医学界新聞

第5回ヨーロッパ消化器病週間 印象記

為我井芳郎(佼成病院外科医長)


7学会が一堂に会し,9000余名におよぶ参加者

 第5回ヨーロッパ消化器病週間(5th United European Gastroenterology Week;UEGW,主催=ヨーロッパ消化器病学会連合,会長=R.Lambert)が,第3回ヨーロッパ消化器・内視鏡看護協会(ESGENA:the European Society of Gastroenterology and Endoscopy Nurses and Associates)との共催で,1996年11月2日-6日までパリ市のデファンス地区にあるCNITにおいて開催された。
 UEGWに参加した学会はASNEMGE(Association des Societes Nationales Europeennes et Mediterraneennes des Gastroenterologie),CICD(Collegium Internationale Chirugiae Digestive),ESGE(European association for Gastroenterology and Endoscopy),EASL(European Association for Study of the Liver),EPC(European Pancreatic Club),ESGE(European Society for Gastrointestinal Endoscopy),ESPGAN(European Society for Paediatric Gastroenterology and Nutrition)の7学会。日本を含めて30数か国,9000人以上の参加者を得た盛大な一大イベントとなった。
 会議は,11月2日と3日は主としてEAGE, ESGEおよびESPGANの3学会による「postgraduate course」が催され,4日-6日は本会が開かれるという日程であった。「postgraduate course」では3つテーマが設けられ,また本会ではシンポジウム20題,ワークショップ5題,フォーラム5題,内視鏡手技別の7つのビデオセッションと総演題数が1600以上におよぶ大規模な企画であった。

大盛況だったライブ・デモ
工藤進英先生が陥凹性病変を発見

 前述したように,「postgraduate course」は(1)clinical management of patients,(2)endoscopic procedure,(3)basic mechanisms of cell functionという3つのテーマのもとにプログラムが組まれた。
 特に,2日にはendoscopic procedureのテーマで本学会の目玉でもあるライブ・デモが行なわれ,企画責任者J.F.Rey氏の所属するニースのInstitut A.TzanckからパリのCNITの会場に衛星中継された。演者にはT.Ponchon(フランス),T.Rocsh(ドイツ),K.Binmoeller(ドイツ),R.Hawes(アメリカ)氏らの欧米を代表する新進気鋭の内視鏡医があたり,わが国からは工藤進英先生(秋田赤十字病院部長)が参加して,CF200Zによる大腸内視鏡検査を行なった。内容は食道静脈瘤のEVL(5連発式)療法,内視鏡的胆道ドレナージ療法,消化器癌に対するレーザー治療,大腸内視鏡などのライブ・デモが行なわれ,約800人が詰めかけたパリの会場に中継された。
 特に工藤先生のライブでは,内視鏡の挿入技術と拡大観察を含めた診断学に対する驚きにも似た反響は高く,藤野雅之先生(山梨医大教授)らが司会を務められたパリの会場からはリアルタイムに,(1)色素散布法,(2)EMR(内視鏡的粘膜切除術)の手技と切除可能な大きさ,(3)クリップないし留置スネアの有用性,(4)ピット・パターン等に関する質問が寄せられた。
 また,多発大腸ポリープ症例のライブにおいて,大きさ3mmほどの陥凹性病変を発見し,ピット・パターンを見事に描出・供覧した後にEMRして見せたが,会場は騒然となり深い感銘を残した。


 11月3日には,上部・下部消化管の内視鏡的ポリペクトミー,止血術,ステント,レーザー治療と膵・胆道系のERCP(内視鏡的逆行性胆道膵管造影法),EST(内視鏡的乳頭括約筋切開術)などの内視鏡検査と治療に伴う合併症とその対策が講演された。日本からは藤野先生がERCPに伴う合併症について流暢な英語で講演された。

わが国の消化器病学のレベルを アピールしたビデオ・セッション

 11月4日から6日まで,凱旋門のあるエトワール広場西方デファンス地区の新凱旋門の隣にあるCNITでUEGW本会が開催された。晩秋のパリは,時折小雨の降るどんよりとした曇りの日が多い中,会場内は9000人以上もの参加者の熱気で溢れていた。「postgrduate course」と同様,ビデオ・セッションもUEGW本会において,主としてESGE主催によって企画され,EUS(超音波内視鏡検査),膵胆道,食道-胃,大腸に分けて計7題のプログラムが組まれた。また,わが国とは異なり,予め入場整理券を受付で配り,これがない者は会場に入れないというシステムであった。安全上の配慮とのことであるがいささか厳しい感があった。
 このビデオ・セッションでは,わが国からは幕内博康先生(東海大学助教授)がEsophago:gastroscopyのセッションで,食道表在癌に対する内視鏡的治療について講演された。欧米では今なおほとんど発見されない食道表在癌の診断・治療法の見事さに,参加者は一様に驚嘆させられた。
 また,工藤先生はJ.D.Waye氏(アメリカ)やC.Williams氏(イギリス)らと共にColonoscopyのセッションで講演された。Waye氏はEMRの手技について,Williams氏は磁気を用いた挿入法の3次元的モニターについて発表した。しかし,工藤先生の挿入法と平坦・陥凹型病変の診断学,ならびにEMRの手技についての発表はレベルの違いをはっきり浮き彫りにする結果となり,参加者に深い感銘を与えた。

高い評価を得た 『早期大腸癌』の英語版

 時を同じくして,工藤先生の著書である『早期大腸癌』の英語版が医学書院から出版され,学会場で展示・販売された。本書は,G.Tytgat(オランダ),Williams,Rey氏らから高く評価され,特にWilliams氏は内視鏡写真や挿入手技の項目を“Splendid”と言って賞賛した。ヨーロッパにおいても平坦・陥凹型病変に対する関心が高まりつつあり,近い将来にはバイブル的存在になるのは間違いない。

Helicobacter pylori

 H.pylori についての演題も多く,ワークショップやシンポジウムなどに取り上げられた。ワークショップでは「The gastric carcinoma cascade and Helicobacter pylori with the European Helicobacter Pylori Study Group」と題し,H.pylori と胃癌,H.pylori と萎縮性胃炎,H.pyloriと腸上皮化成などについて論じられた。
 またシンポジウムではJ.Freston(アメリカ)とP.Malfertheine(ドイツ)両氏の司会で,主としてH.pylori の除菌について議論された。特筆すべきことは,G.Tytgat氏らが(1)イタリア,ドイツ,イギリス,フランスではamoxylinに対するH.pylori 耐性菌が約10%に見られ,21世紀には15%になるだろうということ,(2)発展途上国のある国ではmetronidazoleに対するH.pylori 耐性菌が約90%に見られたと報告し,抗生剤の2剤投与はやめるべきと強調した。さらに,H.pylori に対するワクチンの開発は2000年までは不可能で,おそらく5年後にようやくワクチン開発の目途がたつであろうことを報告した。また,日本からはこの分野で佐藤信紘先生(順大学教授)が,「Gastric mucosal repair and healing」のテーマでMechanism of epitherial repairについて報告された。

「MALTリンパ腫」のシンポ

 雑誌「胃と腸」(発行:医学書院)の第31巻第1号(1996年)の特集でも取り上げられていたMALT(mucosa-associated lymphoid tissue)リンパ腫についてもシンポジウムが開かれ,「Lymphoma and the gastroenterologist」のテーマでMALTリンパ腫の生みの親であるP.Isaacson氏(イギリス)が基調演説を行なった。氏の講演は自らが経験した84例のMALTリンパ腫の分析が主で,興味深かったことはgrade1~grade5(lympho-epithelial lesion;grade3)までscoreを設け,follicular gastritisと鑑別しようとする試みであった。またH.pylori の除菌によって73%に改善を見たことも報告した。

消化器内視鏡検査の普及に伴う 多くの問題点

 消化器内視鏡検査の普及に伴う問題点を取り上げたプログラムが比較的多く,中でもユニークであったのは「Uses and abuse of diagnostic endoscopy:Are we undertaking too many unnecessary endoscopy?-Controversies」と題するシンポジウムであった。レオナルド・ダヴィンチと銘を打った会場で行なわれたこの企画には,司会にA.Axon氏(イギリス)を配し,演者にはTytgat, M.Classen(ドイツ)の両氏があたる,という豪華企画で,ここでも約1500人を収容する会場に100人ほどが入場できず,会場整理係とトラブルがあった。
 内容は「バレット食道のサーベイランスは時間の浪費」とか,「45歳以下の人には上部内視鏡検査は必要ない」,「膵疾患の内視鏡検査は既に廃れた」といった問題提起で,参加者との“yes or no”のインターアクティブ方式で議論が進められた。コスト・パフォーマンスを考えた検査のあり方を問うた企画である。
 事実,大腸内視鏡検査1つをとっても麻酔医と贅沢なコ・メディカルスタッフを要し,コストもかかる欧米の内視鏡検査の実際を鑑みた場合,一方には増加する内視鏡検査の需要があり,深刻な問題であることも頷けた。また,「Sedation adapted to endoscopy-a controversy」というテーマでは,やはり内視鏡検査における麻酔の適応について議論され,藤野先生が基調演説を行なった。

“日本の大腸早期癌診断学に学べ” という姿勢

 ヨーロッパにおける大腸癌の発生率は深刻な問題となっている。驚くべきことに,フランスの1995年における大腸癌患者は約2万6000人,ドイツは約2万4000人との報告であった。もちろん,日本と欧米では癌の病理学的基準が異なり,欧米の統計は全て浸潤癌のデータである。そのような中で,HNPCC(遺伝性非ポリポーシス大腸癌)についての演題が多かったが,最も圧巻であったのは最終日に開かれた「Early detection of colorectal cancer:polypoid vs flat neoplasmia」というテーマでのシンポジウムであった。このシンポジウムはメイン会場であるレオナルド・ダヴィンチで開かれ,P.Quirke氏(イギリス)が司会を務めた。
 冒頭,同氏が定義について基調演説を行なったが,驚くべきことに“日本の大腸早期癌の肉眼分類”がまず初めに提示された。そして,de novo 癌の定義では雑誌「Cancer」に掲載された下田忠和先生(国立がんセンター中央病院・病理)の表現がそのまま提示された。また,1995年にイギリスのLeedsにおいて,藤井隆広先生(国立がんセンター東病院)が陥凹型の大腸早期癌を2例発見した事実が紹介された。まさに,“日本の大腸早期癌の診断学に学べ”という姿勢である。
 ヨーロッパ各国では,毎年2万人を超える大腸癌患者が発生するという深刻な事態があり,従来のポリープを対象とした診断学ではなんら改善されないことへの危機感,認識が深まったのである。事実,O.Kronborg氏(デンマーク)はヨーロッパにおける便潜血反応によるスクリーニングの無力性を吐露していた。

大腸早期癌の診断・治療学に おける歴史的展開

 そして,最後に工藤先生が登場して「Colonoscopy and detection of the flat neoplastic lesions」を講演された時は,1つひとつの症例やデータが提示される度に大きなどよめきが起こった。
 最も印象深かったできごとは,工藤先生が“Depressed lesion is quite different from polypoid lesion”と力説した時で,会場は氷が張ったように静かになり,筆者は背筋が震えるのを覚えた。講演が終わった時は万雷の拍手で,シンポジウム終了後,Lambert会長は興奮のあまり,壇上に駆け上がって工藤先生に握手を求めたほどであった。工藤先生を筆頭にした日本の大腸早期癌の診断学が,ヨーロッパで新たな橋頭堡を築いたことを実感した。工藤先生の言葉を借りると「手応えがあった」のである。ちょうど10年前,日本の内視鏡学会で陥凹型大腸早期癌が話題になり始めた時期と状況が一致するようであった。まさしく大腸癌の診断学の歴史は変わりつつある。そしてその歴史の扉は日本に向かって大きく開かれたのである。

一気呵成に世界に打って出る時期

 以上で第5回UEGWの全日程を終了したが,Lambert会長の腹心でもあり,「postgraduate course」の責任者でもあったJ.F.Rey氏は,今回の学会を「大成功」と評価した。その根拠として,9000人を超す多数の参加者が得られたこと,当初設定したテーマについてのプログラムが成功裡に行なわれたこと,「postgraduate course」でのライブ・デモに対する反響が大きかったこと,などをあげた。
 加えて,筆者の目から見ると日本人の活躍が目立ったことがあげられる。特に,食道癌,大腸癌の診断・治療学の分野では,日本が世界のリーダー的存在であることが徐々に認識されて来たことは誰の目にも明らかであった。
 この転機を前に,次にわれわれ後進の者のやるべきことは“一気呵成に世界へ打って出ること”,その時期なのだと思いつつパリを後にした。