医学界新聞

第8回国際疼痛学会 印象記

細井昌子(九州大学・第1生理学)


3年に1度の国際学会
さながら痛み研究のオリンピック

 第8回国際疼痛学会(IASP)は8月17日から22日の6日間,カナダのバンクーバーで開催された。この学会のユニークな点は,痛みに関して様々な方面で活躍する研究者や医療スタッフが一堂に会するという点である。つまり,基礎医学,臨床医学,心理学,看護学といった多様な学問的・臨床的観点から痛みを考えていこうとする集学的な学会であり,1975年のフィレンツェを第1回に始まり,3年に1度の国際学会として,モントリオール,エジンバラ,シアトル,ハンブルグ,アデレード,パリに引き続き今回で第8回を迎えている。
 麻酔科での研修を経て,心療内科医として慢性疼痛の臨床に携わり,現在視床下部と痛覚に関して脳生理学の立場より研究を行なっている私にとって,非常に示唆に富む国際学会参加となった。
 日本生理学会で痛みのグループディナーに参加したことがきっかけで,小山なつ先生(滋賀医大・第1生理)と学会期間の5泊をご一緒させていただき,痛み研究のことから女性同士の楽しいおしゃべりに至るまで,バンクーバーの夜をエンジョイできたのは,何ともラッキーであった。さらに,西川泰央先生(大阪歯科大)や尊敬する横田敏勝先生(滋賀医大名誉教授)からも10年間にわたる研究成果を教えていただき,生理学の大先輩方が痛み研究を支えてきておられる現状を実感できた。
 学会場となったVancouver Trade &Convention Centreは海岸沿いのCanada Placeに位置する。世界41か国より集う様々な人種の参加者の熱気の中にいると,7月にTVでながめたアトランタオリンピックを思い出し,さながら痛み研究のオリンピックのようだなあと感じられた。熱心な討論が行なわれているメインホールやポスター会場から一歩外に出ると,アラスカなどへ出発する大型客船が一望できる爽快な場所であった。最新の知見を聞いて興奮した頭を休め,午後から約15会場に分かれて開かれるtopical workshop(5日間で75ものworkshopが開かれた)のどれに参加しようかと考えるには,カモメの鳴き声を耳にして海風が心地よい会場外の白いベンチが最適であった。

キーワード“Sensitization”

 学会初日の17日は,リフレッシャーコースが開かれ,午前と午後のセッションに分かれて20もの教育プログラムが開かれた。参加者に配布されたリフレッシャーコースの資料は581頁にもなり,痛みに関する最新の教科書とも言えるものであった。私が参加した痛みに関する基礎科学のセッションも盛況で,椅子が不足してフロアに座る人も多数見られた。
 通常の痛覚伝導路によって伝えられる疼痛が“正常の”侵害受容性の痛みであるのに対して,臨床家が最も頭を悩ませられる慢性の痛み(幻肢痛,腰背部痛,反射性交感神経性ジストロフィー,三叉神経痛など)は“病理学的な”機序が追加されているのだが,そのキーワードとなる“Sensitization”という考え方を改めて興味深く聞いた。つまり,外傷や疾患によって一次求心性ニューロンの“Sensitization”(侵害受容線維の自由終末の反応性が増強するか,あるいは神経損傷の部位や後根神経節での異所性の発火が起こるようになること)や脊髄,脳幹,視床,大脳皮質といった中枢神経系での“Sensitization”(当初は末梢からの痛覚情報が必要であるものの,次第に末梢神経からの入力と独立して痛み体験を引き起こすようになること)を解明することが,現在の痛み研究の重要なテーマの1つとなっている。

分子生物学的観点からの研究も

 午後のプログラムは,痛み研究を分子生物学的観点から概観したもので,遺伝子発現の制御が,痛覚に密接に関係するcalcitonin/CGRP geneやNMDAレセプター NR1 subunit gene, dynorphin geneなどでも明らかにされていることを知った。トランスジェニックマウスやノックアウトマウスなどの手法も痛み研究に応用され,慢性疼痛に対してもgene therapyが探られている時代となっているようだ。
 学会プログラムは午前中はメインホールでplenary sessionが開かれ,午後はtopical workshopと,終日のポスター発表(毎日約300ずつ,5日間で約1500のポスターの展示があった)に対するディスカッションの時間が効率的に組まれていた。

NMDAレセプターに関する研究の進歩

 plenary sessionでは,社会における痛み,急性痛から慢性痛への移行に関与する要因,侵害受容に関するアゴニスト,アンタゴニストを用いた研究,社会的に大きな問題となっている筋骨格系の痛み,神経因性疼痛,オピオイドにおける新しい展開などをテーマに,様々な角度から論じられた。
 興味をひいたのは,脊髄後角での侵害受容ニューロンのwind up現象を引き起こすNMDAレセプターに関する研究が進み,ある程度のまとまりをもって話されるようになったことである。Price博士は,ポジティブフィードバックの様式でアロディニア,痛覚過敏,自発痛を引き起こすに至るNMDAレセプター活性化の細胞内メカニズムを講演した。Melzack博士とともに“ゲートコントロール理論”を提唱した生理学者であるWall博士の名を冠した賞を受賞したCoderre博士の研究も,慢性痛によっておこる脊髄での神経の可塑性をionotropicあるいはmetabotropicのglutamate receptorの役割から論じたものであった。
 臨床現場からの必要性からであろうが,今回の学会ではneuropathic painについて,研究が盛んになっている印象を受けた。反射性交感神経性ジストロフィー(RSD)という用語についても,一時はComplex Regional Pain Syndrome(CRPS)という言葉にとって代わられる運命にあるかと思えたのだが,RSD,CRPSにSympathetically Maintained Pain(SMP)という言葉も加えて,状況に応じて三つどもえで使用されているのが現状のようである。今後どのような言葉が淘汰されていくか,しばらく時間が必要であるようだ。

“pain and immune system”

 学会3日目の“pain and immune system”と題したワークショップでは,九大第1生理学教室および心療内科での私の先輩である岡孝和先生が依頼を受けて,脳内とくに視床下部でのサイトカインによる痛覚修飾作用について講演した。ヒトリコンビナントinterleukin-1β(IL-1β)は非発熱量の脳室内投与で電気生理学的あるいは行動学的に痛覚過敏を引き起こし,非発熱量の視索前野への投与では痛覚過敏を,一方,発熱量の視床下部腹内側核(VMH)への投与では鎮痛を引き起こすという結果は,身近な例では感冒発症時に,発熱前に全身の痛覚過敏状態が起こり,発熱後はむしろ痛みは感じにくくなるという体験を説明できる。
 末梢局所や脊髄内でもサイトカインが痛覚過敏に関与しているという結果をエネルギッシュに講演したWatkins博士,DeLeo博士はともに女性の研究者であり,私も大いに励まされた。外国に限らず日本でも,特に痛みの基礎研究の分野で女性の研究者が活躍されており,頼もしく感じている。

情動としての痛み

 私自身は学会2日目の18日にポスター発表を行なった。プロスタグランディン(PG)E2のEP3レセプターアゴニストのラット視索前野への投与は痛覚過敏を引き起こし,非発熱量の内因性PGE2が視索前野で痛覚過敏を起こす機序が生体に存在し,IL-1β/PGE/EP3レセプターが視床下部内での痛覚過敏系として想定されることをまとめた。
 さらに,岡先生による末梢でのIL-1βの痛覚過敏作用がdiclofenacやα-MSHの脳室内投与で抑制されるという知見や,また21日には,現在北海道で地域医療に燃えている小宮山博朗先生とともに,疼痛学の面白さを私に教えて下さった心療内科の先輩の村岡衛先生による幻肢痛の催眠での10年間にわたる治療経過を共同演者として発表した。
 幻肢痛については,昨年の北米神経科学総会においても鏡を用いた方法で幻肢を引き起こせることが話題になったようであり,脳の不思議さに思いがおよぶ。
 心療内科での臨床経験でも,痛覚は中枢神経系でかなりの修飾作用を受けているという実感が強く,特に情動と痛みの相互作用については,臨床家が大いに頭を悩ませているところである。情動表出系としては,中隔野,扁桃体,海馬,帯状回などの大脳辺縁系や視床下部が中心的役割を演じているのだが,最近話題になっている前帯状回については,画像診断学的,解剖学的あるいは電気生理学的など様々な観点より痛覚伝導路と密接に関与していることが明らかにされていた。
 この前帯状回が脳幹や視床下部からの入力を受けていること,さらに,1999年の次期国際疼痛学会会長であるフランスのBesson博士の研究室からも脊髄-結合腕傍核-扁桃体あるいは視床下部(特にVMH)に至る解剖学的研究も示されており,今まで論じられにくかった情動としての痛みが説明される時代も近いのではと期待させられた。もちろん,一貫して視床下部に注目してきた当九大第1生理学教室としても,情動と痛みについてはこれからのテーマとして発展させたいという考えを新たにした。

国際疼痛学会の大きな役割

 ポスターセッションでは,米国メイヨークリニックの丸田俊彦教授らのペインマネージメントセンター(PMC)からの報告の中で,249例の患者のうち201例を10年間フォローして解析していたのには,さすがに驚いた。丸田先生には1992年に九大心療内科の先代教授の中川哲也先生のとき主催した慢性疼痛学会でご講演いただいたことがある。心療内科のメンバーで先生を囲んで,臨床の面白さ,難しさについて楽しく語った博多の夕食会のことを覚えておられたのには感激した。
 ブレインサイエンスは国内外で今やかつてない盛り上がりをみせてきている。臨床現場からの要請と基礎医学の発展とを突き合わせうる集学的なシステムをもつ学会として,国際疼痛学会が大きな役割を果たすことを,バンクーバーでの興奮を思い返しながら予感している。
 この学会参加にあたり,金原一郎記念医学医療振興財団から研究交流助成をいただいたことに感謝申し上げます。