医学界新聞

新連載 市場原理に揺れるアメリカ医療

業界再編

李 啓充 Kaechoong Lee
マサチューセッツ総合病院内分泌部門,ハーバード大学医学部講師


 ボストンでは病院の合併が大流行りである。1993年12月のマサチューセッツ総合病院とブリガム・アンド・ウィメンズ病院の合併に端を発し,ニューイングランド・ディーコネス病院とベスイスラエル病院,ボストン市立病院とボストン大学医療センターと,有名病院間の合併劇が相次いだ。
 なぜ,「老舗」ともいえる有名病院が,伝統も面子もかなぐり捨ててライバル同士で合併するようになったのか。その背景を理解するには,現在アメリカで進行中の医療革命の現状を理解しなければならない。

マネージド・ケアの影響

 クリントン政権の成立直後,医療保険制度の大改革が試みられたが,この試みはヒラリー・クリントンの政治的稚拙さもあってあえなく頓挫する。政治の側からの改革の動きが停滞する一方で,医療の現場では,資本・市場の論理に基づく変革があっという間に進行した。「マネージド・ケア(Managed Care)」という名の新保険制度がアリメカの医療を大きく揺さぶっているのである。
 簡単に言うと,従来型の医療保険が基本的に「出来高払い(fee for service)」であるのに対して,マネージド・ケアでは保険会社は医療行為の内容に関係なく一定額の支払いを医師に保証する。保険会社の支払額と医師が医療行為に消費したコストとの差額が,医師の手元に残るわけである。マネージド・ケアでは医療費の節減が第一の目的であり,マネージド・ケアに加入する被保険者の急速な増加に伴って,上昇の一途だったアメリカの医療費支出にはっきりと抑制効果が見られるようになってきたのである。
 この新しい保険制度のもとで,医師と患者の関係も大きく様変わりしている。従来型の出来高払いの保険では,医療行為を施すほど医師の収入は増えるのに対し,マネージド・ケアでは,何もしないほど医師の実入りが増えることになる。また施されるべき医療内容が保険会社によって管理(manage)される結果,医療行為に関する医師の裁量権に大きな制約が加えられることとなる。医師は「医療サービス」という名の商品の供給者にすぎず,販売されるべき商品の内容は保険会社が決定するのである。患者(被保険者)側からすると,医者を自由に選べないなどの制約があるものの,保険料が安いということが大きな魅力となる。
 保険料の大部分を実際に支払うのは,雇用主(企業)である。雇用主としては,保険料は安いほどよい。企業との大口契約を確保するために,保険会社は安売り合戦を展開する。安売りを可能とするためには,支出を減らさねばならない。医師,病院など医療サービス供給サイドへの支払いを減らすのである。こういった市場原理の力学が現実にどのように働くのかを,以下,マサチューセッツ州での実例で見てみよう。

立場の弱い病院側

 マサチューセッツ州で最大手の医療保険会社はブルークロス・ブルーシールド社(以下ブ社)である。ブ社は今年1-3月の決算で,1800万ドルの赤字を計上した。他の保険会社との競争が激しく,大口契約者からの保険料値下げ要求を受け入れざるを得なかったことが大きく響いた。例えばマサチューセッツ州最大の企業ライセオン社(湾岸戦争で名を馳せたパトリオットミサイルを製造する武器会社)との契約更新にあたり,ブ社は20%の値下げを呑まされ,競争相手の保険会社から「絶対に黒字が出るはずがない」と呆れられたのである。
 ブ社としては,医療サイドへの支払いを減らす以外に道はなく,今年1月になってから,契約関係にあるマサチューセッツ州の54病院に対し,一律30%の支払いカットを要求した。渋る病院側に対する見せしめであろうか,こんな要求は入れられないとしたスターディ記念病院は,ブ社との契約を3月に解除された。4月に入って交渉は終わり,病院側は30%の支払いカットを受け入れざるを得なかったのである。
 大手保険会社との契約は病院にとって生命線であり,現実に,ニューイングランド医療センターは,マネージド・ケアの最大手であるハーバード・ピルグリム・ヘルスケア社との契約を解除されたことで入院収入が激減し,現在深刻な経営危機に瀕している。ニューイングランド医療センターは,創立から200年というマサチューセッツ最古の伝統を誇る老舗中の老舗であるが,ボストンの大病院の中でたった1つ合併トレンドに乗り損ねた病院である。ボストンで病院の合併が流行るのも,実は厳しい市場原理のもとで必死に生き残ろうとするためなのである。


 市場原理の荒波に襲われるアメリカ医療の現状を日本の医療関係者の皆様にお伝えするのがこの連載の目的であるが,固い話だけでなく,アメリカ医療にまつわるホットな話題も随時お伝えしたいと思っている。


李啓充氏プロフィル
1980年京大医学部卒業。1987年京大大学院医学研究科修了。1990年よりアメリカのマサチューセッツ総合病院にて研究に従事(1993年よりハーバード大医学部講師)