医学界新聞

看護における「ジレンマ対応マニュアル」とは

小島通代氏に聞く(東京大学教授・医学部健康科学・看護学科)


 医師と看護婦の間におけるジレンマ。これは医療という仕事する以上,常につきまとう課題なのかもしれない。だからこそ,これまでにも数多くの看護系の雑誌でも取り上げられてきたのだろう。
 本紙では,『看護ジレンマ対応マニュアル-患者中心の看護のための医師とのコミュニケーション』(医学書院)を出版予定の小島通代氏(東大教授)に看護婦のジレンマに関する話をうかがった。小島氏は昨年までの3年間,診療における看護職のジレンマをテーマとした「看護職の主体性に関する国際シンポジウム」の組織委員長を務めてこられた。ここでの参加者から「続けて開催してほしい」との要望が強く,本年2月に「第4回看護職の主体性に関する総合シンポジウム」を開催することになった。


患者の立場に立った看護をするために

 看護婦が医師と異なる判断をした時,自分の考えを生かすことができずに立ち往生することがあります。これを私は「看護ジレンマ」として位置づけました。
 医療におけるジレンマは,治療方針をめぐって起こる医師との間の問題が大きく,このことをテーマとした国際シンポジウムを過去3回にわたり実施し,いろいろな意見を聞くことができました。医師の治療方針に看護婦は口を出してはいけない,だけどやむにやまれず口を出す。それが一般的であり,看護婦は意見を言ってはいけないという法律があるように思われています。これが間違いなんですね。今回の執筆内容は医療関係法規を見直しての結論です。
 ちょっと古いのですがICN(国際看護婦協会)が1973年に出した『看護婦の規律』の「看護婦と協働者」の項の中に,“看護婦は個人に対する看護が協働者あるいは他の人によって危険にさらされている時は,その人を安全に保護するために適切な処置をとる”と記されています。つまり,患者にとってプラスではないと思われる時には,看護婦は患者の側に立て,という倫理です。看護婦の第一義的な責任は,看護を必要とする人々に対して存在するもので,患者の立場に立てと言っています。

ジレンマ問題解決のツールを作成

 看護職の意見を医師はもっとよく聞いてほしいという切実な思いを看護婦は持っています。一方で,看護職はもっと主体性を持ってほしいという医師からの要望もあります。患者の立場になってケアを進める時に,看護職は医師との考えの違いからその調整をしたり,矛盾を解決することの難しさ,すなわちジレンマを感じます。そのようなジレンマの問題についてインタビューなどの形でいろいろと調査をしますと,様々なレベルがあることがわかりました。
 この問題解決の糸口を探る試みとして,それらのレベルを整理し,「ジレンマ対応ガイドマップ」というツールを作成しました。このツールで,いまの自分たちに起こっている問題を考えてはどうかと,中国・四国地区の国立大学病院の看護部長,副看護部長さんたちと実際に検討しました。
 その検討も3年目になり,かなり手が加えられたことで「このマップは役に立つ」と実感できるようになり,その成果がこの本となりました。このガイドマップは,(1)看護婦がジレンマについてどう対処しているか,(2)ジレンマの発生で看護婦にどのような気持ちが起こっているか,(3)種類,(4)発生源,(5)コミュニケーション,(6)看護をする過程,(7)経緯の7つの部分からなっており,多くの事例を取り入れています。これを使った看護部長研修会では,(1)医師の権限との関係でもやもやしていることについて考えやすくなった,(2)感情的になっている時のワンクッションになった,(3)基準的な考え方として使えるので,1人の看護婦あるいは婦長の独断ではないかと心配することなく意見が言えた,などの意見が出されました。この中にはいろいろな事例が出てきますので,「ああ,私もこうだったんだ」と共感されましょう。

主体性を持った看護婦

 3年間実施した国際シンポジウムでわかったのは,ジレンマの発生は,看護婦が自分の考えを持っていることの証明だということです。つまり,主体性があるのだということです。共通しているのは患者中心を貫きたいという思いですが,それが十分発揮されていない。とにかく芽はあるわけです。しかし,患者を中心にやっていこうとすると,医師と対立する。医師も患者が中心だと言いますが,看護の立場とはまた違います。
 ジレンマを感ずる看護婦は少なくとも主体性は持っていますが,科学的には説明しにくく,説得はあまり上手じゃない。これが現実の看護婦像であり,しかも口出しをしてはいけないという固定された観念があります。それを打破している人たちも多くの病院でたくさんいます。
 終末期患者のケアについていえば,ジレンマが生じるのは,もっと延命治療をするか,緩和ケアを行なうのかという場面などでしょう。そういう生死に関わるような場合と,それからもう1つ,患者さんにあまり変化がなくて,医師が看護側としては必要と考えるケアをしない場合にも起こると思います。そこを看護婦は実際にどう対処しているかといいますと,もやもやのまま抱えているのが現状だと思います。
 それでも,だんだんと看護者としての実力がついてきますと,少しずつ医師のほうも聞く耳を持ってくれるようになり,プラスの意味で解消される面もありますね。でも普通は,立場上医師には言えないといいますか,あきらめていたり,抑えていたりして,口には出さないままでいます。自分だけの問題として抑えていると,お互いに話をしなくなります。3回開いた国際シンポジウムで,彼女たちは「噴出した」と言っています。確かに,いままで鬱積していたいろいろなものが噴き出すように出てきました。一方,医師に対しては尊敬もありますし,よくやっているという実感もあります。
 しかし私の知り合いの医師は,「看護婦はもっと主体性を持って,ばりばりやればいいじゃないか」と言います。とは言うものの,本当に主体性を持ってことあるごとに口出しをしていたら,面倒になって「言う通りにやれ」となるのが医師の一般的な反応とも思います。やはり難しい問題ではありますね。

医師と対立するのではなく協調を

 ジレンマが生じた時,それを客観的に判断することは難しい。その際の気持ちはどうだったのかを,自分の言葉で表現することはとても面倒ですし,相手にもわかりにくいことだからです。しかし,その指針となり,一種の物差しとして使えるのがこのガイドマップでもあるのです。自分の中でもやもやとしているものが何であるのかよくわからないということは結構あります。このガイドマップを参考にすることで,ある程度の指標が出る。そうすると自分の考えていることが整理できます。
 医師の,もしくは患者のことでどうもひっかかりもやもやしているという時に,いままではそのもやもやを正面きって考えなかった。つまりそのままにしていた。自分に実力がないからとか,医師には言いにくいからということで終わっていたのです。けれども患者にどうケアをするかという問題では,看護婦には決断が必要になります。その手がかりとしてもこのガイドマップが使えます。看護婦に限らないことでしょうが,看護婦はどちらかというと議論があまり得意ではない。ですから,それを得意にする1つのステップにもなると思います。
 ジレンマを感じる人というのは,本当はエネルギーを持っている人です。その人たちが知恵を出し合い,医師とけんかではなく,よりよい道を見つければ互いによいわけです。そのために,あらかじめルールを決めておけばそれほど悩まないで済みます。そのルールの基準になればということで「マニュアル」という言葉を使いました。

医師と一緒に作るルールも

 例えば典型例として,睡眠の必要な患者の例があげられます。夜,腹水を取ってほしいという依頼がありました。しかし,それは主治医がオーケーしないと当直医だけではできないというルールになっています。こういうことは起こり得ることです。朝になって腹水を取ってもあまり意味がない,今晩眠りたいわけですからね。よって,そういう場合にはどうしましょうというルールを,医師と一緒に事前に作っておけば,このような場合に看護婦は悩まなくても済んだと思います。こういうように1つずつ,あまりルール絡めというのもまた困りますが,必要最小限のルールを決めておくといいと思います。
 このように一定の基準があれば,叱られるかなあとか,嫌だなあと思いながらする看護行為もスッキリします。叱られるのではないか,言ってはいけないのではないかと悩んでエネルギーを使うのはとてもむだだと思います。
 また,1人ひとりがジレンマに対応すべく,何度も繰り返して使い,みんなの共通した言葉で自然に考えられるようになれば,もうこのマップは要らなくなります。これは,中国・四国地区の看護部長さんたちの到達した感覚でもあるのです。勉強会というと,新しい知識を入れるということが多いけれど,これは自分がほんとにいま生で感じていることを考える時の手がかりにしてほしいのです。
 彼女たちと行なっている研修会では,様々なジレンマを出し合い,ガイドマップのどれに当てはまるのかを,ここだ,ここだというように,みんなが夢中になって事例について検討しました。
 昨年は,香川医科大学や徳島大学の方々がこれで院内研修をしました。自分の事例が出しにくい場合には,すでに記述された事例を使って,まず他の人の話で考えてみたとのことです。
 このガイドマップはこれが最終ではなくて,出発です。使っているうちにだんだんとステップアップしていくものだと考えています。みなさんからもまた意見をいただいて磨きあげます。私は,日本の看護職は優秀な人が多いと思っています。ジレンマ問題を解消するエネルギーは十分持っていると思っています。