医学界新聞

 Nurse's Essay

「鉢植え」 八谷量子


 今,都会で1人暮らしをする若い女性たちの間で,鉢植えを育てることがちょっとしたブームだという。一昔前のバブル全盛期には,「ダサイ」などと敬遠されていた趣味が一躍脚光を浴びることになったわけで,世相を反映した興味深い現象である。
 しかし,コンクリートの小箱に押し込められたような都会生活の中で,ペットも飼わず,鉢植えも置かず,花さえも飾らない生活を続けていられたとしたら,むしろそのほうが奇異なことだといえるかもしれない。職場では当然のごとく,自分の部屋に戻ってからもゲームやインターネットの画面を見続け,携帯電話を離せない生活というのは,バーチャルの世界に限りなく病的依存を深める危険性をはらんでいる。
 ゼラニウムの小さな鉢が,若者たちに土の匂いを思い出させ,風を呼び,日光の温かさを感じさせてくれるとしたら,こんなに素敵なことはない。
 若い女性に限らず,鉢植えを育てるのは楽しいものだ。かく言う私も,鉢植えを2つ持っている。とっくに花が散り,葉ばかりが目立つアザレアとジャスミンだ。今年の2月の厳冬期に買ったアザレアの鉢は,何度か枯れそうになったが,そのたびに奇跡的に持ち堪えた。
 「いつかきっと,空気のよい高原の花畑に植え替えてあげるからね」という,私の言葉を信じているらしい。近々約束を果たしてやらなければならない。
 入院患者さんの多くは,「根づく」といって鉢植えを敬遠するが,長期療養を余儀なくされた慢性疾患の患者さんたちの場合は,必ずしもそうではない。以前勤めていた病院の結核病棟には,大きなテラスがあり,患者さんたちが丹精を込めて鉢植えを育てていた。わずかな緑の空間に,患者さんたちは一瞬,永遠の命を託していたのかもしれない。
 豊かな海が育つためには,豊かな緑を持つ山林が不可欠だという。人間にとっても,絶対そうに違いないと確信している。