第2版の序
本書初版を執筆した1999年から12年余の間に,双極性障害を取り巻く環境は,あまりにも大きく変わってしまった.
当時は,「双極性障害」という書名に違和感があるといわれたが,現在では,むしろ初版の副題に入れていた「躁うつ病」の方に違和感があるほどである.
病相はそのたびに治るといっても,反復するうつ状態や躁状態における逸脱行動などから,大きな社会生活の障害を引き起こすこと,そのため,治療においては何より予防療法が重要であることなど,双極性障害への認識も,以前に比べればかなり浸透してきた.
双極性障害の専門書,一般書も,うつ病ほどではないにしても,多く出版されるようになり,患者さんも,気軽に病気について学ぶことができるようになった.患者さんの間でも,病名の呼称は躁うつ病から双極性障害へと,シフトしつつある.
さらに,双極性障害の治療薬も,バルプロ酸の適応病名として正式に「躁うつ病」が加わったのを皮切りに,2010年10月にはオランザピンも「双極性障害の躁症状の改善」に対して適応が拡大された.その他にも,双極性障害に対する有効性のエビデンスが確立した薬剤として,ラモトリギン,クエチアピン,アリピプラゾールなどが期待されている.
病態研究においても,ゲノムワイド関連研究やモデルマウスなど,様々な進歩があった.
一方,双極II型障害概念が浸透するにつれて,その輪郭が次第に変遷を遂げ,その多彩な臨床像,境界性パーソナリティとの異同,診断・治療の困難さなど,双極II型障害診療の難しさもクローズアップされてきた.
そして,双極II型障害の診断基準すら満たさない,双極スペクトラムの概念がよく知られるようになり,双極性障害の概念はますます拡大した.そして,うつ病患者の中に潜在的な双極性障害患者が含まれていて,こうした患者では抗うつ薬で悪化するのではないかという問題意識が,臨床上の大きな課題となりつつある.
一方,主として特定不能の双極性障害と診断される,子どもの双極性障害がアメリカを中心に急増した.こうした新たな病気の出現の背景に,製薬会社と精神科医の癒着が疑われる一方,宗教団体による反精神医学的活動が行われるなど,社会状況に疾患概念が翻弄される事態となっている.
初版を出して数年で,改訂の必要性を感じ始めたが,いよいよ改訂となったときには,もはや少しの改訂では追いつかず,内容の完全な刷新が必要となっていた.
そんなわけで,本書の改訂ができないままに10年以上が過ぎてしまい,これだけ多くの双極性障害に関する書物が出版されている現在,もはや本書の役割は終えたか,と思ったときもあった.
今や,単著で書かれた双極性障害の教科書は,ほとんど見当たらない.膨大な文献が世にあふれる時代,すべてを総説することはもはや不可能ということかもしれない.
実は,医学書院の編集担当者からは,内容を大幅に増やす方向で改訂してはどうか,との話も頂いた.確かに,すべての文献を渉猟してまとめていく,という方向性も考えられよう.しかし,Goodwin & Jamisonの教科書「Manic Depressive Illness」の初版や,1983年の渡辺昌祐博士の大著「リチウム」を前にしただけでもひるんでしまうのに,2000年以降に出版された双極性障害に関する文献は,12,000本を超えており,これらの文献をすべて読んで総説することは,もはや不可能と言わざるを得ない.
このように,情報があふれる一方,ほとんどの情報が検索可能となりつつある現代において,情報を集積して羅列するだけでは,もはや意義はないかもしれない.一方,あふれる断片的な情報を読み解き,一つの流れとして把握し,こうした知識を臨床実践に利用可能な知恵として昇華させていくことの必要性は,以前にもまして高まっている.
本書がそのような意義をもつ書物となり得るかどうかは甚だ不安ではあるが,情報過多の現代こそ,個人の見解を述べる本書のような書物に,それなりの意義はあるかもしれないと思い直し,何とか改訂を進めることにした次第である.
このように本書は,膨大な文献の情報をすべて盛り込むことを目指すよりも,筆者が理解している範囲の内容を軸に,なるべくコンパクトにまとめたため,双極性障害のすべてを網羅できているわけではない.しかし,双極性障害の概観をつかむためには,むしろその方が理解しやすいかもしれないと考えている.
そんなわけで,本書は双極性障害理解の入り口でしかない.読者には,本書を入り口として,各自の臨床経験や研究経験の中から,それぞれの双極性障害像を育んで頂ければと思う.
本書初版の出版以来12年の間のあまりにも大きな変化を思うと,今後10年,20年の間に,双極性障害に何が起きるかは,全く予想できない.筆者としては,双極性障害患者の朗報となるような研究成果を挙げられるよう,精進したいと思いつつ,願わくは,若き読者の中から,双極性障害研究の歴史を変えるような知見を発表する医師,研究者が次々と生まれて欲しいと期待している.
2011年4月
加藤忠史