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神経科学-形態学的基礎 間脳[2]
視床上部,視床下域,視覚系

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神経研究の揺籃期から今日に至るまでの歩みを書きとめた歴史的大著の待望の続刊がついに発行。本巻では視床下部の富髄性領域についての記述が補足され、視床上部、視床下域、視床後部および視覚系が収められている。歴史的基盤に立脚し、形態学的事実を生理学、生化学、分子生物学、分子遺伝学などの知見と融合させて詳細に解説。膨大な文献を記載し、研究の発想や進展に必要なオリエンテーションをつけるのに有用な書籍。
佐野 豊
発行 2007年03月判型:B5頁:496
ISBN 978-4-260-00303-2
定価 27,500円 (本体25,000円+税)

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執筆者/佐野 豊

 本書は「神経科学 形態学的基礎」の第4巻に当たる著作で,前巻「間脳〔1〕視床下部」に続いて間脳の諸部位の構造を記述した.
 前巻では視床下部でも乏髄性領域に属する部位を主体に記したので,本巻では視床下部の富髄性領域について記述を補足し,視床上部,視床下域,視床後部および視覚系について書きすすめた.視床上部の松果体と,視覚系の網膜の項に,予想外に多くのページを使うことになったため,間脳の主要部である背側視床の項は次巻に回すこととした.
 視覚や松果体については歴史的な研究経過にも視点を当てて記載しようとした.そのため17,18世紀の文献探索に多くの時間を消費した.この間,惜しまずご協力をいただいた海外の友人,京都府立医科大学中央図書館の職員の皆さんに心から成謝する.
 本書を執筆しはじめてすでに15年が経過している.大脳基底核群,大脳皮質そして小脳にまでさらに筆を走らせることができればと心に思うが,執筆は牛歩のごとき歩み,完結までの距離は果てしなく長い.
 2006年12月

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 間脳
1. 間脳の輪郭
2. 研究史
3. 富髄性視床下部
4. 視床下域
5. 視床後部
6. 視床上部
7. 視覚系-網膜
8. 視覚系-視覚路
 文献
 索引

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明日の研究への糧になる香気に満ちた書物
書評者: 藤田 恒夫 (新潟大名誉教授)
 著者 佐野 豊先生は,神経分泌という戦後の神経学に衝撃を与えた領域の草分けである。先生はその後も一貫して,神経細胞を電気的興奮の伝達者としてよりも,信号物質を産生する分泌細胞として捉える視点に立って,京都府立医科大学に日本をリードする研究グループをつくられた。中枢・末梢神経系のほとんどあらゆる部分について,伝達物質,調節物質,神経ホルモンの分泌と動態を研究した佐野先生とその後継者たちは,世界の神経科学界に大きなインパクトを及ぼし続けている。

 その佐野豊先生が定年退職されて後,『神経科学―形態学的基礎』と題する重厚な叢書を上梓しておられる。既刊は『ニューロンとグリア』(1995,金芳堂),『脊髄と脳幹』(1999,金芳堂),『間脳〔1〕視床下部』(2003,医学書院),そして今回『間脳〔2〕視床上部,視床下域,視覚系』が刊行された。

 佐野先生は,週に何回かの図書館通いと日課の犬の散歩以外は,ご自宅の一室で執筆に没頭し,時々その座業の一隅だけの畳替えをなさると伝えられる。それほどの精進によって,我が国の神経科学の成書としてもっとも広汎かつ詳細な著作が数年に1巻ずつ刊行されつつある。

 この叢書は各巻が大著であるばかりでなく,全巻に著者の個性と風格が滲んでいる。これは何によるかと言えば,新しい学説を述べるに当たっては,研究者たちが辿った発見・思考の道程をさかのぼってみなければ満足できないという,著者の歴史へのこだわりである。この本を読む人は,かつて発見の喜びに躍り上がった人,あるいは学説を認められず失意のうちに死んでいった人など,時空を隔てた「学を愛する人」と出会う愉しみを,しみじみと味わうことができるだろう。既刊の3巻と同様に,この本は,なにかの事項を検索するために,たまに本棚から取り出す参考資料というより(もちろんそういう目的にも役立つが),通読しておもしろい読み物になっている。

 それでは,308頁の本文(その後に164頁もの文献がある!)のなかで,どこが読みやすいか。脳に一般的な興味をもつ医師や研究者にお薦めのひとつは,頭頂器官と松果体の話(第6章D,E)であろう。トカゲの頭頂部に膜を張った窓のように開いている頭頂器官(今日では頭頂眼,第3の目とも呼ばれる),この不思議な構造の発見者が,精巣の男性ホルモン分泌細胞に名を残すFranz Leydig(1872,チュービンゲン大学)だった。Leydigは広汎な比較動物学的な研究をもとに,この構造が一種の腺として機能すると考えた。ライデンの医師H. W. de Graaf(1886)は,この器官が網膜と水晶体を備える眼の構造そのものであることを発見し,やがてチェコのブリュン大学教授F. K. Studnicka(1905)が,脊椎動物の全系列にわたって間脳蓋の光受容器官系が存在すること,頭頂眼と松果体はその一環として研究すべきことを提唱する。20万頭のウシの松果体から抽出した物質がオタマジャクシの体色を白くすることを見つけたLerner(1958)のブレークスルーによって,松果体がメラトニンを分泌する腺であることが判明し,その延長線上にヒトの松果体が日内リズムにあずかる神経腺であるとの今日の認識があるのだが,動物の系統によって眼と腺のあいだを揺れ動く松果体細胞の不思議は,電顕学者を魅了してやまない。

 第7章の網膜は,この巻の最高の山場であり,著者の執筆の息遣いが感じられる章でもある。網膜の層的構造に注目してこれを7層に分類したのは,イタリアのPacini(1845)だと言う。ドイツのSchultze(1872)は10層分類を提案して,研究の精度を飛躍的に上昇させた。Schultzeは,切片作製の技法などのない時代に,カエルやヒトの網膜を血清中で針でほぐしたり,斜光をあてて見たりして,錐体,杆体の微細構造を写生し,現代の電顕学者を驚かせる観察を残し,その気力・眼力は鬼気迫るものがある。しかし網膜研究の王道を拓いたのは(レトロスペクティブにみて)S. Ramon y Cajal(1892)の切片の鍍銀染色による研究だった。ニューロンとグリアの分別,そしてシナプスによるニューロン回路の概念が基本にあったからである。精緻を極めたカハールの図は,もはや加えるところもないと見えたが,この図を大幅に描きなおして今日の教科書に広く引用される知見に達したのは,S. Polyakだった。戦乱の絶えないバルカン半島に生を受けたPolyakは,虜囚や放浪の半生を経て,人生の最後にアメリカに定住し,網膜に関する大著2冊(1941,1955,後者は死後に刊行)を出版して,学界を驚倒させる。著者の流れるような筆致によって,読者は,逆境を生きる人間がなお残しうる業績の大きさに大きな感銘を受けるだろう。
 網膜の構造は電顕の導入によって大きく発展する。視細胞外節が絶えず色素上皮によって貪食され続ける事実が山田英智ら(1960頃)によって解明された。一方で視細胞のシナプス部分に紋章のように目を引くシナプスリボンについては,その物質的基盤や日内変動にいたるまで研究が続けられているが,未だその本体と機能が不明であることが分かる。
 網膜の組織化学には24頁もが費やされ,伝達物質ないし修飾物質の候補者としてのアミノ酸,アミン,ペプチドの局在について最新の知見が紹介されている。

 最後の視覚系―視覚路の章では,1780年頃,イタリアの医学生Gennariとフランスの大解剖学者Vicq d’Azyrが先を争うように,鳥距溝に面する大脳皮質に白条を発見する。これを契機として視覚領,視放線の存在が認められ,さらに網膜の各部と大脳の視覚領の各部がpoint―to―pointで対応することがわかってくる。病理学と臨床例の分析から,この認識にいち早く到達したのはスウェーデンの内科医Henschen(1847―1930)だった。「20世紀初期の最も先進的な考えをもった学者で,大脳皮質における機能の局在説を強固に主張した偉大な臨床医」と著者が惜しむこの学者は,早く生まれ過ぎたようだ。高名なvon Monakowを初め学界の激しい抵抗を受け,1900年にはカロリンスカ研究所の教授に迎えられながら,ノーベル賞財団の委員から評価されず,失意のうちに病没する。

 新しい研究成果や片々たる論文を紹介して,こんな現象もある,こんな学説もあると並べ立てるレヴューはいくらでもある。その領域のトップランナーたちが何十人も名を連ねて著述ないし編集する教科書も少なくない。そんな今日の風潮にさからって,この本は一人の碩学が,統一した理念のもとに自身の語りたいこと,伝えたいことに的を絞って書き上げた。だからこそ一気に読める,一貫した感銘を受けることができるのである。一人でも多くの研究者や医師が(機会があれば学生も)この学問の香気に満ちる書物を座右に置き,明日の研究への糧にしてほしいと願うものである。

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