看護とヘルスケアの社会学

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イギリスでは社会学は、保健医療の専門職にとって必須の科目である。概念や考え方を示すのみならず、調査や事例研究を通して、ナースや医師、クライアント、家族、職場、社会の抱える問題を浮き彫りにする。ケアの理想と厳しい現実とのギャップをどのようにして埋めるか。専門職として、一市民として。そのためのアプローチを示す。
アビー・ペリー
原信田 実
発行 2005年11月判型:A5頁:304
ISBN 978-4-260-00034-5
定価 3,080円 (本体2,800円+税)
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第1章 社会学的想像力とは何か?-看護教育と看護の仕事の例
第2章 社会における健康の象徴的意味-専門職が行なうケアの中の魂という考え
第3章 社会学の方法-保健医療サービス研究と看護研究
第4章 病いのない世界は?-慢性病の病人であることを「忘れる」
第5章 身体・スティグマ・がん患者の経験を考える
第6章 医学的治療に関係する研究
   -無作為化比較対照試験による研究の倫理的・法的問題点
第7章 知識に関する社会学とは何か?-健康教育と健康増進の例
訳者あとがき
索引

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社会学的想像力と懐疑を持って医療を考察
書評者: 勝又 正直 (名古屋市立大学教授・社会学)
 医療の社会学の本を書こうとすると2つの方向に引き裂かれそうになる。

 1つの方向は,医療の人々にお伺いを立ててそれを材料にして業績とするものである。だがいま目の前にいる患者をどうしようかと真剣に苦慮している医療関係者たちには,こうした研究や解説はぴんとこないものになりがちである。

 もう1つの方向は,医療批判の方向である。イリイチやフーコーを経由し,医療を権力の1つの形態と見なす見解だ。その批判の切れ味はたしかに鋭い。しかしそれでは実際に医療にたずさわる人間にとっては職を辞する以外にするべきことはないのか,という気にさせるだけで,現場で医療を進めざるを得ない彼らにとっては,「じゃ,どうしろっていうのだ」という感じになってしまいがちだ。

 結局,私自身は,医療者向けの社会学の本を書くに当たって,医療社会学などという狭い社会学でなく,医療者が知ったほうがよい,社会学一般の解説や人文科学一般の解説をしたりしてきた。

 医療者をおだてるのでもなく,頭ごなしにしかるのでもない,医療者が自分のしている医療行為に対する考察を豊かにさせるような本は書けないだろうか,それが看護師養成の教育にたずさわるようになってから,ずっと私が悩んできたことであった。

 今回,『看護とヘルスケアの社会学』を読んでみて,それに対する1つの解答を与えられたような気がした。この本はフーコーらの理論をふまえながら,しかも医療におけるさまざまな問題を考えていこうとする。その際,本書を貫いているのは,2つの考え方である。

 その1つは「社会学的想像力」という考え方だ。社会学的想像力というものを説明するなら,たとえばこんなふうになるだろう。

 いまあなたが1杯のコーヒーを飲んでいるとしよう。コーヒー豆を通じてあなたは南米と,砂糖を通じて中南米と,さらにそれらを操る巨大資本とつながっている。水道水を使うことで日本の環境問題とつながっている。近年日本の家庭に広まったコーヒーを飲むという習慣を共有する人々とつながっている。そしてそれはテレビのコマーシャルや番組でコーヒーを飲むことにも影響されている。コーヒーを飲むという1つの行為は広く社会へとつながっているのだ。また今あなたが新聞を読んでいるとしよう。あなたが新聞で見かけた中高年の自殺の数字は,実はリストラ,離婚,ホームからの飛び込み,というような人間ドラマをその1つ1つが持っているのだ。

 1つの具体的行為からそれを取り巻く社会の連関へと思いをめぐらすこと,1つの抽象的数字から具体的な人間ドラマに思いをめぐらすこと,具体的な顔のみえる行為と社会の抽象的な語りとの間を自在に往復できること,それが社会学的想像力である。

 もう1つの考え方,それはいわば「社会学的懐疑」とでも言うべきものだ。

 医療の世界は患者に迅速に対処する必要がある。そのため,医療関係者のなかにはいわば「対処主義」とでも言うべき,すばやく問題解決を急ぐ態度がきわめて濃厚だ。患者の持っている疾患,問題をすばやく判断しててきぱきとそれを解決しようとする。だがそこでは「問題」と見なすその問題の設定の仕方自体が実はかなり偏ったものの考え方であること,いや問題だと設定する構え方自体が実はその問題を引き起こしているのかもしれないという,反省と懐疑が欠けている。

 例えば,ターミナルの患者が死の受容に至っていない,それが問題だとする看護師は,「死の受容」をすべきだという自分の先入観が,実はこの問題を作り出していることに気づかない。それは医療者の先入観と無反省から生まれ,それを患者に投影した問題にすぎないのである。患者は死の受容に至るべきだなどという考えを医療者が捨てれば,その問題なるものははらりと消えてしまう。

 こうした,社会学的な想像力と懐疑を持って医療のさまざまな局面を考察する本書は,問題をさっさと解決しよう,業績を上げようという志向を持つ人間にとっては,とてつもなくまどろっこしく歯切れが悪いものにみえてしまうだろう。だがそのまどろっこしさと歯切れの悪さの向こうにある,この本に流れている,みずからの問題設定・対処のあり方を真摯に反省しようとする謙虚な態度こそが,実は医療関係者・研究者が学ぶべきものなのだ。

 なお訳者によるていねいな文献紹介もありがたい。それはこの本を出発点にしてさらに思索を深めるための大きな手がかりとなろう。

 いま,私はこの本とはまた別の方向で,医療についての社会学の本を書こうと思っている。「患者を理解したい」というのは看護師が常に口にすることである。だが理解とは何か,理解が単に気持ちの理解を超えて,その患者を包む社会とつながるような大きな理解(すなわち社会学的想像力を駆使した理解)になるにはどうすればいいのか。また患者の何気ない言葉や仕草からその患者の抱えた人生の物語をどう理解すればいいのか。このことを考えながら,同時に,ウェーバーという学者が提唱した「理解社会学」というものを,物語論的観点から再生しよう,というのが今の私のもくろみである(本の仮題は『看護に学ぶ臨床社会学』)。

 今回『看護とヘルスケアの社会学』を読むことで,私は新たな本を書くための静かだが確かな励ましをもらえたことを心から感謝している。

ヘルスケアにおける「社会学的想像力」を喚起
書評者: 斎藤 信也 (高知女子大学看護学部教授・医師)
 評者はごく最近看護学部の教員となったが,恥ずかしながら現在付け焼き刃的に「看護学」の勉強をしている。そこで看護プロパーの先生方や,看護師の皆さんからは笑われそうであるが,看護学がいかに「社会学」を代表とする社会科学を通して,社会に開かれているかと言うことに,感心している次第である。「医学」がかなり閉鎖的・自己完結的な学問(それは別の意味では有効な面も否定できないが)であるのに比べ,看護学が社会との風通しの良い学問であることは,看護の世界にいる人々には当たり前かもしれないが,医学の殻に閉じこもっていた人間にとっては新鮮な驚きなのである。

 評者にとって関心のある領域である「緩和医療・緩和ケア」の基礎的な文献はその発祥の地であるイギリスからのものが多いが,そこでの社会学的視点とイギリス特有の医療制度は,時としてその理解を困難にさせる。また,昨今の小泉改革に代表される新自由主義的な考え方に対抗する軸として,新しいタイプの社会民主主義,いわゆるイギリスにおける「第3の道」が注目されているが,まさにイギリスのヘルスケア・システムはそうした面でも興味のある分野であり,これまでずっと,こうした分野のまとまった知識を得たいという気持ちを持ってきた。

 今回時宜を得て,医学書院から『看護とヘルスケアの社会学』が,発刊されたが,まさにイギリスの,看護を含むひろくヘルスケアに関する社会学についての基本的な事項と,その応用について学べる機会が提供されたと言って良いだろう。

 編者のペリーは看護師資格を持つ社会学者であり,ロンドン大学医学部等で医療社会学を講じているが,分担執筆者のタイトルをみてもRN(registered nurse)の資格を持つ者が過半数を占めるように,看護師であり社会学者であるというポジションニングが本書をユニークなものにしている。特に第1章の「社会学的想像力とは何か?」で,これまで自明のこととして語られることの多かった看護の専門化について,その功罪,特に専門化に伴うナースと患者の距離や,ナース間の格差の問題に言及している点は注目される。やはりナースの資格を持っている著者のグレンは,この章で「個人の体験を公的な世界につなげる」という「社会学的想像力」の重要性を繰り返し強調しているが,社会学を看護学の理論武装に利用するのではなく,ある意味自らを厳しく見つめる手法として用いているという態度は,本書全体を貫く通奏低音ともなっている。

 医学モデルの対極としての看護理論は,医学に対して「キュア」から「ケア」への転換をせまり,バイオメディカルモデルの限界を示したように,きわめて有効なものであるが,「看護がヘルスケアに対し独自の貢献をしているという立場を熱心に追求した結果,ひとつの偏狭な心的態度が生まれた」と,これを静かに批判する著者の態度に,キャッチアップの時期を過ぎたイギリスの看護学の成熟を見る思いがした。

 また,2章では,いわゆる「ポストモダン」思想をわかりやすく概観することができる。特に真理はひとつといった近代的(モダン)科学主義に染まって身動きのとれない医学にとって「社会構成主義」は,新たな地平を切り開いてくれる可能性がある。続く第3章「社会学の方法」では,多元主義(「研究を行うためのたったひとつの『正しい』方法などない」)に基づき,従来の量的研究にもバランス良くページを割きつつ,看護領域で主たる研究方法となりつつある質的研究についてかなり詳しく,良くまとまったレビューがなされている。看護研究を行っている人にとっては,この章だけでも読む価値がある。一方で第6章では,量的研究の代表である無作為化比較試験の倫理的・法的問題について触れられているが,こちらはCRCのような治験に関わるナースに限らず,医師・薬剤師にも役立つものと思われる。第7章は,知識に関する社会学的批判をもとに,新公衆衛生学という,エンパワーメントを用いて公衆をコントロールしない技法が語られているが,HIVなどの性感染症に対する旧来の公衆衛生的アプローチとの違いに驚かされる。

 また,第5章ではがん患者を身体へのスティグマ(烙印)という視点から眺めているが,ここには医師も読むべき内容が多く含まれている。ある意味,内面を向きがちながん看護・緩和医療といった分野に広がりをもった視点を導入してくれるに違いない。

 本書は,医療・看護といった身近な入り口からの社会学への入門書的要素と,ヘルスケアの社会学のフロンティアを学べる研究書的要素を兼ね備えた有用な新刊であると言えよう。さらに,イギリスのヘルスケアシステムを概観したり,看護領域の研究手法を手際よく学べるというメリットもある。

 ヘルスケアに於いて「社会学的想像力」を必要とするのはなにも看護師に限らない。医師をはじめとする医療関係者ならびに一般の方々にも,是非手にとってほしい本である。

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