書評  こころの時間学の未来

6911表紙 『BRAIN and NERVE』誌 2017年11月号に「こころの時間学の未来」というタイトルの増大特集が掲載された.「こころの時間学」とは,2013~2017年度までの5年にわたる科研費新学術領域研究〔代表:北澤 茂(大阪大学教授)〕の名称であり,この特集号は,その領域研究における成果の集大成の一部としてまとめられている.

 「時間とは何か」という概念的な問いに対する論考は,主に哲学の文献に数多く見出されるが,一方で,これまで科学的な研究対象として「時間」を扱ってきたのは,主に物理学,特に力学の分野であろう.しかしながら,それを主体の中で知覚,認知するメカニズムの科学的探求については,これまで決して目覚ましい発展があったわけではなかったように思われる.その理由は,心理的な側面として「時間」を正確に取り出すことの難しさにあったものと推察される.極論すれば,時間が関与しない知覚・認知処理など存在しないわけであり,あらゆる現象には時間という要素が付帯されてくる.ゆえに,時間のみを取り出そうとしても,他の要素を排除することが困難になってくるのが常である.よって,心理的な意味での時間の謎に迫るためには,時間を多次元的に捉え,その共通要素を炙り出すということが必要になってくる.

 科研費の新学術領域は,あるテーマについて,複合領域から分野横断的にクロストークしながらアプローチする研究プロジェクトであり,時間の探求を深めるうえでは,まさに絶好の機会であろう.実際,この増大特集でも非常に興味深い成果が示されている.

 特集全体を概観して,取り上げられているテーマは,(1)時間知覚や時間評価,(2)タイミングとしての時間とデュレーションとしての時間,(3)過去・現在・未来という軸から捉えた時間,(4)時間処理機構の障害,(5)時間処理と空間処理の類似点と相違点,(6)時間処理に関わる言語認知機能,(7)時間概念の発達と進化,などに集約できる.全体的にみて特に印象的な点は,いずれのテーマにも,表出される行動の背後にある神経メカニズムを探るアプローチが含まれており,先端的な研究成果が網羅的に紹介されていることにある.いくつかの研究では,これまでの研究の壁を乗り越え,心理的な時間を正確に取り出すことにも成功しつつあるものと評価できる.特に,記憶として取り出される「過去」,「いま」という自己意識の幅を持つ「現在」,予測として表象される「未来」という時間軸の中で,時間が脳内でどのようにつくり出されているのか,その難題が徐々に解かれ始めていることに大きな興奮を覚える内容となっている.

 こころの時間学の「未来」と題されていることからもわかるが,冒頭の鼎談でも議論されているとおり,本特集全体に目を通すと,今後,どのような方向に進んでいくべきか,さまざまな可能性が浮かぶ.こころの時間論が,これまでに構築された物理学・力学・哲学の時間論とどのように融合されていくのか,時間処理の各要素の障害は,われわれの自己(セルフ)の認識にどのような影響を及ぼしているのか,さまざまな日常的時間に関する主観的経験をどのような理論で説明すべきなのかなど,問いは尽きない.逆にこれは,それだけこの領域がいかに魅力的であるかの証しである.読者には,特集号の一読を強く勧めたい.