看護師の臨床の『知』
看護職生涯発達学の視点から

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看護師は日々実践のなかで「看護の本質」を模索し、患者や家族との関わりを通して達成感や充実感を得ている。本書は看護師の臨床判断や行為を通して臨床の『知』を探求してきた著者が辿りついた看護師の臨床の『知』のパターンを紹介するとともに、実践から学ぶ醍醐味を生き生きと伝える。看護職として、生涯現役を推奨する著者は、「看護職生涯発達学」の構築をめざしている。
佐藤 紀子
発行 2007年09月判型:B6頁:248
ISBN 978-4-260-00562-3
定価 1,980円 (本体1,800円+税)

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あとがき

 最近売り出された竹内まりやの「Denim」というCDの最後に、「人生の扉」という歌がある。
 二十代には見えなかったことが、五十路を超えた今は見えるようになり、春の桜や秋の紅葉を心のより深いところで感じ取れるようになった。この先、六十代、七十代、八十代、そして九十代、どんな風景を味わうのだろう。長い旅路を愛する人たちのために大切に生きて行こうよ、というメッセージが込められている。

 看護師になって三十数年が経ち、私も竹内まりやと同じ五十代になった。「人生の扉」では、四十代を「愛しい(lovely)」、五十代を「素敵な(nice)」と歌っているが(ここの部分の歌詞は英語である。訳は筆者)、私の四十代は、ほぼすべてをかけて看護師の臨床の『知』を探る研究に取り組んだ。五十路を超えて、その研究の延長上にあった日本各地の看護師のナラティブと研究の成果を一冊にまとめる機会を得た。

 私は勤務する東京女子医科大学において、看護管理学の一分野である「人材育成/キャリア形成支援」に特化した「看護職生涯発達学」という領域を研究科として立ち上げた。看護師のキャリアを支援する組織的なアプローチを構築するにあたって、まずは一人ひとりの看護師の体験とその内面にある世界を記述することが重要だと考え、そのための人材育成をしたかったからであった。看護師という仕事は地味な個人的な体験の繰り返しであるが、その個人的な臨床という実践のなかで看護師は不特定多数の人を迎え入れ、その人を気遣いながら経験を積んでいる。エキスパートの実践を知ることは、自身の仕事をふり返り、共感し、自分を鼓舞するきっかけにもなるが、時には望むような実践をできない自分を責め、看護師に向かないと自己評価をしてしまう刃にもなる。
 しかし、「人生の扉」にはこうある。「愉快な(fun)」二十代、「夢中になる(great)」三十代、「愛しい(lovely)」四十代、「素敵な(nice)」五十代、「美しい(fine)」六十代、「十分やれる(alright)」の七十代、「まだまだ申し分ない(good)」八十代と。時間を積み重ねるなかで、新たな自分との出会いを楽しみながら、看護師という仕事をしていくこともまた自分自身の人生の扉を開き、人生の価値を確認することになるのではないだろうか。
 私は今、「75歳まで看護師として仕事をしよう」という言葉をモットーに、妊娠・出産・子育て、そして親の介護をしながら、それでも仕事を継続していこうと提案している。ワークシェアリング、週に3日4時間ずつ、週末だけ、毎日2時間だったら……というさまざまな働き方を支援し、電子カルテやハイテク機器の操作や書類の多さに戸惑う再就職した看護師に必要な研修を企画し、自分に合った職場を選択できるように情報を提供していきたい。そして、生き抜いている人たちが最後まで輝けるような保健医療福祉の場を作っていきたいと考えている。
 本をまとめるにあたっては、医学書院の河田由紀子さんと何回か話し合いを重ねた。一度に書きあげることはむずかしいと戸惑う私に、河田さんが雑誌『看護教育』に「エキスパートナースの肖像」として連載することを提案してくれた。1章はこの連載に紹介した10人の看護師の実践である。この連載は本書発行後も続いている。
 2章と3章は私の博士論文をもとに書き直したもので、2章は卓越した実践をめざし模索している看護師たちの内的な世界について、私なりに詳細に考察を試みたものである。これはまだ未完成で深く考えを進めたい部分であり、その探究を通して看護師たちが生涯にわたって仕事を継続できるような支援体制を作り上げていきたい。そして3章は、科学的な知識では説明しきれない看護師が臨床で用いている『知』を理解するための文献を私なりに検討したものである。
 最後に、事例を提供し、忙しいなかで時間をさいて話をしてくれた看護師さんたちにお礼を言いたい。ありがとうございました。

2007年盛夏
 この本を手に取っていただけたことに感謝しながら……
 佐藤 紀子

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第1章 エキスパートナースの肖像
 臨床の『知』を育んできた看護師たち
 エキスパートナースたちのナラティブ
第2章 看護師の臨床の『知』とその獲得過程
 看護師が臨床で用いている『知』の特徴と構造
 閉ざされた『知』
 相互作用の『知』
 関わりの『知』
 『知』の獲得過程
第3章 『知』の文献検討
 看護師の臨床の『知』とは
 看護における『知』と『知』の創造
あとがき
さくいん

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看護職生涯発達学を立ち上げた『知』への意気込みが伝わる力作
書評者: 井部 俊子 (聖路加看護大学学長)
 「看護師が臨床で経験を積むことの意味を考え続けて,20年の歳月を過ごしてきた」著者は,「20年前,臨床で主任看護師として仕事をしていた」頃,次のような看護師たちの暗黙の了解に注目した。「A看護師は,今日は大部屋と重症一人をもっても大丈夫」「B看護師は,大部屋と個室を二つ担当できるよね」という朝の打ち合わせの会話であった。しかし,何を根拠にそうした会話が成り立っているのかについては明確な回答がなかった。「思えば,私はその疑問に答えを出そうと,看護学の研究者として今日まで仕事をしてきた」という筆者の,長い思索の旅の記録が本書である。

 第1章では,10人のエキスパートナースたちのナラティブが紹介され,第2章では,看護師が臨床で用いている『知』の特徴が構造化される。16人の看護師の語りを分析した研究結果から,看護師が臨床で用いている『知』には「閉ざされた『知』」,「相互作用の『知』」,「関わりの『知』」があり,それぞれの『知』のパターンには異なった様相をもつ看護師の「存在の仕方」,「意味の捉え方」,「関心のあり方」があると記述する。

 閉ざされた『知』を用いるとき,看護師は身を固く緊張させ,身構え,クライアントを受け入れられずにおり,クライアントと自分が自由に存在する場ではなく「私の世界」にいる。看護師は自分を生かした仕事をしていないと感じ,関心はクライアントに向かっていない。

 相互作用の『知』を用いると,看護師は開かれた世界に存在し,クライアントとの関係は緊張と圧迫感はなく肩の力を抜いて振る舞っている。クライアントの以前の状況やいつもの様子などと比較して観察し予測をしつつ今の現象の意味を捉え,関心をクライアントに向けている。

 関わりの『知』を用いると,看護師は自由に広い空間のなかにいてクライアントに配慮する世界を造り出す。今そこで起こっていることの意味を,過去の多くの事例との関連で瞬時にまるごと把握し,クライアントの関心に気遣うという特徴をもっていると記述している。

 こうした『知』の獲得過程を,反省的実践(ショーン)や臨床技能の習得段階(べナー)を援用して考察を深める。看護師が,一人前から熟達者へと変化する際に必要な要件は,痛みを伴う経験が必要であり,行為という身体知を用い,現実と四つに取り組むコミットメントが重要であると論じる。

 第3章の『知』の文献検討において,暗黙知から形式知の創造が検討される。

 看護師の「身体に根ざした知性」に注目し,「看護職生涯発達学」という領域を立ち上げた著者の意気込みが伝わる力作である。
臨床で働くことの醍醐味(雑誌『看護教育』より)
書評者: 雑賀 美智子 (東京都立府中看護専門学校副学校長)
 引き込まれるように一気に本書を読んだ。第1章,第2章に記述されている事例では,涙が止まらず何度もハンカチを取り出した。臨床看護師たちの語る看護に胸を揺さぶられるとともに,看護師の語りを引き出し,分析を加えていく著者の臨床への熱い思い(コミットメント)にも感動を覚えた。臨床で働くことの魅力,醍醐味はまさしく,この語られた内容にあったのだとあらためて認識した。

 著者は,看護師が臨床で経験をつむことの意味を長年問い続けてきた。そして,エキスパートナースたちの内的世界を詳細に語ってもらい分析・考察することをとおして,看護師が臨床で用いている『知』には,「閉ざされた『知』」「相互作用の『知』」「関わりの『知』」の3つのパターンがあることを見出した。そしてそれぞれのパターンは,看護師のその場での「存在の仕方」,状況に関する「意味の捉え方」,その場での「関心のあり方」が異なることに辿りついた。

 看護師の『知』の獲得の過程,看護師の臨床の『知』について,べナーの臨床技能の習得段階,ショーンの「反省的実践家」,中村雄二郎の「臨床の知」,鷲田清一の臨床哲学,ポラニーの「知ること」などを用いて考察し,看護師が臨床で用いている『知』は暗黙知のまま無意識的に使われているものもあるし,意識化され形式知へと変換されて用いられているものもあると分析している。経験で得たものを個人の「勘」にとどめておくのではなく,形式知に変換させることで新たな暗黙知が生まれ,さらに新たな形式知に結びついていくと述べている。具体的な臨床の出来事を多方面から考察していて説得力がある。

 授業のなかで,臨床で体験したことを具体的に話したときに,学生たちの目の色が輝くことを多くの教員たちは経験している。そういうときの臨床体験は,教員にとって本書のなかでいう痛みを伴う経験,つまり,「自己の心身のつよい刻印」されたものだと思われた。 

 本書の最後に,看護師が自分のやりたい看護を実践するには,それを示してくれるモデルが必要であり,看護実践の場には『知』の伝達者の存在が重要であると述べられている。臨床看護師の方々には,学生たちのモデルとして存在してほしい。そのためには,自分たちが何を思って看護をしているのかを,まずは自分で意識し,病む人へのコミットメントをもって語ることが大切であり,そうすることで,看護師としての判断や行為が磨かれていくのではないかと思う。

 著者は,看護師が何をよりどころに仕事をし続けているのかを言葉にすることの意味と価値の重要性を強調している。そして,看護職として生涯現役を推奨し「看護職生涯発達学」という新しい領域を構築しようとしている。まさに,現代の看護界の本質的な課題解決のために書かれるべくして書かれたタイムリーな書物なのではないだろうか。
看護の意味と価値を紡ぎ出す臨床看護師の語り(雑誌『看護学雑誌』より)
書評者: 吉田 みつ子 (日本赤十字看護大学)
◆臨床ナースへの暖かいまなざし

 2002年4月頃,佐藤紀子先生の研究室に伺ったことがある.そのときからすでに佐藤先生は,熟練した看護師たちが実際に臨床で展開している豊かな語りから看護の知のかたちを探っていきたいと,熱い思いを持っておられた1).あれから5年を経て,本書は著者の長年の研究成果をもとに,臨床実践の中で,いかにして患者との関係性をつくり,状況全体をとらえ,支えていくかという看護師の「関わり」の知に焦点をあてて描かれたものである.本書の副題には「看護職生涯発達学の視点から」とあり,著者は「基礎教育を含めて看護師が生涯にわたり発達し続けることを支援する学問」と位置づけている.20代前半に看護師という職業を選択した一人ひとりが,その後,生涯にわたって,看護師であることをどのように引き受け,何をよりどころにして看護師であり続けているのか,それを明らかにすることによって,臨床で働きつづける看護師の支えとなるものをみつけたいという,著者の看護師に対する温かい眼差しが,本書には一貫して流れているように思う.

 著者が聴きとり,再構成したエキスパートナースたちの7つのナラティブ(第1章「エキスパートナースの肖像」)には,思わず引き込まれ,あたかも自分がその場にいるような錯覚さえおぼえる.特に,40歳代の結腸がんの女性患者Eさんが亡くなる日の朝,臨床10年目の看護師松田さんが,散歩をしたいというEさんを車椅子の乗せ,二人で風にあたりながら過ごす場面の語りである.病状が悪化し,差し迫るいのちの短さを全身で感じ,もがいているEさんの心の痛み,心の叫びを,松田看護師は果たしてどこまで理解できていただろうかと自問し,それでもそばに居続け,向き合った.その時のEさんの苦しみ,松田看護師の苦しみ,せつなさ,そしてそれらをすべて洗い流すように,すうっと頬を抜けていく朝の冷たい空気感までもが伝わってくるような語りに,私は涙が止まらなかった.

 エキスパートナースたちの語りには,それを読み聴く者を衝き動かし,それぞれの経験の奥底にある知を呼び起こし,その意味や価値を問う力がある.松田看護師のナラティブには,いっこうに回復しない病状にいらだつEさんの心の痛みに対して,看護師としての役割を超え,一人の人間としてEさんを気づかい,Eさんとの時間を過ごし迎え入れようとするエキスパートナース松田さんの関わりの「知」があった.

◆看護を語ることの力

 著者は,新卒看護師や熟練看護師のナラティブをもとに,看護師の臨床の知には,「閉ざされた『知』」,「相互作用の『知』」,「関わりの『知』」の3段階があることを発見している.それぞれの知は,看護師として相手やその場における存在の仕方,状況の意味の捉え方,関心のあり方の3つの側面から説明されている.

 エキスパートナースが用いる「関わりの『知』」の特徴には,「病棟内の人物や物理的環境を知り尽くし,目の前のクライエントに対し配慮する.配慮するためには,自分がよいと考えたことを貫く,信念や確信がある」という看護師の存在のありようがみられる.そして,状況の意味の捉え方の特徴としては,「今そこで起こっていることの意味を,過去の多くの事例との関連で瞬時に丸ごと把握し」,「クライエントの置かれている状況を全体としてとらえ,なおかつその重要な部分に着目し,クライエントのニーズを叶えるために直観的と捉えることができる行為をしていた」という.また,関心のあり方の特徴としては,「常に判断と行為を自分で意識しながら」「互いに配慮している関係性」「家族との日々の関わり」「気持ちの尊重」「願いを叶えたい」「積極的な関わり」をし,相手の関心に自分の関心を注いでいた」(本書,p.162,p.182―185)ことが明らかされている.

 これらの特徴は,看護師たちの語りをもとに著者が特徴づけたものであるが,ナラティブとして描きだすに至るまでには,看護師たちの経験を大切に思い,聴き手としてそのナラティブをともに構成した著者の姿がある.本書に掲載された看護師たちの語りは,著者とともに紡ぎ出されたものであることを忘れてはならない.

 以前,著者が次のように話されたことが思い出された.「看護職という,共通の仕事をしている者の間で語ることによって自分たちの仕事の内容がはっきりしてくるし,他のナースがいろいろ質問してくれた,感想を述べてくれることによって,実践知や暗黙知が意識化される.そのような語りは,単に慰め合うというような意味ではなくて,知の創造のために必要なことではないかと思う」1)

 看護職同士が,物語ること,それを聴くことによって,一人ひとりの看護師が実践の意味や自分の存在の意味を確認し,看護師であり続ける力を持ち続けることができるのである.看護師自身がお互いにその意味と価値を認め合うことから始めようという,著者の思いが伝わってくる一冊である.


1)佐藤紀子, 谷津裕子, 吉田みつ子 : 【座談会】「語り」が明らかにするナースの“気づかい”私たちの仕事の意味はここにある, 看護学雑誌, 66(6), 528―537, 医学書院, 2002.

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