医学界新聞

【対談】 救急医療の新しい展開
現状の問題点と将来展望

前川和彦
(東京大学教授・救急医学)
 相川直樹
(慶應義塾大学教授・救急医学)

1次救命の重要性

救急救命士導入の評価

前川 救急救命士の制度が導入されてから5年が経ちました。そろそろ救急医療の充実にどう貢献できているかを客観的,かつ科学的に評価すべき時期にきていると思います。
相川 前川先生も私も,救急救命士発足時の国家試験委員として,どういうレベルの救急救命士を作るかを考慮しながら問題作りに当たりましたね。
 救急救命士の評価についてですが,数の上での整備はかなり進み,特にこの制度の推進役であった東京消防庁では,すべての救急隊に救急救命士が1人は常務しているという状況です。治療成績の上でその効果がどのように現れているかを明らかにしなければいけない時期だと思います。
前川 日本で最も欠けがちなのは,新しく何らかの制度を導入した時の,第三者による評価だと思います。
相川 一般に行なわれにくいようですね。この制度を導入して,数字の上では日本全体の心肺停止患者の蘇生率が3~5%程度に増え,1.5ポイントぐらいよくなったとのデータが出ているようですが,当初私たちが期待した数字,例えばアメリカのシアトルの20%前後の蘇生率に近づくという現象までには至っていません。
前川 来院時心肺停止状態の患者さんの蘇生率をエンドポイントとしてみれば,それは当然予測されたことでしょう。シアトルでは平均4~5分の間に一般市民による1次救命処置が行なわれていますよね。この市民の中には,駅などの公的な場所の職員や警察官も含みます。蘇生率が20%というのは,8分以内に電気的除細動を含む2次救命処置が行なわれた場合の数字です。
 東京消防庁のレスポンスタイムは4~5分ですが,3~4分以内に一般市民による1次救命処置が行なわれている割合はとても低い。つまり,救急救命士による2次救命処置が行なわれていても,それ以前に救命処置がされていなければ救命率は向上しませんし,むしろ,無酸素性脳症の患者さんを多く作る可能性があります。
相川 皮肉なことですね。
前川 もしかすると,蘇生後脳症の患者さんが増えているという皮肉なデータが出ているやもしれません。
相川 一般の人による救命処置についての明確な日米比較はありませんが,確かに日常搬送されてくる患者さんを見ていましてもそのような例はほとんどありません。たまにプールで意識を失った方が,トレーニングを受けた監視員によって1次救命処置をされた例はありますが,一般の方が1次救命処置をするということは非常に稀なことです。
 しかし,最近では高等学校の教科にCPR(心肺蘇生)が取り入れられたり,自動車免許証取得時の講習にCPRが入ったりしていますし,東京では東京救急協会という財団がそのあたりのお世話をしています。CPRの講習を受講する一般の方が増えてきていますので,将来に期待していきたいと思っています。

病院前救護に不可欠な 医療コントロール

相川 今,私たちは東京にいて東京消防庁の話をしていますが,地域格差も非常に大きな問題ですね。
前川 大きいですね。地方に行くと,救急救命士がまだ数人しかいないというところがたくさんあります。しかし,救急救命士が導入されることによって益するのは,むしろ地方ではないかと思うのです。基幹病院までの距離が遠い地域とか,医療過疎地域こそ,救急救命士の働く場所,導入する効果の大きい場だと思います。
相川 そのあたりもこれから検証されていくと,現場で患者さんを受け入れる私たちの立場としても,非常に働きがいがあることになると思います。
前川 それから,先生も以前から主張されておられますが,病院前救護の中でのメディカルコントロールを徹底して行なわないと進歩はないだろうと思います。
 日常的な救急救命士の行動,あるいは医療行為を含めて十分に監視し,指導するような体制を作らねばなりません。これは,例えば特定行為の拡大ということについても,ただ一方的に「いいから拡大」というのではなくて,正しい医療監視下に拡大させなければ,おそらく目的とする効果は得られないと思います。
相川 私もそう思います。救急救命士が存在しなかった時代には,救急隊というのは地方公共団体の指示下で仕事をしていたわけで,病院に患者さんを渡すまでは命令系統もその中にあって,医師の指示を受ける立場にありませんでした。
 しかし,救急救命士の国家試験は厚生省が管轄していますし,試験問題を作る委員のほとんどは医師です。また,そのレベルも医師がある程度の目標をたてています。救急救命士がいることで,血圧のデータなどもわかり,現場ともコミュニケーションが取りやすくなります。医学的レベルを維持する意味でも,コントロールを進めるべきかと思います。
前川 救急業務は消防庁の担当です。消防は各地方自治体単位でのものですから,病院前救護は地域の行政が最終責任を持つ形になっています。そこに医療がどのようにかかわっているのかが問題です。救急救命士導入以降も病院前救護への医療の関与の度合は非常に乏しいと思います。医療コントロールなしの病院前救護の突出,暴走というようなものは絶対に避けなければいけません。

救急医学教育の抱える問題

emergency or acute medicine?

相川 近年,救命救急センターや高度救命救急センターが整備され,救急患者さんの受け入れ体制は充実してきました。また,多くの国立大学でも救急医学の講座ができてきています。そのような3次救急施設では,最初から救急専門医として育った人たちが勤務する時代になったのでしょうか?
前川 おそらく今は,救急医療に携わる人が第2世代から第3世代の人たちに移行している時だと思います。言わば第1世代というのは日本の救急医学会を創立してきた私たちの先達たちで,外科や内科というそれぞれの専門科から独立して,救命救急センターや大学病院の救急部門を最初に作られた方たちです。それを引き継いだのが,私たち第2世代。そして今育ちつつあるのが第3世代の人たちと言えるでしょう。
相川 第3世代の人たちというのは最初から救急医療1本の人たちですね。
前川 ええ。そういう人たちを育てる救急医学講座が大学病院の中にすでに25講座できています。しかし残念ながら,いまだに卒後教育として一定の課程ははっきり見えてきていません。これは他の専門科についても同じで,わが国の卒後教育の実情そのものだと思います。
相川 今,前川先生は日本救急医学会の専門医制度委員会の委員長を務められていますし,私は指導医認定委員会の委員長をしています。指導医は最低10年以上の救急の専任歴を必要とするわけですが,この方たちの卒後の経験あるいは研究歴というものもスペクトラムが広いですね。
 救急の中でも,将来はサブスペシャリティということが当然出てくるわけですが,それをすでにしっかり持っているという方もいますし,単に2次救急を中心に時間外治療を一生懸命やっている方もいらっしゃいます。
前川 救急医学は,英語ではエマージェンシーメディシン(emergency medicine)といって,これは独立した専門科です。しかし私たち日本の救急医学は,アメリカの救急医学と同義ではありません。
相川 そういえば,昔,私の研究室の入口に「救急部 emergency medicine」と書いてあったのを,先生からご批判をいただいたことがありました。今は,emergency & critical care medicineと名前を変えましたが,手紙や名刺に長々と書かなくてはならず困りますね(笑)。
前川 日本の救急医学というのは,最初から大学における救急医学として位置づけられてきたものであって,一般病院や市中病院での救急医療とのつながりの中で生まれてきたものではありません。むしろ,大学での診療課程から派生した学問体系と考えられています。これは本当に日本独特の体系と言えます。
 日本救急医学会は「Japanese Association for Acute Medicine」です。このAcute Medicineというのが非常に言いえて妙なんですが,日本の救急医学そのものを表しているかもしれません。ただ,はたしてこれが英語国民に理解されるかどうかは疑問が残りますが。
相川 今から6年前ですが,救急医学会雑誌の創刊にあたり雑誌名を検討した時にもかなりの議論がありました。その時に,私もなんとなくしっくりしないと思っていたのですが,「いや,これはいいよ」と言うアメリカ人もいましたね(笑)。
前川 まさに言いえて妙なんですね。常にそういう矛盾ともいえない,概念の二重構造のようなものを持ちながら,私たちは救急医学教育に携わっているわけです。

厚生省は, 卒後教育に何を求めているか

前川 現在,厚生省が卒後の臨床研修課程の中に救急医学教育を要求していますが,おそらく彼らの頭の中にあるのはプライマリケアを含む,幅広い救急医学,いわゆるアメリカのemergency medicineだと思います。厚生省のお役人が,私たちが実践している救急医学を十分に理解していたら,初期研修課程の中で要求しないでしょう。
相川 逆に,要求されたら困るということになるでしょう。
前川 そうですね。私たちの教育はどちらかというとtraumatologyであり,critical care medicineであり,disaster medicineでもあり,toxicologyというもので,アメリカのemergency medicineとは似て非なるものなんですね。そういう本質を理解しないままに,大学病院や救命救急センターに初期研修を要求してくるのはどうかな,とさえ思います。
相川 そうですね。救急の初期研修受け入れとして3次救急医療機関が適切かというのには,大きな疑問があります。特に,今先生がおっしゃったように,日本で救急医学を専門にしているところというのは,救急医学の中のサブスペシャリティが高度で先進的なものを求め,かつかなり科学的なものを追求しているところがあります。これは大学の持つ使命ですから,当然のことです。ですから,場合によってはもう1つ,将来的にはプライマリケアを中心に診る救急部門も必要になるのかと思いますね。
 これは,現在それぞれの診療科がやっていますが,施設によっては窓口を,一般救急外来と救命救急センターとはっきり分けているところもあります。
前川 私が厚生省に希望したいことは,わが国における救急医学の現実をよくみていただきたいということです。その上で正しい要求をしていただかないと,私たちも十分に応えられないと思うのです。
 それから,先ほどの救急医学講座の問題ですが,私立大学の救急医学講座の多くは救命救急センターを母体としています。つまり診療の場が救命救急センターであって,教育,研究の場が講座という形をとっていることが多いわけです。
 国立大学の場合,現在で14と数は増えましたし,すでに私学の救急医学講座の数を凌駕しました。端的に言いますと,国立大学の次年度概算要求の第1位を救急医学講座とすれば,自動的にそうなります。しかし,残念ながら内実を伴わない救急医学講座ができている可能性があります。単にポストだけができて,診療の場もない,教育の場もないという状況です。
相川 「診療の場もない」とは,具体的にどういうことですか?
前川 これは先ほど言いました,わが国の救急医学のあり方そのものにかかわってくるわけですが,現在acute medicineと称している診療内容をしていくとなると,それなりに大がかりな診療施設や人員が必要になります。しかるに,例えば国立大学に救急医学講座ができましても,有給の教官は教授,助教授,助手の3人です。それではとても何もできない。
相川 教授が3日に1回は当直をしなければならないということですね。当直1人ということですと,実際には何もできません。最低3人の医師がいないと高度の救急はできません。
前川 おっしゃるとおりです。もしもそれが救急医学ではなくて,いわゆるアメリカのようなemergency medicineという位置づけをするならば,今度は仕事のほとんどが振り分けになってしまうわけです。
 話が元に戻りますが,内容的にcritical care medicineとtraumatologyを持った救急医学の実践をするならば,やはり多くのベッドと多くの診療要員,看護要員その他のコメディカルの人が必要です。それがないのに,救急医学講座の数が増えても内実を伴ったものにはならないでしょう。
相川 そんなことおっしゃって大丈夫ですか?
前川 どんどん言います(笑)。例えば地方の国立大学病院は,地域の基幹病院であり,地域医療の中心,救急医療の中心でもありうるわけです。その講座の整備如何によっては中心的な救急病院となりうるわけです。そういう意味では,決して望みがないわけではありません。ニードはあるのですが,そういう裏づけを急がないと,私立大学との格差がどんどん広がっていく感じがしますね。
相川 私立大学も,昔は無給医局員を山ほど抱えて働かせて,有給の医師の数が少なくても診療が成り立っていた時代がありました。もはや,そういう時代は過去のものになりつつありますが,やはりしっかりした有給の人員を揃えていかなければいけません。そういう面での整備,つまり施設の数の整備よりも質の整備というものが大事になってくるのではないかと思います。

大学病院における救急医学の苦悩

行政をまたがる救急医療

前川 救急医学あるいは救急医療というのは,非常に幅の広い領域です。行政の立場でみますと,病院前救護に関しては自治省,病院内医療に関しては厚生省,国立大学病院の医療に関しては文部省です。こういう区分けがありますと,例えば地方の国立大学が,たとえその地域の救急医療の中心であったとしても救命救急センターという厚生省の構想からは外れてしまいます。
 それから,今問題になっております災害拠点病院の要件を国立大学に求めることも難しくなる。国立大学を拠点にという要望がありながら,国立大学病院が自ら拠点病院の要件を満たすことはまず不可能です。文部省のお金をつかいながら厚生省の要求に応ずるということはほとんど不可能なことです。厚生省から文部省にお金は行きませんし,もちろん自治省からも行きません。これがいわゆる縦割り行政の弊害だと思います。しかし,救急医療や救急医学こそ,そういう縦割り行政を越えた部分であろうと思うのです。大きな矛盾を感じますね。
相川 せっかくいい学生がいるのだから,その学生たちには高度の先進的救急医療をみせながら教育をしたい。しかしその教育の現場は,私立大学の救命救急センターか一般病院に付設されている救命救急センターにしかないということで,卒前教育においてもかなりの無駄をしているようです。
 研究の面ではどうでしょうか。国立大学の場合には,研究に関してはスペースも研究費も,私立大学に比べると恵まれていると思います。ですから,それらが実際の患者さんの診療とうまくマッチすると臨床医学の面でもいい研究に結びつくのでしょうが,アンバランスになっていることがあるのでしょうか。
前川 悪口ばかりになってしまいますが……(笑)。国立大学というのは既得権最優先主義のところなんですね。ですから,新参者が入る場所がない。
相川 救急医学は新参者ですか?
前川 ええ。もちろん将来は変わっていくだろうと思いますけれど,既存の講座が痛み分けをして新参者の講座に,研究費,人員を割くということはきわめて少ないのです。既存の専門科にはたくさんの研究室があり,有給の人員も多くいます。新規に講座を作るのは構わないけれども,それに見合った研究室,研究費,人員を得ることは難しいわけです。
相川 私どもの大学も,比較的国立大学に似たような構造を持っていると言われることがあります。しかし,いくつかの私立大学では経営優先の概念,はっきり言えば診療科や教室のバランスが市場原理で決められていますね。そういうところでは,救急部はかなり大きな位置を占めていて,成功しています。
 学内に将来計画委員会というものが最近できまして,将来の研究室のスペース配分に関する提案として,ピアレビューされた英文誌に発表された過去の論文数を医局員の数で頭割りして研究業績の係数を出して決めようというアイデアもあります。ある程度がんばれば,新参者でもいいポジションが取れると楽しみにしています。

救急医はオールマイティ?

前川 しかし,私たちの行なっている日本的な意味での救急医学は,大学病院の中でかなり特別の位置づけができると思うのです。つまりそこは,卒後の若年医師にとって非常に有意義な研修の場になると考えられます。今は専門科志向が世の常で,若い人たちは卒業するとすぐに専門科に分かれますし,最近では,臓器別,病態別にどんどん分化しています。その中で,総合的に重症の患者さんを診ようというのが救急医学のめざすところなわけです。
相川 特に重症を中心にということですね。
前川 ええ。さまざまな病態を持った重症患者を全人的に診るというアプローチをしているのが,救急医学の特性だと思います。そういう意味で卒後の初期臨床研修にこれを取り込むことは非常にいいことだと思います。ただ,先ほどから申しますように,特に国立大学の場合にはそういう教育の対象,つまり患者さんと,教育を担当する人間の数に制限があって,厚生省の言うように「全員に義務化」ということになりますと,とても対応は難しいのが現状です。
 東大を例に取りますと,1年目の研修医は150人ほどになりますが,100人いる学生の他に年間150人の教育をするとなると,担当教官が10人は必要です。それが必要だということを認識していただかなければいけません。
相川 私どもでも,今,97年度の研修医の受け入れ案を作成していますが,現在の救急部で全員を2か月から4か月のローテーションで教育するというのは,物理的に無理があります。特に,4月に入ってくる研修医の臨床能力は非常に低いわけですから,それを教育するだけの教員やスペースを整備し症例を揃えることができません。
前川 例えば慶応の場合,卒前教育では救急は何コマぐらいありますか?
相川 1コマ90分授業で,入学初期のアーリーエクスポージャーで救急に関連したものが1コマあります。第3学年にさらに5コマ,その後,救急の各論は5コマ,第5,6学年の臨床のローテーション(ポリクリ)が1週間です。これも,やっと最近できたコマ数です。
前川 東大もそれほど変わりがありませんが,昔ながらの各科のコマ数で組まれています。厚生省の「初期研修の見直しに救急医学教育を」と同様に,卒前教育のあり方もやはり検討しなければいけないだろうと思います。大学教育のあり方もその時代時代のニードを反映していかなければならないと思いますね。
相川 先ほどの「重症患者を中心に全人的に診る能力のある医師」ですが,卒前の教育もそれを目標にしています。また,卒後の救急のトレーニングでは,特に将来救急の専門医になる人は,そういう能力をベーシックに備え,かつ1つか2つのサブスペシャリティを持つことが私たちの目標とするところです。最近の学生は,そういうことをかなり理解してくれています。昔の認識ですと,ケガをした人とか,お腹が痛いという人を夜中に診るのが救急だという感じでしたけれども,この頃はそういうことはありません。特にこれから卒業する人たちは,全人的な意味で患者さんを診るのだということが理解できてきたようです。
 また,医学以外の人に話をしても同様です。よく「医師と弁護士は友人に持っているといい」と言われますが,現代の医師は皆専門医ですから,多くの場合何の役にも立たない。だけど,救急の専門医を友人に持っていれば,いざという時には心強いはずです(笑)。
 実際に,非常に苦しんでいる救急患者さんの前で,最も役に立つのは救急専門医です。そこをめざして,今の若い人たちが卒前,卒後教育に臨んでくれるといいと思っています。

災害医療をどう考えるか

災害にも必要な医療コントロール

前川 災害医療の問題がクローズアップされています。先生もお気づきと思いますが,阪神・淡路大震災の体験が十分に生かしきれてない気がします。防災に関する他の側面は,私はよく知りませんが,災害医療に関していうと,どうも私たちの英知は低いんじゃないかという気がするんですよ。
 例えば先ほど来話題になっている拠点病院作りの提言などをみても,お金をかければなんとかなるという視点でものをみている。つまり,そこでの提言が役人の作文にすぎないということです。災害時に人がどう動くかという視点がまったく欠けています。新たにお金をかけて拠点作りをするよりも,今あるものをどうやって効率よく動かすかという体制作りをしたほうがよほどいいと,私は思うのです。
相川 それには私も賛成です。日本が明治以降にやってきたことは,ポスト中心の考え方に基づいているんですね。つまり軍隊と同じ視点で,帝国大学も配置されたのだろうと思います。地図の上に拠点を作っていくと,だいたいのことがうまくいくように見える。
 私は,震災直後の東灘区に行きましたが,ボランティアのやる気のあったことに驚きました。若い看護婦さんをはじめ,資格を持っていないけれども何でもやるという人たちの熱意に圧倒されました。それまで私は,この頃の若者は軟弱だと思っていたのですが,彼らは現場でいい顔,いい目をしていました。
 あれは,役所のいう「拠点」というのとはまったく別の,人の力と言いますか,まったく別のファクターが作用しているのだと思います。先生が,人がどう動くかの視点を持つことだとおっしゃいましたが,ああいう人たちの活用法をも含めた発想が必要でしょうね。
前川 例えば全国にサーチアンドレスキューの部隊を作っておいて,必要な時には即時対応ができるようにしておくとか,援助チームを地域ごとに作っておくのも一案です。これは既存のものを生かして作れます。阪神・淡路大震災という未曾有の震災に遇いながら,世界に誇れる新しいシステムが出てこなかったことが問題だと思います。
相川 依然として同じパラダイムでやってるということでしょうね。拠点作りという考え方は,昔の交通網や通信網の効率が非常に悪かった時代の考え方です。しかし,運搬手段や情報伝達手段がこれほど変わってきた時代には,それを大いに活用すべきでしょうね。
前川 東京で起きたサリン事件でも,1つひとつの問題点に対応していながら,新しい提案をしていったとはとても思えない。サリン事件で最も大きな問題だったのは,災害医療情報のシステムはあるのに,そこにメディカルコントロールがまったくないということでした。そのために,医療機関に適切な医療情報が流されなかった。世界中で最も洗練された災害医療情報ネットワークのある東京都で,原因物質が何であるかということが流されなかった。これはとりもなおさず,医療コントロールが存在しなかったからだと思います。
相川 あの時には東京消防庁がかなりがんばって,被害者を運んだ病院に消防士を配置して,患者さんの名前と年齢,人数などを一生懸命数えていたわけですが,実際にあの場で私たちが必要としたのは医学情報でした。そのあたりがずれていたということですね。
前川 ですから,病院前救護のいろいろな要素の中に医療コントロールが入っていかないと,次もまた同じことが起こるだろうと思いますね。
相川 将来の救急医療における医療コントロールですが,どのようなシステムで,誰がリードしていけばいいとお考えですか?
前川 非常に難しいことですが,医師会がしてもいいでしょうし,学会のような学術集団が行なってもよいと思います。いずれにせよ,行政の執行機関の中に医療が入っていく必要があります。そうしないと,今の日本の救急医療はすべて行政指導型ですから,いつまでたっても医療コントロールはできないでしょう。医療コントロールというのは,制御するということではなく,前進を促し,よりよいものに作り上げるという意味のコントロールです。
相川 救急医療のレベルを欧米,特にアメリカと肩を並べ,場合によっては日本がリードするというレベルにするには,やはりメディカルコントロールが最も求められるところでしょうね。

災害国,日本の課題

前川 それから,現在これだけ災害医療が話題になっていますが,世界的にみても日本は災害王国です。自然災害,人災を含めて高い頻度で起こっています。それによる経済的損失も先進諸国の中では群を抜いています。
相川 何が一番多いのですか?
前川 まず,台風があげられますね。年に2つ3つは直撃し,必ず亡くなる人が出ています。また,それに伴う経済的損失も非常に大きいものがあります。その他にも,火山,地震。特に地震は一定の頻度で起こっています。
 ですから,アメリカ全土に比べても日本の被災率は非常に高いはずです。にもかかわらず,災害医学,あるいは災害医療の準備状態にかけているお金は,アメリカとは比べものにならないくらいに低い。つまり,日本はペイしないものにはお金をかけていないのです。このような状況では災害医療は発展しません。
相川 そうですね。日本がお金をかけるとなると,先ほどの拠点病院のような目に見える建物になってしまう。アメリカにはNIH(National Institute of Health)のグラントがあって,日本と2桁ぐらい違う額の研究費を永年出し続けてきて,それによってアメリカの臨床医学は非常に進歩したわけです。
 災害医療については,建物などのハードウェアを整備していくことも1つでしょうけれども,10年,20年先を見据え,国公私立すべて分け隔てなく,いい仕事のできるプランに研究費を出してほしいと思いますね。
前川 日本には災害医療センターができました。あれを単に一時凌ぎの便宜策としてしまうのではなく,全国的な組織の,災害の研究と教育に携わる場所,メッカとして位置づけるべきだと思います。アメリカのCDCやFEMA(Federal Emergency Management Agency)に匹敵するぐらいの機能を持ったものを作るべきです。
相川 将来,次世代を育てる教育,トレーニングや基礎研究に国が投資してくれれば,きっと社会のニードに応えられるもっとよい体制が整備できるのではないかと思いますね。
前川 それが安心できる社会ということでしょうね。

(おわり)