしますと,国民に自己の健康管理についてより意識を持たせるということなのでしょうか。入院した時に,クリティカルパスそのものは患者さんにもお見せするわけですよね。
笹鹿 そうです。
金井 ですから,ある日「はい退院」というのではなく,「こういうプロセスで,こういう状態になったら,あなたをお帰しします」と最初によく説明し,患者さんもよく理解した上で治療が始まる,つまりインフォームドコンセントされるのです。そういう意味では,患者さんも意思決定に参画しているととらえていいわけですね。
笹鹿 そうです。その使い方はこれから最も重要になってくると済生会中央病院ではみています。患者さんに,大体の回復の見込みを話すことによって,その患者さんが希望,目標を持ち,受け身ではなく自分も頑張ろうと意欲を見せ,次からの治療に積極的に参加するようになります。自分がどのように回復していくのかについて,だいたいの目安をつけ,心づもりもできます。その意義は大きいと思いますね。
金井 それから日本では,特にお年を召した方に多く聞かれる言葉ですが,「お医者さまに任せてあるから安心」というお任せの雰囲気で医療が進むことが多いように思います。そこが日米の文化の違いでもあるのでしょうが,アメリカ社会のように権利と義務の闘いのようなことと違い,何が何でも全部説明されることを逆に望んではいない雰囲気がありますね。
 「安心して任せます」というニュアンスは,私は文化的に大事にしたいと思うのですが,その中にあってクリティカルパスはどう共存していくのかなと考えると,日本に根づくかが微妙なのではないかとも思えます。癌の告知がそのたとえになると思いますが,患者さんによっては「安心しているから別に全部知りたいとは思わない」「先生が言わないのは,もしかしたら癌じゃないのかな」と思う人がいます。そこに少しの望みを持とうとするのでしょう。そういう微妙な駆け引きが生じますよね。
笹鹿 すべてにおいてこのクリティカルパスを使い,説明と同意を得た医療を行なうのが果たしてよいかどうかというのは疑問です。そういう意味では,医学教育や看護教育の中で,相手の反応を見ていかにクリティカルパスを道具として使うかという能力を養うことが必要ですし,大切な要素になると思います。道具に左右されるのではなく,それを使いこなせるだけの教育を受けた医師や看護婦,コメディカルがいなければ,言葉だけ,道具だけが先行してしまう状態になってしまうと思います。
金井 確かにそこはとても大事なポイントだと思います。何らかのシステムが導入された時に,それが方法ではなくて目的に取りかわってしまい,それをやらなければと先走ってしまうことはとかくありがちです。そうではなく,あくまでも一方法であるという前提を,医療に携わる全員が認識して,そして日本文化に合ったように使いこなすことが大事ですね。また,都会と地方というように地域によっても違うかもしれませんし,日本全国全部同じでなければならないとなると逆に怖いですね。
笹鹿 それはとても怖い発想だと思います。みんなを型にはめて,それが医療だとはしたくないですね。対象である患者さんが何を感じ,何を考えているのかをちゃんと感じ取れる医療者でありたいですね。

(おわり)

*「クリティカルパス」については,「看護学雑誌」(第60巻8号,1996年)の「特集 看護に活かす経済感覚:看護が病院を変えてゆく(東京都済生会中央病院山崎絆氏)」および,連載「世界のリーダーに聞く(8)カレン・ザンダー氏(インタビュアー阿部俊子氏)」にも詳しく紹介されている。また,「看護管理」(第7巻6号,1997年)に「特集 ケアの質の保証とクリティカルパス」が掲載されるので参考にしていただきたい。