質的研究のための現象学入門
対人支援の「意味」をわかりたい人へ

もっと見る

現象学はムズカシイ!? でも、真にクライエントのためになりたいと支援し、研究を志す人に、現象学的理解は欠かせません。それができれば、どれだけ自信をもって実践・研究に当たれることでしょう。同じように悩んだ著者が、温め続けてきた構想「ゼロからわかる現象学」を、1冊の本にしました。支援職の目線で読み解く現象学です。
編著 佐久川 肇
植田 嘉好子 / 山本 玲菜
発行 2009年11月判型:B5頁:144
ISBN 978-4-260-01008-5
定価 2,640円 (本体2,400円+税)
  • 販売終了

お近くの取り扱い書店を探す

  • 更新情報はありません。
    お気に入り商品に追加すると、この商品の更新情報や関連情報などをマイページでお知らせいたします。

  • 序文
  • 目次
  • 書評

開く

まえがきはじめに

まえがき
 苦しむ人の助けになりたい.看護や福祉など,支援職を目指す多くの人はまずこのように考えるのではないでしょうか.しかし苦しむクライエントの「生」の意味を考察し,そこから支援の原理を学び,研究としてまとめたいという志を抱いて入学した学生の多くは,まもなく大きな壁に突き当たります.その壁とは,そのようなクライエントの「生」の意味などという主観的なものを対象としたテーマでは客観性が得られないので科学とは言えない,したがって研究としては成立しないという,周囲からの有形無形の圧力です.多くの学生がこのような壁の前でなすすべもなく立ちつくし,やがて涙をのんで客観性(厳密には妥当性)が保証されるとされる量的科学的研究に移っていく姿は,今なお多くの大学院で見られる光景です.しかし現象学は自然科学や社会科学などと対等な資格で客観性(妥当性)をもち,異なったやり方でクライエントの生の意味を究明する学問です.
 筆者も医療の現場にいた頃は神経学と臨床脳波学を専門とし,「学問とは科学のこと」と信じて疑いませんでした.しかし大学教師となり,支援職を目指す学生達とつき合っていると,彼らの隠された願望に気づくようになりました.その願望とは,真にクライエントのためになる支援がしたい,そのためにはクライエントをできる限り深い視点から理解し,そこから支援の原理を考えたいという,科学的思考とは異なった実存的願望です.
 実存哲学には筆者自身も学生時代から強い興味を持っていたので,ハイデッガーの著書が現象学という原理で書かれているらしいことは知っていましたが,肝心の現象学の祖フッサールの著書は読んでみてもほとんど理解できずに投げ出してしまいました.しかし,学生達の,よい支援者になりたい,そのためにクライエントを深く理解したいという実存的願望につき合っているうちに,ある現象学の解説書(竹田青嗣「はじめての現象学」46)44))に出会い,これまで自分が外来患者さんに対して行ってきた治療行為が,実は現象学の原理そのものだったことに気づかされました.このことによって,学生達の支援の研究に対する実存的願望が,現象学によって達成可能であることがわかりました.
 学生達に教えるために,いくつかの既存の現象学的研究方法の解説書を読んで感じたことは,これらの説明では熟達した研究者でなければ,研究は困難ではないか,ということでした.現象学をまったく知らない初学者のためにゼロからわかる研究方法の解説書を書きたい,と思い立ったことが本書執筆の動機です.一緒に勉強した学生の中の2人(植田,山本)が,本書の共著者として執筆に加わりました.
 読者の皆さんも,クライエントに対するよりよい支援の研究に興味を抱いて本書を手にしたことと思います.本書を通して,現象学は日常の他者との関係で絶えず行われている原理であることがわかり,これによって皆さんの支援に対する実存的テーマが,「研究」として成り立つことが明らかになるでしょう.

 2009年10月
 佐久川 肇

 【参考文献】
 44)竹田青嗣:現象学入門.日本放送出版協会,1989
 46)竹田青嗣:はじめての現象学.海鳥社,1993




はじめに
 医療や看護,福祉の目標はクライエントに対するよりよい支援です.したがってこの領域の研究の究極の目標とは,「よりよい支援に貢献する」ということになるでしょう.支援の対象となる「クライエント」とは疾病や傷害などにより苦痛・困窮を体験している人々です.ここでいう現象学的研究とは,研究者の目に映ったこのようなクライエントの,その人だけにしかわからないその人固有の「生」の体験について,できる限りその人自身の意味に沿って解き明かすことを指します.これはクライエントの苦痛・困窮をより根本的な視点から洞察・理解することを意味します.これによって支援者は,より深い視点から支援方法を探ることができるでしょう.
 しかしながら,研究者の目に映ったクライエントの固有の体験の意味とは,まさに研究者の主観そのものです.「私」を離れて,研究対象者を客観的に見ることが学問の条件のはずなのに,研究者の主観的体験を対象としたのでは研究にならないのでは,と思うかもしれませんが,これを可能にするのが現象学で,このような研究を目指す学生のために,現象学をできる限り基本から説明する,というのが本書の目標です.
 対人支援の領域における現象学の研究方法については,すでに多くの解説書が出ています.しかしこれらを手にとってみると,内容のわかりにくさに戸惑います.初心者のためにわかりやすさを強調している入門書の内容も,必ずしも初心者にとってそれほどわかりやすいとは思えません.その最大の原因は,予備知識をまったくもたない読者に対して,現象学の原理に関するゼロ地点からの説明がなく,また現象学の原理が対人支援に応用されればどのようになるのかも説明がなされないまま,現象学についてのこれまでの知見が述べられ,研究方法が紹介されている点にあると思われます.言い換えれば,難しさの原因は,多くの解説書で読者は現象学について,すでにある程度の知識があるものと暗黙に前提されており,結果として初心者に対して始めから高いハードルが設けられていることにある,と見受けられます.
 本書はこのような暗黙の前提を取り払って,読者が現象学的研究方法をまったく知らないゼロの状態から理解できることをねらいとします.そのゼロ地点を「研究とは何か,支援とは何か」を理解することに定め,そこをスタートラインにしました.現象学的研究はこの2点の理解が不可欠だからです.このように本書では現象学の原理を支援研究のツールとして用いることが目的であるため,原理の詳細には立ち入らず,わかりやすさを最優先して説明します.

開く

Part A 質的研究のための「現象学入門」
 対人支援の「意味」を理解したい人への研究の手引き
 序章 現象学的研究方法をわかりやすく学ぶには
 第I章 学問の原理とは-ゼロから始めよう
 第II章 「支援」から見た科学と現象学
 第III章 支援の研究になぜ「実存」の理解が必要か
 第IV章 「支援」における現象学的研究の基本
 第V章 現象学的研究の実践 現象学的方法をどのように習得するか
 第VI章 現象学的研究の具体例
 第VII章 支援領域における現象学的研究の課題
 【引用・参考文献】

Part B のぞいてみよう!質的研究
 現象学の位置づけとその意味
 1.質的研究とは何か
 2.代表的な質的研究方法の紹介
 3.質的研究法の関係図式
 【質的研究全般に関する文献】
 【Part B-2.代表的な質的研究方法の紹介での引用・参考文献】

開く

新たな研究方法が発する問い
書評者: 西村 ユミ (阪大コミュニケーションデザイン・センター)
 医療や福祉の分野において患者やクライエントに手を差しのべようとするとき,支援者はそれぞれの学問分野の理論やツールを駆使してその人の状態を理解しようとする。一人ひとりの個別性を重視して支援をしようとするためだ。が,その理解の枠組みが,その人の生や苦悩を取りこぼしてしまうとき,枠組みの問い直しや別様の視点の探求に向けた運動が発動する。本書は,その運動の一つとして編まれている。

 著者らがめざすのは,よりよい支援としての「実存的支援」である。「苦痛や困窮」を体験しているクライエントが「生きる意味と価値」の達成に向かえるよう支援するために,彼らの「個別的体験の意味」「生の実存的意味」を解き明かそうとする。その際,採用されたのが「既成の前提を置かず,ものごとを根源から考える」「現象学の原理」である。が,「ものごとがどのように見えるかは,研究者の見方によって異なっている」。この「研究者の主観を客観化すること」,その原理の解明と方法論の提案が本書の柱といってよいだろう。

 著者らはこの原理として,現象学の概念である「還元」を取り上げ,その作業(解釈の手順)を紹介する。それによって,クライエントの体験の「実存的意味」が,第三者にも妥当なものとして取り出される,とされる。そしてこの作業は,研究の初心者にもわかりやすいよう,研究の手順として図式化して提案される。

 興味深いのは,支援領域における現象学的研究の課題として,「客観性の問題がある」というサイエンス側からの批判への応答,「果たして現象学と称する資格があるのか」という内部からの批判への応答が記述されている点である。こうした批判を予測し,その応答が準備されるのは,現象学的研究が研究方法として確立(固定)されていないことの現れかもしれない。

 しかし,一つの方法として固定されること,とりわけ方法の手順化への疑問や議論もある。現象学が,近代科学の客観主義的な構えの問題性に切り込もうとしたのは,科学自体をも成り立たせている生きられた経験の忘却への反省ゆえであった。本書も,このモチーフを手がかりにしているはずだ。「事象そのものへ」という格率は,それだからこそ一切の先入見を排して事実に即して事象を見つめていく態度を要請した標語である。現象学は,「おのれを示す当のものを,そのものがおのれをおのれ自身のほうから示すとおりに,おのれ自身のほうから見させるということ」〔マルティン・ハイデガー著,原佑・渡邊二郎訳,『存在と時間』。中央公論社,1980年〕。それゆえ記述のスタイルや方法は,事象である現れのほうが強いてくる。支援領域の研究において,他者の経験を理解する視点や方法は,その他者の経験のほうに与えられ,経験の理解は記述を通して発見される。それらは決して,その人の経験の“外側”にある,あらかじめ作られた方法や手順に従うことからでは見えてこない。

 それゆえに現象学は,「己れ自身の端緒のつねに更新されてゆく経験」とされる〔メルロ=ポンティ著,竹内芳郎・小木貞孝訳,『知覚の現象学1』。みすず書房,1967年〕。それを手がかりにした本書の方法は,更新される経験の一様態であり,とらえ直されるべきものとなるだろう。本書に触れて,研究の方法(論)とは何であるのか,「事象そのもの」に徹しようとする現象学の態度はわれわれに何を問いかけているのか,という根本的な課題について改めて考えさせられた。

  • 更新情報はありません。
    お気に入り商品に追加すると、この商品の更新情報や関連情報などをマイページでお知らせいたします。