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JIM 2011年9月号(21巻9号)

家庭医の生涯教育・再考

藤沼 康樹(医療福祉生協連家庭医療学開発センター)


 「糖尿病治療の最近の進歩」「新しい抗凝固療法」「エコーによる◯◯の診断」などといった,地域のプライマリ・ケア医向けの講習会はさまざま行われているが,プロトコールやアルゴリズムの伝達,あるいは知識・技術に関する講義が圧倒的に多い.Sturmbergらによる臨床問題の構造分類1)からみると,生涯教育のコンテンツの現状は,ほぼSimpleな問題に関するものである.ところが,Simpleな問題の組み合わせ=Complicatedな問題になると,こうした生涯教育方略は使えないことがわかる.高血圧症,糖尿病およびその合併症,前立腺肥大,慢性心不全などが併存している場合に,どのような治療戦略を立てるかという講義は,問題自体の個別性が高いことと,問題の組み合わせが無限にあるため,多くの参加者のニーズにあわせることができないからである.

 こうした併存疾患の多い事例に関して学ぶよい機会は,教育研修病院における臨床カンファレンスであろう.カンファレンスでは単一の臨床問題のみの患者を取り上げることは比較的少なく,さまざまな領域の専門医がディスカッションしながら事態を解きほぐしていくものが多く,Complicatedな問題についての重要な学びを得ることができる.また,そうした場に参加できずとも,さまざまな領域のエキスパートに直接意見を求める,あるいはsocial network serviceやメーリングリストなどで相談することも,また問題解決にむけた学びを得ることができるだろう.

 それでは,今月号で特集した困難事例,あるいはComplex/Chaos事例について生涯教育は可能だろうか.たとえば,高血圧症,糖尿病,慢性心不全,アルコール問題,家族問題,法的問題で,事態がコントロール困難になっているようなケースである.こうした事例は,家庭医が日常的に対応する健康問題のなかで頻度は高くはないが,特定の個人,家族,地域と長くかかわっていくという仕事の性格上コンスタントに出会う問題といってよい.そしてComplex/Chaos事例に対応するために必要なのは,通常の医学的知識に加えて,心理学,行動科学,医療社会学,ソーシャルワークなどに関するボキャブラリーであり,患者中心のコミュニケーション,チーム構築,地域リソース開発といった領域のスキルである.こうした領域に関する学びは,日常的に多職種と連携しながら活動している家庭医なら,系統的ではないにせよ自然に行われていることが多い.そして,Complex/Chaos事例への対応は,実質的な生物心理社会モデルの実践である.家庭医はSimpleな問題であっても生物心理社会モデル2)のmindset(心構え)が常にもとめられるのであれば,Complex/Chaos事例への取り組みは,家庭医療後期専門研修プログラムにおける重要な教育目標であるし,卒前医学教育でも一定の学びがあってしかるべきだろう.

 Simpleな臨床問題以外の学びにおいては,受身の講義ではなく,自己決定型学習やディスカッションによる学びが重要になってくるが,ベテランになるほどこうした学びは不得意であることが多い.このあたりの学び方への抵抗を軽減する工夫も,生涯教育プログラムには必要であろう.

1)Martin C, Sturmberg P:General practice─Chaos, complexity and innovation. Med J Aust 183 (2):106-109, 2005.

2)Engel GL:The clinical application of the biopsychosocial model. Am J Psychiatry 137(5):535 -544, 1980.