Editorial

“新しい夜明け”に向かって
松村真司
松村医院 院長
僕のいとしい人、彼女は静寂のように話す。
理想も暴力もなしに話す。
彼女は自分が忠実だと、言う必要もない。
それでも彼女は誠心誠意、氷のように、炎のように。

(ラブ・マイナス・ゼロ、ボブ・ディラン、1969)

 日々、地域の人々の診療をしている。市井の開業医なのだから当然なのだが、診療をし、診療の合間に他の仕事をし、残りの時間で家族と過ごし、わずかに残る自分の時間を持ち、泥のように眠り、目覚め再び診療に向かう。こんな生活を続けていると、何かが少しずつはみ出していくような気がする。ふっと気づけば資本主義は狂おしいまでに発達し、いつの間にか未熟な怒りと欲望を隠しもしない人々が君臨する時代になった。私たちの魂は、資本主義のマントラである数字に置換され、電気信号と幻影で構築された生命なき空間を通ることで不思議な形に変換され、善意とも悪意ともつかない奇妙なものを身にまとい、再び液晶画面の上に現れる。液晶のこちら側は、情報と一体化した不思議な形の魂にこの身が支配されるのを食い止めるので精いっぱいである。導火線に火のついた手りゅう弾を渡された哀れな最前線の二等兵のように、ただこの身を守ろうともがいているうちに時は一方向に流れ、戻ることはない。果てない新陳代謝と摩耗の末、わずかに残された沈殿物は、いずれ時を経て「歴史」と呼ばれるものになるのかもしれない。運がよければ。

 今、私の手元には、四半世紀も前に発行された本誌の前身雑誌である総合診療誌 『JIM』(Journal of Integrated medicine)の創刊準備号がある。この非売品の見本誌がどんな経緯で届いたのか今となっては定かでないが、プライマリ・ケアを心から好きだった亡き父が、ちょうど私が医学部を卒業した頃に入手したものである。発行元にさえ残っていなかった貴重な見本誌のページをめくると、今よりも少なくとも25歳は若い多くの医療人たちが、未来の総合診療に対する熱い思いを口にしている。

 本号は、2017年に予定されていた専門医制度の開始に合わせ、当初いわば新たな「創刊準備号」として企画されたものであった。企画の段階では、25年前のこの冊子へのオマージュを込め、関係する人々の語りを通じ、総合診療の過去と未来を紡ぐものとなるはずであった。ご存知のように紆余曲折を経て、一時は見通しもつかなくなることで発行も危ぶまれたが、最終的にはこのような形で世に出ることになった。本誌の内容については読者の評価に委ねることにするが、多くの人たちのご尽力のおかげで、「今」における「総合診療の来し方と行く末」を凝縮するものとなったと思っている。

 しかし、これまで多くの出来事があった。そのなかには、狡猾に潜む悪意から生じることも、私たち自身の闇の部分から生じたこともあったのだろう。歴史から、私たちは何を学ぶべきなのだろうか? 己の欲望や保身を捨て、この世界と対峙する力を、私たちはいつかもつことができるのだろうか?

 再び個人の話に戻る。自分もこの間、町の医師として、そして総合診療に関わる者として走り続けてきた。これまでの足跡には、さまざまな評価があろう。ある人は無価値と断罪し、またある人は愚鈍な男のあがきと評するのかもしれない。しかし、多くの人にとってはどうでもいいことである。答えは、自分の中にしかない。同じように、これから始まる予定の新しい制度も、そしてそこから生じるさまざまな出来事も、多くの人にはさして興味のないことにすぎないのだ。自戒を込めて、自分の欲望と、世界を取り巻く悪意に目を閉ざすことなく、これからも淡々と続けていくしかない。やり方を少しずつ変えながらにしても。

 さらに個人的な話で恐縮だが、思うところあって本誌の編集委員を本号を最後に辞することにした。長い間この巻頭言では、思いつくまま好き勝手なことを書いてきた。この場を借りて、読者の皆さまには、そのお詫びと、これまでのご支援に厚く御礼を申し上げたい。

 冒頭の詩は、東洋思想に影響を受けた若きディランの曲の一節である。曲中で、彼はこう続けている。

There's no success like failure,
and that failure's no success at all.
失敗に等しい成功はない。
そして、その失敗は決して成功などではない。

 新しい年が始まる。“新しい夜明け”が来る。そして、日々は続く。失敗や成功という枠組みを越えるのだ。心に忍び込む欲望や狡猾な悪意に負けぬよう、そして内的規範を見失わぬよう、自らと対峙しつつ、“新しい夜明け”に向かって進んでいきたい。

 そう願っている。