医学界新聞

臨床倫理学とは何か

臨床現場の医療従事者の観点から

赤林 朗氏(東京大学大学院・医学系研究科国際地域保健学講座)に聞く


 アメリカでは1980年代に,生命倫理をめぐる議論の中で,現場の医療従事者の観点から「臨床倫理学」の考え方が生まれてきた。これは臨床現場で生じた個別の倫理的問題を扱う,医療従事者にとって関わりやすい生命倫理の形であると言える。  本号ではこの臨床倫理学について,赤林朗氏に,臨床倫理学が提唱された背景や,その目的,考え方などをお話しいただいた。


臨床倫理学と生命倫理学

アメリカにおける臨床倫理学の誕生

 アメリカの生命倫理学(Bioethics)は,1960年代の公民権運動を契機に登場しました。そして1980年初め頃までに,原則主義(Principlism)の理論的枠組みの確立やバイオエシックス百科辞典などの出版によって,その第1期が終了したと言えるでしょう。
 これら初期のアメリカにおける議論の主導者は,哲学者,法学者,神学者などでした。彼らの用意した議論の枠組みの1つの代表例が原則主義です。これは,個別状況の具体的な判断を推論する際に,自律性尊重,善行,無害性,公正などの包括的な原則にもとづいて演繹的に行なうというものです。この理論は,大変広く受け入れられ,強力なものでした。アメリカ文化にうまく適合していたのでしょう。
 しかし,そのような原則主義自体は限界を持っていました。抽象的な原則を実際の医療現場で応用する時や,原則間のバランスをとる際の困難さは,当初から十分認識されていたのです。また,哲学者や法学者が主体になって作った理論からは見落とされていた視点─つまり医療現場での微妙な人間関係,医師の裁量の範囲,医療者側の心理的問題,医療の不確実性,医療従事者の徳などについてが,次第に議論として取り上げられるようになったのです。
 これは今から考えればある意味ではあたりまえですよね。実際に医療に携わる医療従事者の問題を取り上げずに実質的な議論ができるはずがありません。そして理論の上からも様々な試みがなされました。1980年代中頃からの,いわゆる反原則主義の時代です。
 ところがどの新たな理論も,原則主義を補うものであるにせよ,独自で現場の具体的な問題解決を導くものではありませんでした。そのような流れの中で,現場の医療従事者の観点から生まれてきたのが臨床倫理学(Clinical Ethics)の考えです。

患者と共に行なう意思決定

 臨床倫理学の目的は,臨床現場で生じた倫理的問題を同定・分析し,解決を試みることにより,患者ケアの質を向上させることであるとされています。
 臨床倫理学においては,患者と医療従事者が出会ってはじめて倫理的問題の分析が始まります。患者ケアのプロセスと成果を向上させるには,まず医療従事者が,患者の意向と価値観をよく知り,尊重することが大切です。その上で,1人ひとりの患者が各自の医療目標に沿った判断ができるように,援助することになるのです。
 臨床倫理学は,ある特定の患者における,よい,正しい判断と行動を模索します。そこではそれぞれの医療従事者・患者関係の場における個々の意思決定が主な課題になるのです。したがって,臨床倫理学においては,日常診療の場ではもちろんのこと,情緒的な場面や救急現場においても,医師,患者,家族,法律,他の社会的要素,信仰などの間の葛藤に直面し,その特定の症例についての何らかの臨床的判断が要求されるわけです。このように考えてくると,臨床倫理学は,患者と医療従事者とのshared decision making(「患者さんと医療従事者が共に行なう意思決定」くらいに言っておきましょうか)を進めるための1つの考え方と見てもよいと思います()。

 表 臨床倫理学の特徴
1)臨床現場での実状を出発点にする極めて実学的要素と,学際性を持っている。
2)個々の医療者・患者関係に注目,個々の患者ケアの質の向上をめざす。
3)臨床現場での個々の症例の意思決定に重きをおく。したがって当面政策決定や,マクロの資源配分などの問題は射程外となる。
4)医療者・患者関係や医療従事者側の心理的社会的要素および症例に必然的に付随する状況的要素にも配慮する。
5)教育は臨床場面で症例中心に,研究は論理的,経験的なものを学際的に行なう。
6)広い意味で患者の視点を取り入れた,医療を供給する側の,現場での意思決定の際の考え方である。

臨床倫理学の教育はどうなされるか

 この10年間,アメリカの医学部の倫理教育はベッドサイドに移りつつあります。レジデントにも教育が行なわれています。そこでは倫理的問題を認識するための技術や,それに実際に対処する方法の教育,人格養成などが行なわれているようです。
 教育場面では具体的な臨床例が用いられ,実際に臨床に携わっている医師が効果的に教えることができると考えられています。このような,医師であり,倫理の素養があり,倫理コンサルテーションや臨床場面で倫理教育を行なっている者は「Physician Ethicist」と呼ばれています。看護婦,ソーシャルワーカーなど他の職種にも同様なことがあてはまります。また,医療従事者ではない「Professional Ethicist」すなわち哲学系出身者などは,医学生が臨床実習に入る前に,哲学的な基礎理論や,医療倫理の中でもより広い概念である公共政策や法律的な側面を教育するのに適してるとされています。
 5つのC,すなわち臨床に基づいて(Clinical),症例を重視し(Case),継続的に(Continuous),他の学科学習とうまく調和させ(Coordinate),そして臨床家(Clinician)が参与することが教育の場面で強調されています。

臨床倫理学の研究動向

 臨床倫理学の研究には,大きく分けて,理論的な研究と経験に基づいた研究があります。理論的な研究は,哲学的・神学的な倫理原則,法律,公共政策などに,論理的な説明や議論を行なうものです。例えば,特定の臨床症例に対する理論的解析,終末期の治療停止や安楽死などについての概念的な検討(法的問題,公共政策などを含む),新しい医療技術や手術法に伴う新たな倫理的問題の整理(例えば生体肝移植)などです。
 経験に基づく研究とは,実際に臨床現場で起きていることを記録し,そのデータを解析することです。つまりいかなる状況で,誰により,どのような価値観が示されたかを調べることです。それには社会医学,判断分析学,臨床疫学,医療サービス研究などで用いられる方法論が使われます。例えば,エイズ患者への生命維持装置利用状況のサーベイランス,喉頭癌治療方針における患者の意向調査,倫理コンサルテーションサービスの評価についてなどです。
 そして理論的な研究により得られた仮説を経験的な研究で検証しながら,さらに洗練された仮説を導いていくのです。この作業は確かに困難なのですが,それゆえこの分野には学際的な研究が強く望まれるのです。
 教育,研究に加え,Clinical Ethicistは倫理委員会と倫理コンサルテーション活動の役割も果たさなければなりません。倫理コンサルテーションとは,実際の医療現場で生じる個々の症例における倫理的問題(末期治療の停止,病名の告知,リビングウィルの取り扱いなど)に対して,倫理委員会やコンサルタントが助言や判断を与える活動です。

臨床倫理学への批判

 臨床倫理学は,急速に発展してきた分野だけに批判も多いのです。例えば臨床倫理学の考えのうち,Physician Ethicistがいつもよい仕事ができるという発想自体がおかしいという批判があります。また,倫理的問題の発生予防に対する発想がまったくないし,そもそも臨床倫理学は単に主張しているだけで,本質的に重要な点を何も議論していないなどとも言われています。その中でも強い批判点としては,臨床倫理学は医師,生命倫理学は哲学者と,他の分野に門戸を開いていないのではないかという点があげられます。
 ですが,これらの批判点にはある種の誤解があるのであって,「Physician EthicistとProfessional Ethicistは互いに何ができるかを理解しながら協力し合っていくべきである」とする臨床倫理学の考えを十分理解していないとも思われます。そもそも臨床倫理学は,原則主義が哲学者や法学者主導で確立され医療従事者の視点が少なかったために発展してきたという側面があると捉えられますが,今度は逆にその排他性に批判がでているのです。
 私自身このようななわばり争いはまったく不毛なものであると思います。臨床倫理学は原則主義を除外するものではなく,原則主義などの様々な理論的背景の基盤の上に成立するものであると考えます。アメリカにおいては,臨床倫理学には医療従事者の支持が多いようです。批判も多いのですが,ではそれ以外にいかなる選択肢が医療従事者にあるのかと問われればそれに明確に答えられる人はいないのです。
 臨床倫理学は,確かにまだ明確に確立されているとは言えません。そして,アメリカの医療現場においても,どこまで根づいていくかは,もう少し様子を見てみないとわかりません。しかし臨床倫理学は臨床現場での実状を出発点にする極めて実学的な要素と学際性を持っており,そこで主張されている内容は,アメリカのポスト原則主義の時代の原理を着実に捉えていると言えるでしょう。


日本における臨床倫理学の展開の可能性

 次は日本の話です。日本の「医の倫理」とは,従来その中に医師あるいは医療従事者の職業倫理を包括した,主に医療に携わる側の倫理規範を現す用語として定着していたように思われます。
 他の先進諸国同様,日本においても戦後の経済発展とともに医療技術が進歩し,狭義の職業倫理のみでは医療現場で解決できない諸問題が現れ始めました。そのような流れの中で,1980年代初め頃から生命倫理学の考え方が日本へ紹介されるようになりました。アメリカにおいてその理解が様々であったように,日本における生命倫理学の理解と展開もまた極めて多様です。
 日本における生命倫理学の理解には,大きく分類して,(1)新たな倫理体系,(2)人権運動,(3)生命をめぐる学際的な研究分野の3種類が存在します。(3)の系統の理解は,学術的に研究する人々に広く共有されている捉え方であると思います。生命倫理学が日本に紹介されはじめてからすでに15年もたち,1988年には日本生命倫理学会も発足しましたが,それでもこの用語の用いられ方は多種多様です。現代の日本で医療の倫理的な問題を語るときには,このような用語の混乱があることを十分認識してから始めなければならないと思います。

日本での取り入れ方

 従来の生命倫理学の議論は,現場の医療従事者にはなじみにくいという点がありました。そのため医療従事者にとってより受け入れやすい形の生命倫理学とは何かという問いに答えるような形で臨床倫理学が発展してきたとも考えられるのです。
 つまり私が言いたいのは,実際の医療・看護実践の現場や教育の場面では,臨床倫理学のような枠組みで考えていくほうが,当事者である医療従事者にはやりやすいのではないかということです。医療従事者が倫理的問題に関心がなくて困るという発言を聞くこともあります。ですが,適切な考える枠組みがないとなかなか関心もわかず,議論ができないのも事実なのではないでしょうか。
 例えば症例に基づいて倫理的な問題点を整理することは,医学・看護学の他の学科教育と類似性があり,学生や医療従事者には受け入られやすく議論がしやすくなるであろうことは容易に推測できるのです。そのため臨床倫理学の考えのある部分は日本でも使えるのではないかと思います。症例検討の議論の枠組みだけを共通に利用し,最終的な判断に伴う理由づけや価値観は,日本の場面で考えていくことも可能なのではないでしょうか。

臨床倫理学の位置づけ

 それでは,日本における「臨床倫理学」をどう位置づけるかですが,現時点では従来の「医師や看護婦の職業倫理」が,広義の生命倫理学の影響を取り入れた形で発展的に展開しうる「医療倫理学」の一部と当面考えておきたいのです()。「医療倫理学」とは,狭義の「医師や看護婦の職業倫理」から現代の文脈で発展したより広い概念で,欧米でヘルスケア・エシックス(Health Care Ethics)と呼ばれるものに近いと考えます。
 ヘルスケア・エシックスの定義や,その範囲をどこまでとするかなど明確な規定はないようですが,個々の医療従事者・患者関係を扱う臨床倫理学よりも広いもので,医療資源の配分や政策決定などのマクロの問題,研究倫理なども含まれるでしょう。その射程の範囲は医療実践に比較的直接に関連する内容を扱うというような緩いものとしておくほうがよいと思います。日本における臨床倫理学とはこの広い意味での医療倫理学の中に含まれると考えたいのです。


生命倫理事例集の作成について

 ところで,今年の第8回日本生命倫理学会(10月23-25日,東京)では,昨年度の日本生命倫理学会で研究奨励賞をいただいた共同研究の一部「生命倫理事例集作成の試み」を発表します。この研究は,次のような問題意識と目的を持っています。

日本における議論の蓄積を紹介

 日本における生命倫理学の広がりがこれだけ多様で,かつ様々な分野の関心を集めているにもかかわらず,学際的な議論のための共通の言語を持っていないことに私たちは危倶を抱きました。
 従来の議論で批判されるべき点は,脳死・臓器移植問題などにおいてみられたように,個々の問題が各論的に議論されるにとどまり,生命・医療倫理学とは何か,そこではどのような方法論や議論の枠組みが用いられるのか,などの本質的な学問論が問われてこなかったことです。同時に,議論が各専門分野からの単なる情報提供であったり,感想の述べ合い程度にとどまるものであり,学際的に深められた議論とは言えないものが多く見られました。
 一方,国外に目を向けると,世界的な環境倫理問題,人口問題,国際医療協力をはじめとする医療システムの世界的変革など,人類の適切な生存へ向けての国際的対話がなされています。そして日本は,日本で独自に展開されている生命倫理学を,より明確に表現し,諸外国に説明していくことが実は強く求められているのです。それなしには,日本が生命倫理学の国際的な対話に加わることは不可能です。
 このような国内および国際的な動向を視野に入れて,この研究では,日本における生命倫理学の議論が蓄積されつつある今,代表的な症例(架空の設定も含む)を選び,その症例を学際的研究グループにより,多角的に,1つのテーブルを囲み同時に議論し,その内容を記載し,それらを日本における症例集の1試例として提示することを試みます。その際に,各症例における問題を系統だてて提示し,その症例に含まれる諸問題の骨格を明らかにすることを試みるのです。

共通言語の必要性

 このような作業を学問的レベルで行なうためには,多くの分野の人々によって,提示された結果が批判・再検討される余地を残すこと,つまり様々な分野の人々が理解できるように言語化していく作業が必要になります。様々な専門分野の議論を噛み合わせるための言語を発展させない限り,共通のフォーラムの育成は不可能です。その意味で,この研究計画は学際的な議論の方法論を模索する1つの試みでもあるのです。そのため,提起された問題の解決を直接的にめざすものではなく,あくまで考えるべき(議論すべき)点を共通の言語で示すことを目的としたいと思います。
 今回試みられる事例集は,生命・医療倫理学に関わる研究者および学生,一般市民など,多くの立場の人々にとって,さらなる議論と社会的な解決へ向けての手がかりを与えるための資料集として,また一部は,医療,法曹,哲学,倫理その他の関連領域の教育場面でも使用できる教科書的な役割を持つことも期待しています。

日本でのありようをそのまま記述

 ところでこのような研究には以下のような批判がなされるかもしれません。つまり,「学際的議論のための共通の言語を発展させることができるとの想定は,それ自体単なる虚構にすぎない」と。その可能性については,現段階で否定することはできません。しかし,私たちの研究の成果は,これらの想定が正しいかどうかを判断するための1つの材料を提供するのではないかと思います。
 そして,これらの批判は学際的研究の方法論を模索する試み自体を否定するものではないはずです。具体的には,(1)欧米の事例集の総説的検討,(2)事例提示の基本的な形式の検討,(3)事例選択,欧米の事例集を参考にし,日本における裁判例,マスコミで報道された事例,実際の医療現場の個別的事例,および架空の事例や外国で発生した事例なども考慮しながら,日本の文脈に適した,日本の現状を的確に反映するような事例を選択します。1990年代という時代的背景と日本の文脈を配慮し,この時点での日本の生命倫理学のありようをそのまま記述することに努めたいと思います。

今後の発展のために

 とにかく制度として,生命・医療倫理学の研究・教育を行なう講座や研究所を医学部の中に作っていかなくては話は始まりません。アメリカの医学部において,生命医療倫理学の独立したカリキュラムが設置されている学部は,1980年の終わりには約30%でしたが,1995年には100%となりました。
 高齢者介護,エイズ,ターミナルケア,生殖技術,遺伝子治療など,時代は生命・医療倫理学の教育が,医療従事者に対してある一定の質を持って行なわれることを要求しています。そうしなければもう医療が社会から信頼されない時代なのです。
 繰り返しになりますが,日本においてより成熟した臨床倫理学や医療倫理学を成立させるためには,医療従事者が患者を含めた他の分野の人々と十分にコミュニケーションが行なえるフォーラムの確立が前提条件であること,それと医学部の中に生命・医療倫理学の教育や研究を行なう講座・研究機関などを設置していくことの必要性を指摘しておきたいと思います。
 現在,全国のすべての医科大学・医学部に倫理委員会が設置されています。インフォームド・コンセントも健康保険で点数がつくようになりました。私の学生時代とは大きな違いです。制度さえ作ればそれでよいというのではなくて,なぜこのような制度ができてきたのかも十分理解し,医療従事者も患者も,共に安心して医療を行ない,受けられる社会が来ることを望んでいます。