医学界新聞

公的介護保険と施設介護サービスの展望

新井 優
社会福祉法人欣彰会特別養護老人ホーム敬寿園
大宮市東部デイサービスセンター,大宮市東部在宅介護支援センター施設長


はじめに

 保険なのか税なのか,在宅先行か施設と同時スタートなのか,果たしてサービスのファンダメンタルは整うのか,などといった議論が未消化のまま公的介護保険制度はまもなく認知を受けようとしている。
 介護保険下の介護の質はどのように変わるのか,あるいは現状のままなのか。ここでは施設サービスの現場(特別養護老人ホーム)に視座を据え,いくつかの点について検証を試みる。

1.本論の前に(施設利用ニーズの実情)

 生活介護施設としての機能を持つ特別養護老人ホームの入所ニーズは大きく分けて以下の3点にまとめることができよう。
 第1は経済的要因による家庭内介護機能の崩壊であり,第2は高齢者世帯にみられる介護不能世帯の急増である。そして3点目は,障害を持つ高齢単身生活者の生活破綻である。
 崩壊,不能,破綻と少々刺激のある表現となったが,ニーズの実態はまさにこの通りである。つまり,ニーズは介護施設より生活施設を求めているわけである。別な表現を借りれば,旧来の救貧的救済ニーズと違いこそすれ,やはり生活救済ニーズなのである。こうしたニーズは無視できないボリュームで老人医療施設へ向けられていること(社会的入院)も現実である。
 もちろん,こうした深刻なニーズに応えるのは,一厚生行政だけでは不可能なことは論を待たない。土地行政,住宅行政とうまくリンクしなければヘルパーステーションやナースステーションのついた公的ケア住宅の量産は不可能である。公的介護保険は「在宅」か「施設」かという選択肢の中で,あたかもこうしたニーズに応えられるシステムであるかのような幻想を与えかねない。
 介護保険になじまないニーズはどうなるのか。結果的に特別養護老人ホーム(生活介護施設)や療養型病床群(療養介護施設)が背負い込むのか。「介護」というキーワードは何をわれられに提起しているのか。周辺整備が整わない現状でサービスの制限やニーズの切り捨てという事態を招来させかねないという危惧は,現場では老人医療のアイデンティティー,生活支援機能の強化という施設存立の原点が脅かされるのではという危機感として顕在化しつつある。
 こうした危機感を決してネガティブなものとして受け止めるべきではないであろう。高齢者やその家族,あるいは多くの気付き始めた市民が持つ不安。そこから生まれるニーズには「医療」「保健」「福祉」という狭隘な領域ではとても対応できない。それどころか,相変わらずそこにこだわれば,将来,とてつもないコストとロスを生じさせるであろうというのがここでの視点である。以下,「要介護度認定」を巡る諸問題について論を進めてみたい。

2.なぜ要介護度認定なのか

 介護保険を「保険の体裁をした税だ」という意見もあるが,ここでは保険として論を進める。保険である以上「事故」が発生して初めて保険給付の対象になり得るわけ である。ここでいう事故とはもちろん要介護の状態を指す。介護保険法案要綱案によると,保険給付を受けようと給付の申請をすると,市町村に設置される予定の介護認定審査会で要介護度の認定審査が行なわれる。要介護度の認定(事故査定)により保険給付のランクが決まるわけである。
 保険の性格上,認定基準は全国一律でなければならない。また,客観性を保つために,審査項目は情実の入り込む余地のないものでなければならず,大半はコンピュータ処理される。要介護の状態を重度とか中度,軽度といった具合にいくつかのランクに類型化するわけである。申請者は認定に基づいてサービスを選択することになる。この際,介護支援専門員(ケアマネージャー)の協力で今後の介護計画(ケアプラン)を立てるという段取りである。もちろん,認定に不服を申し立てたり,プランの作成を依頼しないことも可能だ。
 さて,施設入所は介護度がより重度であるということが実質的な条件になる。疾病を伴っている場合は療養介護施設,そうでない場合は生活介護施設や保健介護施設という具合である。ここで問題になるのが前述した入所ニーズとの整合性である。法案はサービスの自己選択をうたっているが,その前に認定ありきなのである。
 医療サイドでは認定の導入で社会的入院が相当程度減少すると見込んでいる。財源論からスタートした介護保険法が狙うターゲットの1つである。福祉サイドではどうだろう。乱暴な人は特別養護老人ホームの入所者で最重度の認定を受けられるのはわずか4割程度と言い切る。では残りの6割は情実入所なのか。情実入所の存在を否定するものではないが,福祉サイドでは要援護という概念が存在する。介護者のケアや経済条件などを含めた,社会的援助の可否を評価する概念である。もちろん入所に際しては措置という処分性の強い行政契約を伴うわけで,こうした概念に盲従するわけではない。
 今日の入所ニーズを考えると,介護はもはやごく当たり前の生活行為として考えるべきで,生活行為の中から介護だけを抜き出しコスト計算する(要介護度認定)という手法は大変な無理があるのではないだろうか。もちろんここでいう介護は生活支援としての介護であり,診療補助行為としての介護とは質の異なるものである。
 両者を無原則的に一元化することは財源が保険ゆえだからであり,ケア(介護)の現場から出た発想とは理解しがたい。

3.ニーズと乖離する介護度認定

 介護保険下における生活介護施設(特別養護老人ホーム)の入所認定基準は「最重度」である。「最重度」の判定は「寝返りのうてない状態」という評価である。もちろん基準の話であり,「重度」では入所できないということではない。ただ,「要介護度の認定によって療養費(措置費)がランク付けされる」という福祉サイドでは全く新しい費用体系となるため,現在の措置費レベルを収入として維持するためには,結局「最重度」入所を優先せざるを得ないわけである。
 内容は異なるが,前述した「6割」グループの入所ははなはだ難しくなる。では,「6割」の人たちはどうなるのか。「在宅」という選択である。ここで施設入所ニーズの1ケースを紹介する。介護者が夫婦ともに常勤稼働者というケースである。介護のためにどちらかが仕事を辞めるという決断(実際そうしているケースは決して少なくない)は,極めて不幸なことである。
 では,ホームヘルパーの派遣で代替できるのか。デンマークのある都市で1990年にホームヘルパーの派遣を希望した高齢者(65歳以上)が全高齢者の27%を越えたということがある。やがてヘルパーのコストが財政を極度に圧迫することになるわけである。なぜ,ヘルパー需要がそこまで高まったのか。高齢者の大半が独立して生活しており,しかも,徹底した個人主義であるという条件を看過してはならない。
 この都市(人口4万7000人)ではプライエム(特別養護老人ホーム)が7か所あるのに対し,デイサービスセンターはわずか1か所しかなく,しかもリハビリセンターだという。高齢期の独立生活,徹底したプライバシーの保護がキーワードであり,高コスト・高ロスのピンポイントケア(ヘルパー派遣)が主役になったわけである。デンマークの例を紹介したのはわが国の介護マインドが必ずしもそうでないことを言いたかったからである。
 財政危機に直面し,当然政策の転換が迫られたわけだが,採用された政策は,(1)高齢者ケア住宅の整備とプライエムの解体,(2)デイサービスセンターをコアにしたアクティビティセンターの整備,などである。キーワードは高齢者生活の社会化,住宅行政とのリンクである。現実主義に裏打ちされた決断と政策のダイナミズムは,われわれにとって極めて示唆に富むものである。
 高齢者や家族らの現実的なニーズ(需要)とは無縁に,政策当局(供給)が需要を創出するという古めかしい伝統が仮に息づいているとしたら,介護保険はサービスの選別こそすれ,「6割」グループを救済する有効な決め手にはなり得ないであろう。

4.若干の提起

 「6割」対策は,社会政策として縦割りを解消した政策の総合化が条件となる。生活介護施設としての特別養護老人ホームは,現在,在宅支援サービスを内部化することにより,ともかく在宅での生活の継続を目標にあらゆる可能性を追及している。老人福祉法が位置付ける特別養護老人ホームとは,まるで異なる機能を現実的に担っているわけである。
 将来の専門職を養成するための学生たちの実習機関として,ヘルパーをめざす主婦たちの学習の場として,サラリーマンボランティアの訓練の場として,中学生や高校生たちのコミュニティーワークの場として,なかんづく,介護者にとって必要な介護技術や将来のライフスタイルを考える上で準備しなければならない様々なテーマに対する相談機関として,地域社会になくてはならない存在になりつつある。
 ところで,介護保険下での「最重度」施設はターミナルケア施設に他ならない。たしかに特別養護老人ホームでの看取りは,生活介護のターミナルとして重要な意味を持っている。しかし,今日の特別養護老人ホーム機能のダイナミクスはプロセスケアが前提であり,必要なことは非現実的な制度的フレームワークの設計見直しである。
 その際,特別養護老人ホームの入所にかかわる費用体系の見直しは極めて重要である。全国で数千億円ともいわれる入所者の預かり金。一部受益者負担と全面的な公的保護を意味する措置費給付という2本立ての費用体系のなかで,入所後も年金の全額給付が続けられ,退所時には公的救済を受けた家族が,入所者の預かり金を相続するというまったく奇妙な仕組みにメスを入れなければならない。
 また,「予防福祉」的な概念の導入も必要であろう。要介護の初期の段階で対応し,その後のライフスタイルの設計にかかわりを保つ機能を持つべきであろう。診断(要介護度認定)可能な介護の領域と,それが困難な領域の両者を介護保険が担おうとしていれば,被保険者に大きな落胆をもたらすだろう。老人医療の自立,生活福祉事業の自立が今日ほど求められている時はない。費用財源問題がこうした自立論議を阻害するようでは政策のダイナミクスは期待できないだろうし,かえって将来に禍根を残すことになりかねない。
 要介護度認定は特別養護老人ホームを「最重度施設」として施設機能を固定化するネガティブ効果をもたらしかねない。介護保険料として大変な費用負担を国民に求める政策として考えた時,要介護度認定は現実的価値基準として耐えられるものであるのか,はなはだ疑問である。