医学界新聞

 連載 イギリスの医療はいま

 第7回 コミュニティケアを支える看護職

 岡 喜美子 イギリス在住(千葉大学看護学部看護学研究科修了)


 以前「イギリスの病院」の項(第3回,2196号)で,イギリスの医療の特徴として入院期間が短いということを述べたが,これはコミュニティケア(地域医療や在宅看護)が充実している証拠ともいえる。そして北欧のように高い税収によらずとも,高い水準のコミュニティケアを維持している点は世界でも評価が高い。
 このイギリスの誇るコミュニティケアを支えているのが,主にGP(家庭医),health visitor(保健婦),district nurse(地域看護婦)たちである。GPに関しては以前述べたので,今回は後者の看護職たちについて言及してみたい。
 さかのぼってみれば,1834年に発布された救貧法をはじめ,イギリスでは伝統的に地域における医療や福祉を重視した政策をとってきた。最初のコミュニティケアプランが出されたのは1963年であり,1980年代には高齢者人口の増加により,地域における高齢者対策に力が注がれた。1990年にはコミュニティケア法が制定され,早期退院,地域医療,在宅看護の充実が促進された。これにより多くのhealth visitorや助産婦,小児や精神疾患専門の看護婦が地域診療所や自治体に雇用され,コミュニティケアを支える大きな力となっている。

health visitorの仕事

 health visitorは,保健婦あるいは巡回看護婦と訳されることもあるが,実際の仕事は地域診療所に所属して健康相談や育児相談にのったり,産後の母親と新生児,あるいは退院後の患者を訪問し,健診や指導を行なったりすることである。
 とりわけhealth visitorに特徴的なのは,指導的役割である。疾病構造の変化に伴い,ライフスタイルの改善によって病気は予防できるものとなった現在,彼らの仕事の中心は栄養や生活指導,カウンセリングになってきている。
 例えば母子保健では,出産後の平均在院日数が1日というイギリスの出産事情を考えると,いかにその後の家庭訪問によるフォローアップが重要であるかがわかる。イギリスには特に里帰り出産といった習慣もないので,退院すればすべてのことが新米の両親(シングルマザーの場合は母親のみ)の肩にかかってくる。その時に家庭訪問していろいろな指導や相談にのってくれるhealth visitorの存在は,大変心強い。
 また障害者や高齢者ができるだけ在宅で過ごせるように,health visitorは定期的に家庭訪問して病状や家庭状況を把握し,必要な援助をする。老人の痴呆が進み,これ以上在宅では危険と判断すれば,地域の老人ホームと連絡をとる。障害者を抱える家庭に疲れが見えたら,施設でのショートステイをアレンジしたり,ホームヘルパーの派遣を要請したりと,その仕事は幅広い。
 特に小さな子どもや障害者,老人を抱えた家族は外出もままならない。医師は往診してくれるが,診療以外のことで医師を呼ぶわけにはいかない。かといって相談したいことは案外診療以外のことが多いのである。そこでhealth visitorのように電話一本で気軽に家庭訪問してくれるエキスパートの存在は,在宅医療には欠かせないものなのである。

district nurseの仕事

 district nurseは地域で働く看護婦のことで,訪問看護を主な仕事とする。彼らのケアの対象は高齢者や障害者(児)が中心であったが,最近ではホームレス,難民,エイズ患者などが加わり,そのケアはさらに複雑化してきている。
 以前,隣の家に老夫婦が住んでいたが,奥さんが肺癌になり,自宅療養することになった。個人主義の強いイギリスでは,このような場合でも子どもには頼らない。夫はかいがいしく妻の世話をしていたが,彼らを支えていたのはdistrict nurseであった。
 私がお見舞いに行くと奥さんは「ナースが午前と午後の2回訪問してくれるの。息が苦しいと言えば酸素を持ってきてくれるし,私の訴えをよく聞いて麻薬の量も調整してくれるから,癌といっても楽なのよ。病院だと自由がきかなくていやだけど,ナースのおかげで家にいられるわ」と穏やかに語ってくれた。癌はつらい,苦しいと言われるが,病院の白い壁を見つめて闘病するよりも,住み慣れたわが家で家族とともに過ごすほうが精神的にも肉体的にもずっと楽なのだと,彼女を見て今さらながらに思われた。
 在宅医療/看護は,結局病院や施設でケアするよりも医療費の削減になる。それゆえにイギリスではコミュニティケアに力を入れているのであるが,それと同時に,在宅医療は患者や家族にとっても,より幸福で人間の尊厳を守れる方法であることを,誰よりも個人の権利にうるさいイギリス人が知っているからでもある。この先,高齢者人口がさらに増加する21世紀に向かって,コミュニティケアを支える看護職への期待はより高まっていくことだろう。