序
この本は,医学書院発行のプライマリ・ケア/総合診療のための月刊誌である
『JIM』(Journal of Integrated Medicine)に2003年1月から毎月連載されている「What's your diagnosis?」の症例を集めたものである.ただし,過去に書いたものを単に集めたわけではなく,単行本化にあたってはかなりの改訂作業が必要になった.書式の整理・統一に始まり,内容の刷新や文献の見直しに及ぶので,書き下ろしに近くなった原稿があるかもしれない.
この連載は,近年は洛和会音羽病院で毎月第1金曜日に開かれている“京都GIMカンファレンス”に提示された症例の中から選ばれている.毎回午後6時から9時近くまで約3時間をかけて3症例が検討されるので,連載にはカンファレンス提示症例全体の1/3しか載せられない.各回の出席者は老若男女数十人に及び,勤務医が圧倒的に多いが,最近は開業医も散見される.いずれも総合診療や家庭医療の同好の士である.症例提示者は常連の7つの病院の研修医や若手総合診療医にほぼ限られるが,参加者全体の勤務先病院はぐっと多数になり,その設置場所も京都府以外のいくつかの都道府県にまたがる.
“京都GIMカンファレンス”の最大の特徴は,全く予備知識なしのぶっつけ本番であることである.正診は,症例提示側だけしか知らない.まず病歴だけ,次に身体所見,次いで初期検査所見が示され,各段階で参加者が鑑別診断を考えながら自由に質問し合い,実際の臨床の流れに沿った形で診断を絞ってゆく醍醐味を味わう.参加者は遠方からわざわざ集まってくるので,「典型的症候を呈する日常的な疾患」の提示というわけにはゆかない.どうしても「興味ある症例」の提示になりやすく,「日常的な疾患だが,非典型的症候を呈する場合」とか,「典型的症候を呈するが,比較的珍しい疾患・病態」の検討が主体になる.中には「非典型的症候しか呈さないかなり珍しい疾患」が提示されることがあり,錚々たる面々の口調が滑らかでなくなることもある.
長幼の序へのこだわりはなく,自由な議論が売りである.何せ参加者の人数も多く,出身背景も広く,医師経験年数も異なり,要は誰が何者だかよくわからない.洛和会音羽病院に滞在中の“大リーガー医”が飛び入り参加することもある.
さて,話題を広げよう.装いも新たに新医師臨床研修制度が発足して4年以上が経過したが,まだまだ足りないものの一つに「診断推論の徹底した訓練」があげられる.病歴はhistory,身体診察はphysical examinationだから,英語では“H&P”とよくいわれる.“H&P”こそ医学の基本なのであり,診断推論の訓練には“H&P”を土台に据えるべきである.諸検査の手前でもっともっと検査前確率の推定にこだわりたいものである.
鑑別診断は,決して病歴と身体所見と検査所見を込みにして行わない.鑑別診断の第一歩は,まず病歴だけで行う.病態生理の出番であるが,幅も深さも不可欠である.そして,疾患頻度の重み付けをする.つまり,第1に何,第2に何…,逆に考えにくいものは何,考えられないものは何,というふうに展開する.同じ症候を呈していても,疾患頻度は「診療の場」によって多少,時には大きく変わる.重症度や緊急度の重み付けも大切である.つまり,少々考えにくくても,重篤な疾患や緊急性のある病態なら存在感が大きくなる.
鑑別診断の第2歩は,身体所見の追加による整理である.身体診察では,眼底検査や直腸診も省略せず,「頭のてっぺんから足の爪先までの全身診察」を合言葉にする.系統だった身体診察法の修得は,日頃の訓練なしにはあり得ない.同時に,それに支えられた臨機応変な対応,いわば「きらりと光る身体診察」も,忙しい臨床現場では欠かせない.なお,身体所見に関しては,「検者の想定内のものしか見えず,聞こえない」といわれる.つまり,視診や聴診による異常所見も,病歴上での鑑別診断に即して初めて把握できるというわけである.「身体診察前確率」の推定が重要だともいえる.
その後に初めて,「したがって,どういう検査をする意義があり,どういう検査は意味がないか」が検討される.検査特性の優劣も論じられる.必要最小限の初期検査所見に照らして検査後確率を解釈するのが,「What's your diagnosis?」という按配である.
この症例集は,“京都GIMカンファレンス”参加病院の総合診療科に集まってきた患者を総合診療医が主体的に診断・治療したものばかりである.類書は少ないと思われる.50症例しか選べなかったが,『JIM』に連載できなかった症例のうち28症例をコラムの形で追加することができた.
ここで,“京都GIMカンファレンス”の沿革について述べたい.2008年8月に第122回を迎えるこのカンファレンスの第1回は,1998年4月に京都大学医学部総合診療部で開かれた.私が1998年3月に京都大学総合診療部臨床教授に就任した機会に,医学生の学外実習以外の活動にも取り組みたいと申し出たのである.京都大学総合診療部が開設されてすでに4年が経過しており,私も当初から非常勤講師陣に加えてもらっていたが,老舗の名門医学部での新設科の臨床的展開はかなり波乱含みに思われた.「先生,せっかくの総合診療の臨床教授なので,一般内科が主体の当院(市立舞鶴市民病院)の症例を京大の研修医や医学生たちに提示させてもらえませんか」と私.「それは願ってもないことですね」との快諾の主は,総合診療部教授の福井次矢先生(現聖路加国際病院院長).
数カ月後に国立京都病院(現京都医療センター)の酒見英太医師が参加するよろづ相談所病院,京都民医連中央病院の面々が,次々と参加するようになった.提示症例の幅が広がり,臨床経験談の厚みも増加した.“京都GIMカンファレンス”という命名は,『JIM』連載開始の時期と呼応している.カンファレンスへの参加者はその後もさらに増加したが,京都大学総合診療部の組織改変に伴い,2006年4月に開催場所を洛和会音羽病院に移している.
酒見君の功績の第2は,連載記事の現在の体裁を発案したことである.各論文の「変わったタイトル」を間接的ながら誘導したことも含まれる.なおRed Herring(燻製ニシン)は狐狩り用の猟犬の嗅覚を鍛えるために使われたので,「鼻ごまかし」とでも訳されるべきものであるが,日本語の体裁上「めくらまし」とさせていただいたとの由である.そして,功績の第3が,この本の編集の水準維持に大きく関わってくれたことである.
診断推論には,正統な仮説演繹法以外に,教育用の徹底的検討法(VINDICATE+P),アルゴリズム法,老練者(?)用のパターン認識などがある.袖振り合う老若の参加者がぶっつけ本番で議論する“京都GIMカンファレンス”で,各種の診断推論法が混在するのは避け得ない.混沌の整理は,次代を開く青壮年医師の肩にかかる.最近の連載論文のなかには,EBMの手法や用語がかなり自然に盛られている文体がみられ,新たな胎動を感じる.
2008年10月
松村理司