医学界新聞

連載 市場原理に揺れるアメリカ医療(4)

インフォームド・ヘルス?

李 啓充 Kaechoong Lee
マサチューセッツ総合病院内分泌部門,ハーバード大学医学部講師


 デビッド・ヒンメルスタイン,45歳。彼は医師としてケンブリッジ病院で臨床に従事する傍ら,公衆衛生学の研究者としてハーバード大学医学部準教授の肩書きを持つ。
 彼がHMO大手のUSヘルスケア社(以下US社)から契約解除を通告されたのは,昨年12月,テレビの番組で,保険会社の重役たちがNBAのスター選手並みの高給を取っていることを彼が痛烈に批判した直後のことだった。契約解除の理由は明らかにされなかったが,彼がいわゆる「口止め条項」に触れたことは明白だった。

口止め条項とインフォームド・コンセント

 口止め条項とは,契約医師が保険会社の信頼性を損なう言動をとることを禁じる条項であり,例えば保険会社を批判したり,保険がカバーしていない治療法について患者に知らせたりすることを禁じている。
 治療法の選択について患者に包み隠さず説明することは,インフォームド・コンセントを得る際の必須要件であるが,口止め条項とインフォームド・コンセントとは明らかに相容れないものである。また,保険会社は契約解除の理由を説明しなくてよいことになっているが,一度保険会社とトラブルを起こした医師を他の保険会社が気に入るはずもなく,保険会社との契約を解除されるということは,実際には臨床医としての職を奪われることに相当するのである。
 ヒンメルスタイン医師は国民皆保険制を主張する過激な論客として有名であったが,彼がニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディスン(12月21日号)に保険会社を批判する論評を発表した際に,「ちなみにヒンメルスタイン医師は12月1日付けでUS社から契約解除を通告された」との附記が報じられたため,この事件は全米医学界に知れ渡り,一般のマスメディアの注目をも集めることとなった。
 反響は大きく,翌1月,マサチューセッツ州は保険会社が医師との契約要件に口止め条項を含むことを非合法化した。広がる批判にたじろいだUS社は,ヒンメルスタイン医師の契約解除を取り消すとともに,医師との契約書から口止め条項を削除することを決めたのである。

US社の急成長の理由

 US社は新興の保険会社であり,前回紹介したIPA型(開業医提携型)HMOを全米的に展開してきた。創始者のレオナード・アブラムソンは立志伝中の人物であり,タクシー運転手をして学資を稼ぎながら薬学部を卒業したといわれる。
 US社はアグレッシブな商法で知られ,セールス活動の熱心さ,洗練されたコンピュータ管理に加え,医療サイドに厳しい値引きを迫ることでも有名で,US社が進出した地域では医療コストの相場が下がるので,他の保険会社までも値引きの恩恵に預かることができるとまで言われている。
 こうして急成長したUS社であるが,利益率が高いことでも知られ,何と加入者の支払った保険金総額の10.5%がUS社の粗利益となっているのである。逆に保険金が実際に医療に使われる割合は75%と低い(他社平均は81%)。
 この,効率のよい経営を続けるUS社に目を付けたのが大手保険会社のアテナ社である。アテナ社はマネージド・ケア進出に遅れをとり,旧来型保険の加入者は減少するばかりであり,US社の10.5%に比べ昨年度の粗利益率は3.6%であった。
 4月にアテナ社はUS社との合併を発表した。新会社は2300万人の被保険者(国民12人に1人)を擁するアメリカ最大の保険会社となるのである。US社の創始者アブラムソンはこの合併により,現金と株とをあわせ,920億円の巨利を手にしたと言われる。

広告にうたわれたのは

 さて,このアテナ社がこの6月にニューズウィーク誌に載せた広告を見て,筆者は苦笑を禁じ得なかった。広告の趣旨は第2回に紹介した症例管理者(コストのかさみそうな患者に「効率的」な医療が行なわれるよう監視する役で,通常は保険会社に雇われた看護婦)が,いかに患者の立場に立って働くかを強調するものである。
 少し長くなるが引用する。「看護婦症例管理者という言葉はどの辞書にも載っていません。ウェブスターさんには失礼ですが,ちょっと真似をしてみましょう。有資格看護婦であり,(1)患者に情報を与え,医療に関わる決定に際して常に患者が参加できるようにする役割を担う,(2)医療に関わるすべてのサービスのプランを練り,これを用意し,統合する,(3)『インフォームド・ヘルス』(発明の項を見よ)という大きな理想を実現するための欠かせない一員。ちなみに『インフォームド・ヘルス』とは,健康と医療に関わるすべての情報を患者さんに効率的に提供し続けるために作られた新しい概念である」
 果たして,アテナ社の辞書に口止め条項という項目はあるのだろうか。